2・1推しとの遭遇
侍女になってから十日目。なかなか攻略対象を見かけない。ゲームでは彼らにホイホイ会っていたけど、実際は都合良く遭遇できるものではないらしい。何しろこの王宮は広くて複雑な造りだ。遭遇したのは二人の王子と隣国の王子だけ。ロッテンブルクさんと離れたところから見ながら、顔と名前を覚えるようにと言われたのだった。
王妃に呼ばれたロッテンブルクさんにくっついて、廊下を足早に進む。
すると前から部下を引き連れたカールハインツがやって来た。頭の中で教会の鐘がリンゴンと鳴る。なんてラッキーなのだ!
キリリとした表情に颯爽とした足さばき、大きく振られる腕。リアルで動くカールハインツのなんとカッコいいことか。副官と話しているので私に顔を向けてはくれないが、それでもいい。見られただけで幸せだ。いや、同じ空間にいられただけでもう、逝きそう。あぁ、早く出会いたい。
「だらしねえ顔」
突如耳元でささやかれた声に
「うわっ!」
と声を上げる。
「どうしました!?」
振り返るロッテンブルクさん。
「私が話し掛けたことに驚いたようだ」しれっとそう答えたのは、ムスタファだった。
いつの間にか私の至近距離に出現している。
いつどこから来たんだ、魔法を取得したのか、近寄らない約束はどうした。
言ってやりたいことは幾つもあるがこらえて、悲鳴を上げたことをロッテンブルクさんに謝る。
彼女は納得できなそうな顔をしていたけれど、毅然と王子に向かって
「マリエットに何かご用でしょうか」
と言った。カッコいい。
「先日に少しだけ言葉を交わしたから挨拶をしたのだが、驚かせてしまったようだ」
答えるムスタファは、丁寧な口調に能面のような顔。
あれ、木崎じゃないのかな。さっきのは空耳だったかな。そう感じるほどに、ゲームのムスタファっぽい。
彼のやや後ろでは従者が剣呑な目をして主を見ている。
「ご用がないのでしたら、彼女を連れて行ってもよろしいでしょうか。妃殿下に呼ばれております」とロッテンブルクさん。
ムスタファは鷹揚にうなずくと私に向かって「行け」と言った。
が、続けて声は無しで口が動く。『マヌケ』。そしてニヤリと笑う。
ふざけんな、と言えないのが悔しい。ちょいと膝を折ると、ロッテンブルクさんから見えないよう睨み付けてやり、ヤツから離れた。
何が『マヌケ』だ『行け』だ。命令するな、話しかけるな。世間に魔物とのハーフだとバラしてやるぞ。それを知っているのは、ほんの数人しかいないのだからな。
内心で烈火のごとくに腹を立てていると、ロッテンブルクさんが背後を確認してから
「本当に挨拶だけですか」と訊いた。
『セクハラされました!』と答えたら、あいつの立場は悪くなるだろうか。少なくとも『月の王』のイメージはガタ崩れだな。
だけどウソをついてまで相手を陥れるのは、好きじゃない。残念だけど
「はい」と答える。
「それならばいいです。ただし侍女がおかしな声をあげるのは、なりません。はしたない」
「すみません。殿下の存在に気がつかなくて、驚いてしまいました」
「それも問題です。前から来ている王族に気づかないなんて、注意力が散漫すぎます」
「え。来ていましたか?」
「近衛兵の後ろに」
なるほど。カールハインツにみとれていて他の人間が目に入っていなかったらしい。
「教えたはずです。王族に挨拶を忘れてはいけません」
ロッテンブルクさんによると、王族の中には、些細なミスでもネチコク三時間も説教する人もいるという。
「申し訳ありません。気を付けます」
「特にあなたは他人につけこまれる隙を作らないように注意なさい」
「はい」
ロッテンブルクさんがチラリとこちらを見た。
「……あの目立つ顔を見逃す若い娘がいるとは思いませんでした」
「好みじゃないので」
小声で返すと、彼女は首を縦に振った。同意の意味なのか、了解という意味なのかは分からない。
「だけど殿下はあなたを気にしているようですね。注意なさい」
『気にしているのではなく、からかうネタを探しているのです』とは言えないので、おとなしく承知しましたと答えておいた。