12・3夜のツンデレ
空にちょっと太めに見える半月が浮かんでいる。
「この方法もどうかと思うのですが」
そう言うと、となりに座ったヨナスが
「迷走してしまった。反省している」と答えた。
いつもの裏庭のベンチ。カールハインツの尋問が終わってここに到るまで、社章つき手紙のやり取りが何往復かあり、結果的に私は自室に迎えに来たヨナスとここへやって来ることになった。
私としてはムスタファに近づきたくない気持ち半分、綾瀬とカールハインツのことを相談をしたい気持ち半分というところで悩み、結局今晩も木崎に会うことにした。
それにしても。
ヨナスはムスタファの私室をふたり一緒に出たという。それならルート的に木崎が先についているはずだ。それなのにまだ来ていない。
「様子を見に行ったほうがよくないですか」とヨナスに言う。
「君をひとりにはできない」
辺りを見回す。
ひとりになるのは怖い。だけど木崎だって王子で、身を狙われることがないとは言えないだろう。遅れていることに不安になる。
「怪我は? 痛みは全くないのか?」
とヨナスが尋ねてきた。私の気を紛らわすつもりなのかもしれない。
「ええ、全く」と答えて軟膏を思い出した。「軟膏をありがとうございます」
「何故、私に?」
「ヨナスさんが私に分けることを提案してくれたのでしょう?」
ヨナスが目をパチクリとする。
「だけど香りで――」
「私はそんな事は言っていない」とヨナス。
今度は私が瞬いた。
「あれは彼が魔術師に頼んだ特別品で、調合には時間がかかる。それを丸ごと君にあげてしまった」
「丸ごと?」
そう、とヨナスは笑顔でうなずいた。
だってとか、何でとか、そんな言葉が頭の中を回る。私の知っている木崎はそんなヤツではなかった。落ち着かないおかしな気分になる。
「ヨナスさんが知る彼はどんな感じですか。私の知っている彼と今の彼は微妙に違うみたいで、戸惑います」
「他人に関心がなかったね」即答するヨナス。「幸い私とは打ち解けてくれたけど、他は一切シャットアウト。君が初めてだよ。どんな理由があるとしてもね」
「……あと、綾瀬ですね」
なぜかヨナスはふふっと笑った。
と、足音がした。早足だ。
見ると暗い小路を見慣れた不審者がやって来る。
「悪い。巡回の近衛を回避してたら遠回りになった」
そう言う木崎に、心配したよと返そうとしてこれは一昨々日の逆だと気がついた。
あの晩、私はラードゥロに会って迂回路をとった。そして帰り際、木崎はやたら真剣に気を付けろと繰り返したのだった。それは他人に見つからないようにとの注意なのだと私は思った。
意識が低すぎだ。
どこかでゲーム展開以外に危険なことはないとの考えがあったのだろう。自分に何かが起こるとは考えていなくて、私は木崎が心配してくれていたことにも気づかなかった。
ムスタファとヨナスが一言二言言葉を交わし、ヨナスは去りムスタファがとなりに腰かけた。
「フェリクスの魔法は効いたのか」と木崎。
うんと答えると、それならと彼は袋から酒瓶とタンブラーを取り出した。
「木崎。本当に心配かけてごめん」
「気持ち悪いな。なんか下心でもあるのか? 酒はいつも通りしかやらないぞ」
目深にかぶったフードの下から、ムスタファが胡散臭そうな目を向ける。
「……ケチ」
「ふらついたヤツが生意気言うな」
「二ヶ月近く前だよ」
「だから?」
巧みにすり替わった話をしながら、ムスタファがお酒を注いだタンブラーを差し出す。ありがとうと受け取り口をつける。美味しくて、ほうと吐息する。
それからそれをベンチに置いて、代わりに小さな壺を手にした。昨日もらった軟膏だ。
「これ、ありがとう。嬉しかった。一旦、返す。またケガをしたら借りられるかな」
私なりに考えたベストのセリフだ。ケガは治ったからもう必要ない。持っていても、もったいないだけだ。だけど木崎は一度贈ったものを返されるのは嫌いそうだ。しかも自発的にくれたものならば、尚更。
「ケガする前提で言ってんじゃねえよ。アホが」
「そっか」
確かに木崎の言う通りだ。ベストセリフだと思った自分の間抜けさに呆れてしまう。
「この代金は出世払いな」
「え」
「特製品なんだよ。宮本には不相応。ヨナスが言うから仕方なくやったの」
「……」
いや違うよねと言うか迷い、やめにした。そういうことにしておいたほうが私も助かる。優しい木崎なんて調子が狂う。
「その軟膏、木崎しか持っていないのでしょう。ありがたかったけど、カールハインツに訊問されたの」
「どういうことだ」
不思議そうなムスタファ。
「香り。どうしてあなたしか持っていないはずの軟膏の香りが私からするんだって問い詰められた」
「香りか!」小さく叫んだ木崎は壺を見た。「やべえ、気づかなかった」
やっぱり。
「どうやって誤魔化したんだ?」
「下手に誤魔化しても足が出るから」
カールハインツにした言い訳をそのまま伝える。
ムスタファはふうと嘆息した。
「あいつ、軍事だけの堅物だと思っていたのに、案外貴族的なことにも長けているんだな」
「だね」
「いや待てよ。なんで俺しか持っていない軟膏の香りだなんて分かったんだ?」首をひねるムスタファ。「俺はヨナスの前でしか軟膏を塗らない。香りの元が香水じゃなくて軟膏だと分かるはずがないんだが」
「ケガの箇所から匂うからじゃない?私も木崎の掌から良い匂いがするなと思ったことがあるよ」
「なるほどな」
カールハインツで気づくのだ、何も言わないロッテンブルクさんも気づいているのかもしれないと思いあの後に尋ねてみたら、やはりそうだった。
「ロッテンブルクもか。まあ当然か。となると他にもいるかもな」と木崎。
「綾瀬も」
カールハインツの尋問を終えて廊下に出たら、綾瀬がいた。私の様子を確認したくて待っていたらしい。含みのある目を向ける隊長に元気よく挨拶をした彼は、周りを気にせず私にあれこれ話しかけたあと、ふと真顔になって
「どうして木崎先輩と同じ香りがするのですか」
と小さな声で、だけど不満全開で囁いてきた。
「綾瀬には正直に話したけど」
とそこまで話して、まだ木崎には求婚されたことを伝えてなかったと気づいた。
「あいつにプロポーズされたんだって?」と木崎。
「聞いたんだ。そうなの。急に言われて、びっくりだよ。どうすればいいか木崎に相談したいのだけど」
「どうすればって……。断らないのか?」驚いたような声。
「断るよ。だけどゆっくり考えてから返事をしてくれと言われてるの。すぐに断るのと、ゆっくり考えた結果として断るの、どちらが綾瀬のダメージは少ないかな?」
「即、断れ。どうせ綾瀬はへこたれない」木崎はきっぱりと断言した。「ついでにあいつの頭の中じゃ、もう挙式にまで進んでいる」
「挙式!? 昨日の今日で!?」
「昔から極端なんだよ」
「それはカールハインツも話していた。そうそう、レオンまで惑わせているのかって責められたんだよ」
ついでに思い出した苦いことは隅に追いやる。
「すぐに返事をするよ。期待を持たせたら悪いもんね。ただ、返事をさせてもらえるかが微妙だけど」
今日も、ゆっくり考えてと念押しされてしまったのだ。
「ゲーム的にはどうなんだ。カールハインツが知っているのはマズイんじゃねえの?」
「どうだろうね。真摯に対応しないのは悪印象になると思うけど、当然のことだし。ゲーム要素以外が多過ぎて、判断がつかないんだよね。今日なんて――」
にへらと顔がだらしなくなるのが自分でも分かる。
「ツンからのデレをいただきました。頭をよしよししてもらっちゃった」
「赤ん坊か!」すかさず入るツッコミ。
「いいの。ロマンなの。騎士の大きな手でよしよしだよ。可愛がられている感があるじゃない」
「意味が分からねえ」
「木崎はツンしかなさそう」
「俺がデレるとか、自分でも気持ち悪い」
「ムスタファなら有りだけどね」
だけどヨナスからなんて嘘をついて軟膏をくれるのは、隠れデレなのだろうか。
頭に浮かんだそんな考えに、なんだか居たたまれなくなって、ワインをこくこくと飲んで誤魔化した。木崎のデレなんて、私に向けられるはずがない。あれは親切だ。
いや木崎に親切なんて言葉も似合わないけど。
ふと視線を感じてとなりを見ると、ムスタファがフードの下から私をじっと見ている。
「どうしたの?」
すっと手が伸びてきて頭に乗る。
「よしよし。可愛い赤子だな」と木崎。「どうだ、ムスタファのデレは?」
「ただの嫌味じゃない! やるならちゃんとセリフも決めてよ!」
「無料でそこまでのサービスはできん」
「自分が始めたのに!」
再びワインをこくこくと飲む。
ああ、焦った。いくら中身が木崎でも外見はムスタファ。真正面から見たら、月の王と讃えられる美貌の王子以外の何者でもないのだ。
悔しいけど、うっかりときめきそうになってしまったよ。
何か全く違う話題をと考えて、カルラのことを話した。私のケガを心配して泣いてくれたことや、これから一日置きに格闘系人形遊びをすることだ。すると木崎は
「カルラといえばきのうの昼間、俺の部屋を覗いていたな」と言った。「ヨナスが迷子かと声をかけたら違うと叫んで、その声に専属侍女たちが駆けつけたんだ。また逃げ出して探険でもしてたのかもな。懲りねえヤツだよ」
それってもしかして。
「お礼を言いに来たとか」
先日の大捜索のとき、兄のムスタファも庭に出て捜していたと伝えたと話す。
「礼ねえ。前の俺はあいつとろくに話したことがなかった。肝だめし的な探険だろ、きっと」
ムスタファはそう言ったけど、どこか照れくさそうな顔だった。
「ていうか格闘系人形遊びって何だよ」
そこで昨日の激しい人形遊びの話をすると、木崎は爆笑。あいつ面白いななんて楽しそうにしていた。
それから幾つかとるに足らない会話をしたあと、そろそろお開きということになった。
片付けをして立ち上がって。木崎は
「あいつは入り口の辺りにいるから。そこまでは俺について来ていいぞ」と偉そうに言った。
「先導料をまた出世払いさせる気? 私の出世って何だろう。見習い卒業? カールハインツとのハピエン?」
「そりゃ出世とは違うだろ。どうも今日はキレが悪いな。調子が戻ってないんじゃないか」
木崎はそう言ったかと思うと、また手を伸ばした。今度は私の左頬にそっと添えられる。
「フェリクスのヤツ、きちんと治せているのか? また中途半端にしてんじゃねえの?」
「治っているよ。問題なし」
「そう」
手が、離れていく。
心臓が、ドッドッとうるさい。
いくら中身が木崎でも、外見はムスタファ、月の王と讃えられる美貌なんだってば!
心の中で叫ぶ。
急に真顔で頬なんて触れられたら、どうしていいのか分からない。
そっちは女の子の顔なんて触り慣れているのかもしれないけど、私は免疫がないのだ。悔しいから言わないけど!
さっさと歩きだしたムスタファの後ろを歩く。到底となりの気分じゃない。
ああもう本当に。喪女とからかうくせに、そういう配慮は足りないのだから。後ろから膝かっくんでもしてやろうか。それはさすがに小学生か。というかムスタファと身長差がありすぎて、そもそも難しい気もする。
ヨナスが現れて、ムスタファと言葉を交わしている。その横顔が月の光に照らされている。
「そうしているといかにも『月の王』という感じ。近寄りがたいよね」
思わず本音をポロリとこぼす。
「あ?」と王子らしくない声を出したムスタファは「お前に遠慮されるなんて気味が悪い」と鼻で笑った。
なんだかほっとしたのは、秘密にしておく。
おまけ小話◇従者は推測する◇
(ムスタファの従者、ヨナスのお話です)
マリエットを部屋に送り届けてムスタファ様の私室に戻ると、定位置の長椅子に座った彼は、灯りの乏しい中で何故か右手をまじまじと見つめていた。私に気がつくとすぐにやめたが、どうせ彼女絡みだろう。
「鍵が掛かるのを確認しましたよ」と報告をする。
侍女部屋には内鍵のみだが鍵がついている。良いシステムだ。侍女本人も、本人以外も安心して夜を過ごせる。
「ヨナス。軟膏の香りで、私があれを宮本に渡したことが何人かに知られた。お前、考えつかなかったのか? いつも細かいところに気がつくのに」
「てっきりムスタファ様はご承知かと思っていました。マーキングのつもりなのだとばかり」
「マーキング!?」
ムスタファ様がらしくない、すっとんきょうな声を上げる。
「ええ。あなたしか持っていない香りを彼女にまとわせて、マリエットは自分のものだと主張したいのだろうと」
「そんな訳があるかっ」
薄暗い中でも分かるほどに、ムスタファ様の顔が紅潮している。
「あいつはそんなのではないと、何度も言っているだろう」
「そうですね」
何を考えているのだとぶつぶつ文句を連ねるムスタファ様。
彼の中の別人の記憶、キザキは三十歳だという。だからなのだろう、ムスタファ様は自分は成熟した大人のつもりでいるようだが、私からすればまだまだ世間知らずのお子様だ。以前がどんな人間だったのか詳しく知らないが、ムスタファ様自身は恋をしたこともないし、女性と色っぽいことになったこともない純朴青年なのだ。
今晩マリエットと会う場所が裏庭になったのだって、あれこれ検討した結果となってはいるけれど、多分にムスタファ様の下心が入っていると思う。
この部屋に彼女を呼ぶのは、出入りを人に見られるとまずいからダメだなんて理由をつけていた。だが本心は違うだろう。ここだと卓を挟んで向かい合わせに座ることになる。
それに比べて裏庭。ひとつのベンチに並んで座る。ふたりの間に飲み物やら何やらを置いたとしても、せいぜいが人ひとり分の隙間だ。私室よりも断然距離が近い。
まあ、本人は無意識かもしれない。だが気がついていないだけでその下心は絶対にあると思う。
でなければわざわざ変装をして、不便な裏庭なんて行かないと思うのだ。




