9・1親睦会
木崎のやけ酒に付き合った翌日の夕方。ロッテンブルクさんから社章と数字の一が書かれた封筒を渡された。中身は簡潔に、
『綾瀬もありえないと驚いている』
とだけ書かれていた。
なんだか調子が狂う。木崎が木崎らしくないことばかりをする。
前世だったら絶対に綾瀬に尋ねてくれない。しかもこんな早くに。更に手紙で知らせてくるなんて。
あんな無様な敗北のあとに私と顔を合わせようなんてこともらしくないし、愚痴るなんて天変地異なみ。
そもそも定期的にふたり飲みをしていることも、おかしい。
……『木崎』と呼んではいるけど、本当は木崎の記憶があるだけの王子ムスタファで別の人間だ。
だからなのだろうか。
◇◇
瞬く間に二週間が過ぎた。
カールハインツとは二度ほど出くわして、以前と変わらない様子で近況確認をされた。私の恋心に気づかなかったのか、気づいたけれど知らないふりをして職務を優先しているのかは、分からない。
綾瀬のレオンに尋ねたくはあるけれど、あいつはいつもツンとして素知らぬふりをしているので訊きづらい。私にまだ怒っているのだろう。
木崎にも会っていない。王子ムスタファとしては一度廊下ですれ違ったけれど、それだけ。
侍女たちの噂では、剣の稽古を相当しているようだ。それから積極的に交遊も。あまりの変わりようにご令嬢方が浮き足だってお近づきになろうとがんばっているらしいけれど、今のところ成功したひとはいないという。
私はそれなりに攻略対象たちと出会って、ゲームで見たような場面を体験したりしている。彼らに気を持たせるような言動はしないで、そつのない侍女としてふるまっているつもりだ。
ステータスは全く出る気配がなくて、初対面のときだけの特典だったのかもしれない。
私に好感を持ってくれていそうと感じられるのは、テオとフェリクス。テオとは良き見習い仲間という雰囲気。フェリクスは……ぶれないヤツだ、と言っておこう。
侍女の仕事は順調で、意地悪をされるのは変わらないけれど、ルーチェとは多少だけど話すようになったし、彼女から聞いてお猫様の世話を代わってほしいとやってきた何人かの侍女の頼みを聞いて、その代わりに髪結いの練習台になってもらったり、仕事を斡旋してもらったりしている。
信頼できる侍女はまだいないけれど、ロッテンブルクさんには人間関係をがんばっていますねと褒められた。
「それで、何の仕事なんですか?」
となりを歩くルーチェに尋ねる。廊下には夕方に近い刻限の柔らかな日差しがさしている。
歩いているのは城内の居住エリアだけれど、私はあまり来たことがないところだった。
昨日ルーチェに、仕事を手伝ってほしいと頼まれて二つ返事をしたものの、内容を説明するのは時間がかかるからその時にするとのことだったのだ。
「……そうね」と歯切れの悪いルーチェ。「説明が難しいのよ」
頭の中に、ゲームでの様々ないじめが思い浮かぶ。倉庫に閉じ込めや集団に囲まれての罵倒、意味のない仕事の押し付け。
彼女がそんなことをするとは思いたくないけど、様子はおかしい。
どうしようと思っているうちに、彼女は扉が開放されているとある部屋に進み、中に向かって
「ルーチェです」と声をかけた。
やられた、と瞬時に悟った。中からどうぞとの声がしてルーチェが入る。
私はどうする。帰るか。いや、ロッテンブルクさんの元へ走るか。
「何をしている。早く入れ」
部屋からそんなセリフと共にフェリクスが出てきた。そこは彼の部屋なのだ。
「……お仕事は何でしょうか」
「そんなに警戒するな」
と、にこやかなチャラ王子は近寄ってきて私の腰に手をまわした。
「手助けてほしいのだ。男に素っ気ない娘が必要でね」
なんだその状況は、それにルーチェはそんなタイプではないのではと思いながら、がしりとまわされた腕から逃げ出せないまま部屋に入る。
フェリクスらしくない、豪奢だけど落ち着いた色彩の調度品が並ぶなか。ローテーブルを挟んで向かい合わせに置かれた長椅子には、感情が感じられない顔をしたムスタファがゆったりと腰かけていた。
私を見てわずかに表情が動く。マリエットが来るとは知らなかったようだ。
そこにいるのは彼と先に入ったルーチェだけで、王子たちの従者もいない。
「君は彼のとなりに」とフェリクスはルーチェに声をかけ、私は自分のとなりに強引に座らせた。
「飲み物はそこのテーブルから。ルーチェたちの分もある」とフェリクスはそばに置かれたテーブルを示した。
「意図を話せ」
とムスタファが温度を感じさせない声を出した。私とふたりだけで話しているときとはまるで違う。
「言っただろう。私は君と親交を深めたい」
フェリクスは胡散臭い笑顔を浮かべている。
「それは聞いた」とムスタファ。
「君は私を好きではない。差し向かいだと話は弾まないだろうから、他の人間を交えてカードでもしようということだ。ちゃんと君でも耐えられそうな騒がしくない女を選んだのだ。偉いだろ?」
ムスタファがちらりと私を見た。
「近頃お前が熱心に口説いている侍女だな」
「おや。知っていたか。噂など低俗と切り捨てていたムスタファ王子が」
「お前が自分で私に言ったのだろう。可愛い見習いが入って楽しみだ、と」
「よく覚えているな。ひとつき以上前の話なのに」
どう見ても親交を深めたいとは思えない皮肉なやり取りだ。それともこれがふたりの間では通常モードなのだろうか。
ルーチェを見たが、彼女も困った表情で私を見ていた。
フェリクスが手を伸ばして卓上の小箱を手にした。中からトランプを取り出す。
「いいではないか。私は君とも彼女とも仲を深めたいのだ。ポーカーをしよう」
「殿下。私はポーカーは分かりません」
私がそう言うとフェリクスは完全に想定外だったようで、驚いた顔をした。だがすぐに笑顔になり
「では私が教えよう。君と私で一組だ」と言って肘が触れそうなくらいに間をつめてきた。
反射的に離れる私。
「お前は何ならできる」
そう尋ねてくれたのは、ムスタファだった。
「ババ抜きなら」
私が答えると、玲瓏な顔に一瞬だけ表情が浮かんだ。絶対に吹き出しそうになったのだ。木崎みを感じてほっとする。
だけどその変化はすぐに消え、月の王は澄まし顔で
「では一度だけそれをやって、しまいにしよう」と提案。
私、力強くうなずく。
「仕方ない」
フェリクスは意外にも素直に了承して、カードを配り始めた。




