11・1理不尽
日がだいぶ陰り、廊下も燭台が灯され始めていた。
どうやらカルラに気に入られたらしい私は彼女に呼び出されて、人形遊びを共にした。その帰りだ。
声を掛けられたときは、シュヴァに憧れて剣術を習いたい姫も人形遊びをするのかと微笑ましく思ったのだが、違ったらしい。
剣をやりたいと駄々をこねるカルラに乳母たちは頑として首を縦にふらず、泣きつかれたやんちゃ姫は彼女たちが勧める人形遊びを受け入れた。ただし相手はマリーじゃなきゃイヤとの条件をつけて。
私が伺ったころには姫の機嫌は良くなっていて、顔を見るなり人形を手渡されてごっこ遊びが始まった。
人形なのに私の服よりも高そうなドレスを纏った令嬢は『アンサツシャ』。一方で姫の持つ人形は本物らしき宝石のはまったティアラを着けた姫君だけど、『シュヴァ隊長』。
カルラはたどたどしいながらも勇ましく口上を述べ
「成敗!」
と叫び、見えない剣を振るってアンサツシャと戦った。私があっさり負けると怒るので、接戦を演じなければならなかった。
人形遊びというより、ヒーローごっこだ。
果たしてこの遊びはいいのだろうかと乳母を見たら、頭が痛そうな顔はしていたけれど口出しはされなかった。
二時間近くもこの遊びをして、カルラは満足したようだ。別れ際に『またしようね』と誘われた。
あれだけ母親に可愛がられて大切にされているカルラでさえ理解者は少ないし、同じ年頃の友達はいない。
それならムスタファはどんな幼少期だったのだろうと考えてしまう。
時々近衛や侍従侍女がいるけれど、時間帯によっては居住区の廊下は人気が少ない。
こんな広い王宮に住んでいて他人との交流がないと、相当に孤独なのではないだろうか。
ひとりで勝手に淋しい気持ちになっていると、部屋のひとつから男が出てきた。バルナバスの友人で、私を見ると必ずバカにした笑みを浮かべるいけすかないヤツだ。
確か伯爵家の嫡男だけどバルナバスの他の友人に比べて、底が浅そうな印象だ。
ヤツは私に気がつくと、ちょっとと呼んだ。仕方なしに近寄る。
「具合の悪い令嬢がいる」と彼は出てきた部屋を指し示した。「私は医者を呼んで来るから、付き添ってやってくれ」
それは大変だ。
「かしこまりました」と部屋に入る。特に使用意図のない部屋には、長椅子が二脚とひとり掛けの椅子が数脚ある。が、どこにも令嬢の姿はない。もしや物陰で倒れているのかと奥に進んだところで、バタンと扉が閉まる音がした。
慌てて振り返ったところを突き飛ばされ、床に倒れこむ。その私の上に、何かが乗っかった。いけすかない伯爵令息だった。
「楽しもうか」
と下卑た笑みを浮かべる。
暴れても相手はびくともせず、声をあげようとしたら口を塞がれる。恐怖でどうすればいいのか分からない。
『万が一のときは攻撃をして構いません』
突然、頭の中にロッテンブルクさんの声が響いた。それは王宮に上がってすぐ、侍女の心構えを教えてもらっている時だった。
『あなたを侍女にするよう動いた方が、許可をしています。後処理もして下さるそうですから、もし身に危険を感じることがあれば、躊躇わずに反撃をしなさい。魔法も使いようによって良い武器になります』
ロッテンブルクさんは、そう言った!
もごもごと、塞がれている口を精一杯に動かし集中する。
次の瞬間、下衆男のクラヴァットに火がついた。
「っ!! 熱っ!!」
相手が慌てたところで下から抜け出し、扉に駆け寄る。
「あ、待て、この野郎!」
部屋を飛び出し、助けてと叫ぼうとしたが声にならない。
突然結った髪をものすごい力で引っ張られて、ガクンとのけ反る。
また捕まったという恐怖。その時。
「何をしているっ!!」
そんな叫び声が聞こえたかと思うと駆けてくる足音がした。頭が自由になる。
助かった、ようだ。
走ってきた誰かがへたりこみそうになった私を抱き止め、と思ったら何やら激しい音がした。
「先輩! 大丈夫ですか! 先輩!」
……せんぱい。
私を抱えている人を見上げたら、レオンの顔だった。
「……綾瀬……」
とたんに安堵が広がる。綾瀬なら、大丈夫。助かった。
「……大丈夫。大丈夫。ありがと」
気が緩み、ついでに涙腺まで緩む。
「先輩っ!」
心配してくれたのだろう、綾瀬がぎゅっと抱き締めてくれる。
「おい。あいつ気絶してるぞ。やり過ぎだ」
聞きなれない声がした。年配の近衛だった。
「どこがですか! 足りないぐらいですよ! 女性に暴力なんて!」綾瀬が叫ぶ。「せ……。マリエットは私が安全なところへ連れていきますから。あとはお願いします」
ふたりは何やら言い争っていたが、やがて綾瀬は私を抱えあげた。
「おとなしくしていて下さい。ロッテンブルクさんの仕事部屋にお連れしますから」
「……恥ずかしいのだけど」
顔は綾瀬側の向きで、体格が大きいものだから首を巡らせない限り周りは見えない。でも恥ずかしいものは恥ずかしい。
だが
「怪我人は黙って!」と一喝されてしまった。
怪我……なんてしただろうか。
まだ心臓はバクバクしているし、よく分からない。
とりあえず助かり、事なきを得た。
「ありがと、綾瀬」
「……レオンです」
「ありがと、レオン」
「どういたしまして」
「木崎には言わないでね。こんな情けない話」
「……先輩って結構なバカだったんですね」
なんだと。綾瀬のくせに。
反論しようとしたところで
「どうしたの!」
と女性の声が聞こえた。覚えがあるから侍女の誰かだろう。
「殴られて怪我をしました。ロッテンブルクさんに仕事部屋に戻るよう、伝えてもらえますか」
綾瀬が澄ましたレオンの口調で言う。
了承の声と足早に去る音。
「気づいていないでしょう」と綾瀬は再び私に話しかけた。「唇が切れているし、他も酷い。平気なフリなんてしないで下さい。あなた、ずっと震えてますよ」
震えている? 私が?
綾瀬の腕に力が入った気がした。




