11・5攻防
「一昨日の夜、裏庭で密会していただろう?」とフェリクス。「君はムスタファを『キザキ』と呼んでいた。どうしてだ?」
ムスタファが私を隠すかのように身を乗り出した。
「それを知ってどうする」
「想う相手に特別な仲の男がいるのだ。知りたいと思うのが当然の感情だと思うが」
「ふざけた答えはいらない」
「ふざけてなどいない。それとも君は私がマリエットを想うのはふざけた気持ちと断じておきたいのか」
静寂が訪れる。見えないけれど険悪な睨みあいでもしているのかもしれない。
ムスタファの袖を引っ張る。不機嫌な顔が振り返った。
私に話をさせて。そう言おうと思ったのだが、
「それに」とフェリクスが続けた。「『キザキ』と呼ばれるムスタファは、まるで別人の言動だ。どういうことなのだ」
「説明したくない」木崎が背を向けてまた言う。「こいつの傷を癒してから、それでは秘密を話せと迫る。やり口が汚い」
「そんなつもりでは」
ふふっ、と思わず笑ってしまった。あれほどあった緊迫感が和らぐ。
「何を笑っているんだ」と振り返る木崎。
「だって手段を選ばなかった木崎が『やり口が汚い』って。おかしいじゃない」
知られてしまっているなら、隠す必要もない。いつもどおりに木崎と呼び話す。
「俺はいいの。他人のは許せない」
「さすが自分勝手」
私は身を乗り出して、フェリクスを見た。
「治癒して下さったことは感謝します。ですから、私たちは殿下が考えるような間柄ではないけれど仲は良いのですと、お答えしましょう。それ以上をお知りになりたいのでしたら、こちらの質問にお答え下さい」
「ふうん。仲良し、ね」
「それから私は殿下にはこれっぽっちも興味はありません」
「ならば私は何番目ぐらいに良い男だ? 君の中で。一番がシュヴァルツ。二番目か?」
私がカールハインツを好きだなんてフェリクスに話したことはない。
「殿下はどこまでご存知なのですか? 怖いを通り越して気持ち悪くなってきました」
「ストーカーだな」と木崎。
それには答えずフェリクスは、
「二番はムスタファか?」と尋ねた。
「まさか」と木崎と私の声が重なる。
「二番以降はいません」と付け加える。
「それなら望みはあるな」とホクホク顔のフェリクス。
どういう思考回路をしているのだろう。
「それなら二番はテオで三番はレオン・トイファー」
「は?」と木崎が振り返る。
「助けてもらったから」
「あや……、レオンが俺より上? おかしくないか?」
「私のランキングに入りたいの?」
「フェリクスよりは上に入れろ」
「仲が良いのは分かった。見せつけなくていい」とチャラ王子。「だが何故二番がテオ・ロッテンブルクなんだ」
「癒されるからです」
フェリクスは意味が分からないという顔をして、ムスタファはさすが喪女と言った。
「それで君は私に何を質問したいのだ」とフェリクス。
「まずは一昨日の夜に私たちが会っていたことを、どうして知っているのですか」
「酔い醒ましに庭を散歩していたら、声が聞こえた」
わざわざ裏庭を?と思うが、次の質問をする。
「私たちのこと、ムスタファ殿下の態度がちがうことを知っているのはあなたの他に誰でしょうか」
「私の従者、ツェルナーだけだ。他言するつもりもないから安心するといい」
フェリクスは笑みを浮かべている。
安心、と考える。第一王子と私の関係は表沙汰にならないことが一番だけど、なにがなんでも秘密を保持しなければならないことではない。
孤児院出身の私を王子が憐れんでくれたなど、いくらでも言い訳は立つだろう。
フェリクスの言葉が真実でも嘘でも、大丈夫。
「ありがとうございます。殿下を信用いたします」
にこりと笑みを浮かべる。
ムスタファはちらりと私を見ただけで、何も言わなかった。
「それでは私の番だ。何故ムスタファが『キザキ』なのだ?」
フェリクスが再び問う。ムスタファは相手から見えない位置で左手を上げた。私を制するように見える。それから
「その名前で会ったからだ」と静かに答えた。
「王子と侍女見習いとして会う前に、別の場所で知り合った。その時私はキザキと名乗り振る舞いも違った。王宮で再会したのは偶然でお互いに何も知らなかったから驚愕したが、友情は変わらずというところだ」
私も、そのとおりとうなずく。
ムスタファは事実を述べている。話していないことが多いだけで。
「ふうん」
とフェリクスも納得している様子ではない。
「これ以上は話さない」とムスタファ。「お前と私たちはそこまで親しくはないからな」
冷然とした月の王らしい声。
「まあ、構わない」フェリクスは案外軽く答えた。だが、「マリエットが私の恋人になれば『親しい仲』だ。そのときは説明してくれるな」とにっこり。
「ほとほと図々しい男だな」
「もしくはムスタファが私に心を開いたならば」フェリクスはそう続けた。「近頃の君は面白い。冷ややかな顔を保っているその下で、強烈な負けず嫌いさを爆発させていたりする。剣の手合わせとかな」
「嫌われたいとしか思えません」
思わず口を挟む。
「ん。そうか」とフェリクス。「そんなつもりは一向にないのだが」
どこがだ。ムスタファを苛立たせたいとしか思えない。
「以前のムスタファはつまらぬ男だったからな。君が変わったから構いたいのだ。許せ」
どこまで本気か分からない。だけど声には、私を治したいと言ったとき同様に普段の軽薄さはないように聞こえた。
それを感じ取ったのかムスタファも一言、勝手なことを言うなとだけ言ってそれ以上はこの話題を続けなかった。
それから幾つかとるに足りない話をすると、フェリクスはそろそろ帰るかと立ち上がった。
「マリエットはよく寝て休まないといけないからな。良い眠りの魔法をかけようか?」
「遠慮します」私も立ち上がり答える。
「フェリクスの魔法では何をかけられるか分かったものではない」とムスタファ。
「信用しなさすぎではないか」とフェリクス。「ではマリエット。魔法はかけないがよく休むように。明日の朝、呼ぶからな」
「承知しました。ありがとうございます」
「君は帰らないのか」フェリクスはベッドから動かないムスタファを見た。
「お前が出たら帰る」
チャラ王子は肩を竦めた。
「おやすみ、マリエット。キスをしたいところだが、今夜は諦めよう」
そう言ってフェリクスは投げキスをした。
思わず避ける。
「……酷くないか」
「すみません、つい」
「本能だな」とムスタファ。「彼女は軽薄な男が嫌いだ」
「真面目なら善人という決まりはないぞ」とフェリクス。「早く私を好きになるといい。では、明日」
そうして軽薄な王子は部屋を出て行った。
「俺も帰る」
振り向くと木崎が円卓を片付けていた。
「ココアは温めなおせるだろ? 置いていく」
お菓子を袋にしまい、ゴミは自分が使ったタンブラーに詰め込む月の王。
「王子らしさが欠片もない」
「お前は可愛げが欠片もない」
間髪いれずに返された。いつもの雰囲気にほっとする。
「明日は俺も行くけど」と木崎。「可能ならロッテンブルクに付き添ってもらえ。ダメなら誰でもいいから侍女」
「分かった」
「フェリクスは何を考えているのか分からない。酔いざましで裏庭にいたというのは嘘だろう。あいつはザルって話だ。女連れだったというなら信憑性があったんだがな。気を許すなよ」
「了解」
今日の木崎はやけに過保護だ。フェリクスから私を隠すように動いたり。
ありがとね、と心の中だけで感謝する。まさか木崎にこんなに心配される日が来るとは思わなかった。
「綾瀬の話はまた今度聞く」
綾瀬。フェリクスの登場ですっかり忘れていた。むしろ木崎はよく覚えていたよ。
「そうね、また今度」
「鍵をしっかりかけろよ」
木崎はそう言って、おやすみ、とタンブラーを片手に部屋を出て行った。
木崎だけどムスタファだから優しいのだろうか。
閉じられた扉に鍵をかけながら、そう考えた。




