14・2さくらんぼ事故
エルノー公爵から預かった一式を手にムスタファの私室を訪れると、彼は朝食の最中だった。ベッドで食べる習慣は木崎の記憶がよみがえったときに止めたらしいけど、王族らしさを払拭したわけでもないらしい。
白いネグリジェ(こちらの世界では男性も普通に着るのだ)に、昨晩とはちがう若草色のガウンをかるく羽織り、円卓で優雅にクロワッサンを手にしている。
中身が木崎だろうが、むちゃくちゃ絵になる。悔しい。
「失礼致しました。出直します」と一礼する。
「構わない。それはエルノー公爵からだろう」と王子らしく話す木崎のムスタファ。
控えていた侍従がさっとペーパーナイフを用意する。私は一式を王子に手渡し伝言を伝えた。
彼は中身を改めると、侍従に、
「今日の予定は変更する」と指示を出して最後に「温かいココアが飲みたい」と付け足した。
侍従はただいまと答えて下がる。
その気配が消えるとムスタファはパンを一切れ取り、
「新作らしい。小豆が入っている。旨いぞ」
と私に差し出した。ありがとうと受け取り、立ったままモグモグ食べる。
「な?」と木崎。
「うん。というか、これは私の提案」
攻略対象にパン職人見習いがいるのだ。ゲームでの彼は私に試作品の味見係をさせたり、アドバイスを欲したりする。
彼の好感度を上げるつもりのない私は、味見係は断っている。だけど前世で好きだった小豆デニッシュをどうしても食べたくて、こっそり作ってくれないかとお願いしてしまったのだ。
それが焼き上がったところを親方にみつかり、だけれどこれは新しいと気に入られ、ブラッシュアップを経て王族の食事に出すことになったそうだ。
「さすが食いしん坊」と木崎。
「美味しいは幸せ。王子に気に入ってもらえて嬉しいよ」
そんな王子の食卓は料理は種類豊富で豪華なうえに、食器も美しい。
「マイセンのブルーオニオンそっくり」
私がそう言うと、ムスタファが
「だよな。ていうかお前、よく知っているな」
「お姫様気分に浸りたくて、ボーナスが出たらひとつ買うってやってた。木崎こそ。これも彼女の趣味?」
「姉貴がデザイン系の仕事に就いてる。その影響」
長椅子はゴブラン織りみたい、家具はチッペンデールっぽいと話は進み、寝室のカーテンが、と木崎が言うので扉から覗いてみたら。
「ウィリアム・モリスだ」
「そう。ピンパーネルだな」と木崎。
ゲームのデザイナーが盛り込んだ設定だったのだろうかなんてふたりで話す。
「礼拝堂に入ったことはあるか」
「ここの?」
王宮には王族のための礼拝堂がある。うなずくムスタファ。
「ないよ」
「フレスコ画がすごいんだ。よし、朝食と支度を終えたら見に行こう」
「予定は大丈夫なの?」
卓上に置かれたままの手紙と書類を見る。
「午後だから問題はない」とムスタファもそれを見て答えた。「昨日の講義でオーギュストと考えが一致してな。それを知った公爵が、懇意にしている魔石専門の輸送と販売をしている会社の経営者を紹介してくれることになったんだ。が、公爵が急用が入ったから紹介状と相手の資料」と彼は封書を指した。
それから私を見たまま、黙り込む。
「なに、どうしたの?」
居心地が悪くなってそう尋ねると、ムスタファは
「メモをとるのは得意か?」と尋ね返してきた。
というのも彼は専門家などから話を聞くときは必ずヨナスにメモをとってもらっているらしい。それを昨日は彼が留守だったから他の侍従に頼んだそうなのだが――。
「喋ったことを全部書いてあった。見づらくて読めたもんじゃない」
「なるほど。頑張ってはくれたんだ」
「そう。だから余計に『こうじゃない』とは言えなかった。ほら、俺は人嫌いのコミュニケーション下手の王子だろ?」
「先にヨナスさんのメモを見本で見せておけば良かった」
「そうなんだよ。失敗した。どうせ俺はお前に必死にアピールしていると思われているし、やってくれないか」
胸の鼓動が早い。やりたい。だけど不安だ。それを口にもしたくない。とはいえ黙っているわけにもいかない。
「やりたいし、声をかけてもらえて嬉しい。だけど私は専門用語が分からないと思う」
「そこは後で穴埋めすればいい」
「穴だらけかもよ」
ガタンと椅子の音を立ててムスタファが立ち上がった。皿のさくらんぼを手にしたかと思うと、突然私の口に押し当てた。
「お前は黙ってこれでも食っとけ」
思わずさくらんぼを口に入れてしまう。
もぐもぐしていたら視線を感じた。見ると、開け放されたままの廊下への扉の元に先ほどの侍従が立っていて、目を限界まで見開いていた。その様に、こちらも彼同様に固まる。
それに気づいたムスタファは、しれっと。
「先ほどの外出には彼女を書記として連れて行く。ロッテンブルクに伝えてくれ。それから支度が終わったら礼拝堂に行くから、トイファーを呼ぶように」
その言葉に我に返った侍従は表情を取り繕い、承知しましたと答え運んできたココアを出して、再び去っていった。
「木崎!」
「どうせ三股と噂されているんだ。気にするな。カールハインツの好感度だって、これ以上は下がらないだろ」
「私のメンタルダメージが計り知れないのだけど」
「知るかよ。あ、これ」と木崎はココアを私に渡す。「飲んどいて。運ばせておいて飲まないなんて悪いからな。ていうか座れよ」
……ツッコミたいところだらけだけれど、面倒になって諦めた。ココアをいただく間だけねと断ってから、椅子に腰かける。
ココアを飲むと、カカオが濃厚で甘味は控えめ。
「美味しい。甘さ控えめで好きな味」
今までいただいたものとはちがう。さすが王子向けココア。
「俺仕様かも。普段は甘いものは飲まないから。それよりお前、寝てないの? ひどい顔だぞ」
「くま隠しはしたんだけど」
「隠れてねえよ」
やはりもう少しお化粧の腕を磨かないとダメか。侍女の仕事にもあることだから時々練習はしているのだけどな。
「この部屋が明るいから気になるだけでしょ。夜以外で来るのは初めて」
「しばらくは毎日朝晩通いだ」とムスタファ。
ヨナスのおばあ様は深夜にお亡くなりになったそうだ。先の大公夫人であるから国葬を営むとのことで、全て終わるまでに数日かかるという。本葬の日はフーラウムとパウリーネが参列するそうだ。
「あなたは行かなくていいの?」
するとムスタファは残念そうにため息を吐いた。
「転移魔法は甚大な魔力を使う。父たちと付き添い、帰りの転移魔法を行う魔術師を送るので精一杯だそうだ」
「なるほどね」
「魔王だったら一瞬で行けそうなのに」一瞬ムスタファの顔が曇る。だがすぐに戻った。「だが王子しか出席しないより国王夫妻が出席するほうが、ずっといいからな。ヨナスの貢献も考慮しての国王夫妻列席だそうだ」
「ガマンして偉いね、王子」
「褒美をくれ」
褒美……とは?
私にあげられるものなんてないし、本当に欲しがっているとも思えない。脳内を『頭をよしよしする』がよぎったけれど、それはなんだか私がいたたまれない。
結局、廊下の気配を伺ってからさくらんぼをつまんで、先ほどの仕返しを兼ねて
「はい、あーん」
とムスタファに向けた。
ふざけんな、と反応されると思ったのだ。
けれどムスタファは私の手首を掴んだかと思うと、ぱくりとそれを食べた。そして
「赤面してるぞ、詰めが甘いな喪女は」
ともぐもぐしながら笑い飛ばす。
「くっ。羞恥心がないの!?」
指先に、一瞬触れた感触が生々しすぎる。
「あるわけねえだろ。これはフェリクスにならマウントとれるな」
「私を使わないでよ。ねだられたらどうするの!」
「断れよ。マウントなんだから」
「マリエットとムスタファお兄様は仲良しなの?」
突如聞こえた声に私も木崎も小さく叫び声を上げた。カルラが一体いつ入りこんだのか、チェストの陰からこちらを見ている。寝巻きにガウンという姿だ。
◇一応の解説◇
マイセン・・・ドイツのマイセン地方で作られる陶磁器
ブルーオニオン・・・柄の名称
チッペンデール・・・イギリスの家具職人
ゴブラン織り・・・フランスのゴブラン工場で作られた織物
ウィリアム・モリス・・・イギリスのデザイナー(兼色々)
ピンパーネル・・・柄の名称
それぞれ活躍した時代や、できた年代はバラバラです。
物語の進行にはまったく関係ありません。




