13・2噂
針をちくちくと進めながら、先ほどのことが思い浮かぶ。
どうしてカールハインツは好感度も親密度もゼロだったのだろう。
あの後会ったテオは2:2だった。特別なことは何もしていない。顔を合わせたら挨拶をして見習い仲間としての会話をする、それだけだ。なのに数値は上がっている。それなのに何故、カールハインツはひとつもハートが赤くなっていないのだ。
そんなにおかしなことをした覚えはない。ゲーム展開では彼の好感度を上げるのに最適な選択をしているし、そうでない時は極力彼好みの淑やかな女性に見えるように努力している。
好感度が上がるカルラの発見はこなしたし、逆に下がることは何もしていない。
彼に好意を抱いていることが知られているからだろうか。だけどその割りには、デレをいただいている。あのカールハインツが頭よしよしやポンをしてくれているのに、そこに好意はともなっていないならばどういう感情によるものなのだ。
……それとも、この驕りがいけないのだろうか。
……そういう気がしてきた。
好かれようという浅ましさとか、上手くいっているかもという下心が彼の好みの清純さとかけ離れているからダメなのかも。
ただ好みが【可愛い女】だったから、単純に私が可愛くないだけかもしれない。
手を一旦止めると息を吐きだした。
もしかしたらゲームの何かが不調で表示がおかしいという可能性はある。木崎のムスタファのハートが異常に多いのはどう考えたってバグだろうし、バルナバスの好きなタイプが巨乳なんてのも間違いとしか思えない。
今日になって急にステイタスが現れたのは、多分だけど前半の中間地点だからではないかと思う。
ゲームで『好きなタイプ』が見られるようになるイベントが、ちょうどその辺りにあったのだ。
ちなみにそれはイベントというかミニゲームで、意地悪な侍女を落とし穴に落とすという、現実だと実に胸くその悪いものだった。しかも上手く落とし穴を作る最短手段は課金……。
実現は不可能に近いイベントだし、落とし穴にはめてやりたいほど意地悪な侍女はいない。相も変わらず小さな嫌がらせはあって、今朝も朝食のパンが一口も食べないうちに消えたし、昨日は自室に砂が撒かれていたけれど、たいしたことじゃないから平気。
……もしかして主人公の私自身がゲームと乖離した性格だったせいで、小さなバグが少しずつ積み重なって、あれこれ変わっているのだろうか。
だとしたら、どうしたらカールハインツに好きになってもらえるのだろう。
コンコンと扉を叩く音がしたかと思うとそれは開いて、大きなバスケットを片腕にかけたルーチェが入ってきた。
「ロッテンブルクさんは?」と彼女。
「しばらく戻らないそうです」
「そう。確認をしてもらいたかったのだけど。まあいいわ。進めてしまおうっと」
ここはロッテンブルクさんの仕事部屋だ。
普通の縫い物や作業なら、侍女専用の食堂でおしゃべりをしながらやるのだけど、ルーチェも私も他人に見せられない縫い物だったので、侍女頭がここを貸してくれたのだ。
私が縫っているのは人形の洋服。ほぼ黒一色。カルラ用のものだ。小さい王女のシュヴァ熱は冷めるどころか熱くなる一方。
だから思いきって乳母たちに、人形にシュヴァルツ隊長の服を着せてもよいか尋ねてみた。
彼女たちは額をつきあわせて相談をし、最終的に
「私たちは何も聞いていません。それでよければ」と答えたのだった。
つまりカルラの人形に黒い近衛服を着せたのは、マリエットが勝手にやったことということだ。
もちろん構わないから礼を述べ、ロッテンブルクさんにお金を借りて黒い生地を買うことにした。
結果、素晴らしい侍女頭は、たまたま私物で余っていたと言って黒い生地をくれたのだった。
ルーチェは私の手元を見て、
「あら、上手ね」と褒めてくれる。
「孤児院ではよく服の仕立て直しをしていたんです。服なんて滅多に買えないから寄贈品の古着を着るんですけどね。合うサイズがないときは、ほどいて作り直すしかないのですよ」
「そうなの。苦労していたのね」
ルーチェは褒めてくれたけれど、私は裁縫が上手いわけじゃない。王宮にきて他の侍女の縫っている様子を見て分かった。ただ、縫うスピードは早いし、綺麗に見えるように仕上げることはうまい。
本当に上手なのはルーチェだ。
彼女は壁際の椅子を引っ張ってきて、私に並んだ。
この部屋にあるのは丁寧な造りの大きな机と椅子のセットがひとつと、簡素な椅子が数脚なのだ。
とてもではないけれどロッテンブルクさんの椅子に座る気にはなれなかったので、私は簡素な椅子を持ってきて使っていた。立派な椅子はルーチェが使えばいいと思っていたのだけど、彼女も使いたくなかったようだ。
ルーチェはバスケットから青い光沢が美しい、絹のナイトガウンを取り出した。裾部分に金糸や銀糸をふんだんに使った刺繍が途中までしてある。
どうもパウリーネが夫に贈る品らしい。そしてその刺繍は、彼女が自ら刺した刺繍ということになるようだ。
どうやら今までもずっとこの方式でやってきたらしい。この仕事を担っていた侍女が春前に退職して、ルーチェが後を引き継いだという。
「嫌になっちゃうわよね」とルーチェ。「他人が刺繍をしたものを自分がしたものとして夫に贈るのよ。だったら最初から、買ったものと正直に言えばいいのに」
「誰かに聞かれたら大変じゃないですか?」
「そうだけど」とルーチェが口をすぼませた。可愛い。「ちょっとがっかりしてしまわない? パウリーネ様ってもっと素敵な王妃様だと思っていたもの」
「ええ」
パウリーネはフーラウムに屈託なく『お裁縫は苦手なの』とテヘペロして、フーラウムは『君はそんなことができなくても最高に素敵な女性さ』と抱きしめる。そんなイメージだ。
ルーチェは慣れた手つきで刺繍を始めた。一針一針を丁寧に刺す。
「ね。最新情報を聞く? 聞きたいわよね? すごいことを聞いたのよ!」
私はザクザク縫いながら、何ですかと尋ねる。
「極秘情報よ。パウリーネ様は最初の奥様の侍女だったのですって」
思わず手を止めてルーチェを見た。
「最初の奥様?」
「そうよ、フーラウム陛下の最初の奥様。その頃はまだ即位をしていないからただの王子だったけれど」とルーチェは手を止めずに話す。「最初の奥様はムスタファ殿下のお母様。その侍女のひとりがパウリーネ様」
「……何故それが極秘情報になっているのですか。王宮に古くからいる人なら知っていることですよね」
「そこよ!」
ルーチェは絶対に秘密よ、と嬉しそうに念押しをした。
「奥様からフーラウムを略奪しちゃったのですって。それで奥様は心を痛めてそのまま病に倒れたとか」
「……本当ですか?」
鼓動がありえない速さになっている。
「一部には奥様は自殺なさったなんて噂もあったようよ。だから侍女だったことも含めて箝口令がしかれたみたい」
ルーチェが私を見る。
「……ごめんなさい。刺激の強い話だったかしら」
どうやら私はひどい顔をしているらしい。いいえ驚いただけですとこたえて、手元に視線を落とす。だけど手が上手く動かず、何度も針を指に刺してしまう。
以前に木崎が話していた。母親のことを調べても何も分からなかった、父王も語らない、と。それはこのことが理由だったのではないだろうか。皆、パウリーネ王妃に忖度をして口をつぐんでいる。それなら筋が通る。
ゲームだと母親は人間に殺されたことになっているから、この噂が真実とは限らないけれど。
木崎……。
彼はこの話を受け止められるのだろうか。私には分からない。一度ヨナスに相談するべきか。それとも私も口をつぐむのがベストなのか。
「ムスタファ殿下といえば」とルーチェがまた口を開く。
「マリエットは何か繋がりがあるの?」
「え?」
またも予期せぬ話に、顔を上げる。鼓動はまだ異常なのに、これより速くなったら止まってしまいそうだ。
「どうしてですか?」
「あなたから殿下と同じ香りがした時があったって、みんなが噂しているの。もしかしたら軟膏を塗った日のことかもしれないのだけど」
彼女は私を見て首をかしげている。
ロッテンブルクさんやカールハインツ以外にも気づいた人がいたらしい。私は以前の言い訳をそのまました。
ルーチェはそうなのと一言言って、また刺繍に戻った。やけにあっさり引いてくれた。とおもいきや。
「近衛のレオン・トイファーもあなたにプロポーズしたのでしょう?」
だからどこから漏れているのだ! というかさっきの様子だと、本人が言いふらしているのかも。
「あなたがフェリクス殿下とムスタファ殿下、レオン・トイファーの三股をかけていると噂になっているわよ」
「何で!」
思わず叫ぶ。
「あなたの本命はカールハインツらしいわよと言ったのだけどね」とルーチェはまた私を見た。申し訳なさそうな表情だ。「ごめんなさい、四股ってことになっちゃった」
あまりのことに、一瞬意識が遠ざかりかける。
「もしや、昨日今日と嫌がらせが続いているのって、それのせい?」
「いやだ! そうなの!?」
ルーチェがしきりに謝るけれど、彼女は悪くない。
大丈夫です、へこたれてはいないからと答えながらも、この噂がカールハインツの好感度が上がらない理由だったりするのかなと考えて大きなため息が出る。
いくらなんでも今日は、情報が多すぎる。頭が混乱してきた……。




