8・4夜の反省会①
ムスタファ、というか木崎は何のために剣術を始めたのだろう。綾瀬のレオンを誘ったときはスポーツ代わりにといった軽い感じだったけど、違うだろう。
陸上でインターハイに出ているようなヤツだ。スポーツを軽く済ませられる性分でない可能性だってあるけど、それが理由ではないと思う。
そんなことを考えながら湯浴みも終えて部屋に戻り、灯りをつける。
とたんにこつんと窓が鳴った。
そんなバカな。木崎が今、私と顔を合わせたいはずがない。戸惑って慌てて窓を開けると、下にはいつもの不審者が酒瓶片手に立っていた。ちょいとそれが持ち上がる。
「今行く」
そう伝えてランプを手に取った。
◇◇
いつものベンチに行くと、いつものように不審者がタンブラー片手に座っている。
「なによ、やけ酒?」
「俺はそんなもんは飲まない。いいから付き合えよ」
その声は明らかに不機嫌だった。すでに半分ワインが注がれたタンブラーがベンチに置いてある。それを取り、腰をおろした。
「見事な完敗だったじゃない」
「……剣も出来るとは聞いていたが、あそこまでとは思わなかった。見下していた自分を殴りたい」
「私が一発いれてあげるよ。どこがいい? 顔? お腹?」
「顔だと騒ぎになる」
「よし、帰りにお腹ね」
木崎は深いため息をついたあとはベンチの背にもたれかかり、タンブラーを持ったまま黙り込んだ。
私は今夜の月は半月と満月の間ぐらいだ、あれに名前はあるのだろうかと考えながら夜闇の中に浮かぶものの輪郭をたどり、ワインをちびちびと飲む。
かなりの時間が過ぎて、そろそろタンブラーが空になるという頃。
「ヨナスと綾瀬が」と木崎がぼそりと言った。「『まだ剣を始めて半年以下』『フェリクスの腕前は一級』とか慰めてくんだよ」
「まあ妥当だよね」
「それが余計に腹が立つ」
「目の前に落ち込んでいる人がいたら、普通の人は慰めないとと思うんだよ。木崎のプライドの高さが普通じゃないの」
「……知ってる」
「自覚はあるんだ」
笑ってやる。
「そりゃプライドと意地だけで生きてたし。木崎だったときはだけど」
とムスタファは言って、ワインをゴクリと飲んだ。
「……もっともヨナスはそんなことは知らないからな」
「ゲームのムスタファって、全てに執着がなさそうなイメージ。感情も平坦でさ」
「……そうだな」
ムスタファはまた長く息を吐いた。
「八つ当たりだとは分かっているんだ。俺の性格が面倒くさい。でも腹が立つ。くだらない慰めで余計に惨めになる。負けるのは死ぬほど嫌いだし、言い訳するのはもっと嫌いだ」
「プライドが半端なさすぎだよ」
「……知ってる」
「ほら、飲め飲め」
私たちの間に置かれた瓶を手にとり、木崎のタンブラーに注ぐ。それから自分にも。
「自分が飲みたいだけじゃねえか」
「バレたか」
はははと笑って、口をつける。
「宮本に愚痴るしかないのも腹立つし、お前に気を遣われるのもムカつく」
「我が儘すぎ。だったら可愛くてしたたかな恋人でも作れば?」
「この性格見せたら引かれるだけだろうが」
「だね」
「それに興味はない。俺は木崎の記憶はあるけど木崎ではないからな」
「……そうだね」
ちらりと見れば、そこにいるのは第一王子ムスタファだ。なんとなく淋しい気分になりながら、だから私に愚痴る気になったのかなと考えてみる。前世だったら絶対にありえないことだから。
「下手に手を出したら、絶対面倒事になるし」
「本音はそっちか」
木崎はまたため息をついた。
「ああ、ムカつく。なんで俺は何もできねえんだ」
「知るか」
「情けねえ」
「そうだね。でも私のお酒係りとしては役に立ってる」
「宮本の役に立てても嬉しくねえし」
「ま、ほどほどに。最初に木崎が言ったんだよ。『前世の記憶があるだけで身体は別人。前と同じようにしたら危ない』って。どう考えたってムスタファに木崎の体力はないでしょ」
またしても黙り込む木崎。不貞腐れた顔をしている。
「……半魔だからあるかもしれない」
「その可能性を感じたことがあるわけ?」
「……これから開花」
「言ってて空しくなってるでしょ?」
「勝手に察するな!」
木崎は何度目になるのか分からないため息をついてから、
「分かってはいるんだ」と言った。「俺は体力がない。だから少しずつ進めるしかなかった。焦ってもしょうがないって頭では分かってるけど、ムリ」
「ほんと、厄介な性格だね」
「時間が足りない。やりたいことは山のようにあるのに」
「大丈夫でしょ。あれだけ働いて彼女とぎらせないでジョギングが日課。時間の使い方がうまいじゃん」
木崎のムスタファが今夜初めて私に顔を向けた。
「悔しいけど。切り替えも上手なんだろうね。だけど自分で言ったことは守りなよ。少なくともヨナスと綾瀬は心配するでしょ。私はしないけど」
「……そこは嘘をつけよ」
「『え~、まりか、木崎くんがめっちゃ心配だよ』」
「棒読みやめろ。てか、お前の名前まりかだっけ?」
「ちがう。適当。嘘でも言いたくないじゃん」
ぷはっ、とムスタファは吹き出した。
ツボに入ったのか、しばらくくっくと笑っている。
「聞いてもいいかな?」
「なんだよ」
「なんで剣術を始めたの? スポーツ代わりって嘘でしょ?」
「……可愛くねえな、お前」
「問題ない。カールハインツにだけ可愛いと思ってもらえればいいから。ま、話したくなければいいけど」
またしばらくの間があって。
『だって討伐されたくなかったから』
ムスタファはそう言った。「どう頑張っても魔法が使えない。それなら剣を極めるしか、今の俺には防御の手立てはないだろ」
やっぱりか。そんな考えなのではないかと思っていたのだ。強力な魔法を使うバルナバスに剣で対抗できるとは思えないけど、彼ができる回避方法はそれしかなかったのだろう。
「剣を使えたからといってバルナバスに勝てるとは思ってないが、なにもしないでヒロインが来るのを待ってるのも嫌だった」
そうだね、と同意する。
「……ヒロインがお前で最初はほっとしたけどな。バルナバスエンドはないって信じているけど、ゲーム後に俺が半魔だと知られて討伐される可能性がなくなった訳じゃない」
「……それは考えてなかった」
半魔だから魔王化しなくても討伐されるなんてことがあるだろうか。
問題はそれがないと言いきれないことだ。
となりを見ると、月の王と称えられる王子がこちらに美しい顔を向けて、複雑な笑みを浮かべた。
「ま、半魔だろうが人間だろうが未来は分からない。いきなり30で死ぬかもしれないからな。どんなものでも自衛策はあったほうがいい。だから俺は剣術を身に付けたいの。んで、負けたくもねえ」
「フェリクスがね、『眠れる獅子だった』って褒めてた」
「は? 何それ」
「めっちゃ上から目線だよね。バルナバスの取り巻きたちも、彼がムスタファに負けるはずがないってたかをくくっている。頑張れ、プライドの塊」
「……俺は宮本に礼なんて言わないぞ」
「いらない。お酒の礼のリップサービスだから」
木崎はきっと更に腹を立てて闘志を燃やしているだろう。
単純なヤツだ。




