1・2 侍女頭
ゲームでは詳しく明かされないのだけど、ムスタファの母親が魔王の娘らしい。その母親は出産後すぐに死亡。ムスタファは自分が魔族と人間のハーフだとは知らずに育つ。
そして彼と第二王子のハピエンルートでだけ、ムスタファは自分の出自と母親が人間に殺されたことを知る。
第二王子ルートならば覚醒しようとしたところで弟に討伐され、自身のルートならば覚醒して世界を滅ぼし、闇の世界でヒロインと幸せになる。
ムスタファルートだと他ルートと違って、ハピエンに至るまでにヒロインはかなり溺愛される。覚醒のきっかけになるほどに。だからムスタファのハピエンは、ユーザーの間では溺愛ルートと呼ばれていた。
ゲームならともかくこの世界に生きるならば、絶対に避けたいルートだ。だけど大丈夫。
元々ムスタファに興味はないし、中身が木崎なら嫌悪しか感じない。
いくら久方ぶりの会話に気分が晴れたからって、あいつのルートに入るなんてことはあり得ないもんね。
ちなみに。私の父親である前国王は、ムスタファの父親である現国王の異母兄だ。だから私と王子たちは従兄弟の関係だ。ムスタファは三つ年上の20歳。第二王子バルナバスは同い年の17歳。
ついでに。このゲームはハピエンを迎えると、攻略対象のステータスが上がる仕様らしい。私の推しカールハインツの場合は、近衛総隊長の悪事を彼が暴いて、代わりにその地位を得る。平和的なエンドで、ムスタファが魔王の卵なんてネタは出てこない。
木崎は嫌いだけど、前世で焼死したのに今回もろくな死に方をしないのはさすがに気の毒だからね。
二人の王子からは距離を置き、カールハインツ攻略をがんばろう。
◇◇
切り花を持って私の教育係である侍女頭リカルダ・ロッテンブルクさんが待つ部屋に戻ると、彼女は悪鬼のような表情をしていた。私の帰りが遅かったからに違いない。
一応、使用人用通路では全力で走ったけれど、遅れは挽回できなかったようだ。
「遅くなってすみません」
素直に謝る。ロッテンブルクさんはゲームの脇役キャラのひとりで、数少ない味方だ。厳しいけれどそれは彼女なりの愛情で、私を一人前の侍女に育て上げようと考えてのことだ。私の出自も知っていて、王族に迎え入れてもらえなかったことに憐れみを感じてもいるようだ。
そんな彼女にゲーム開始前に見限られては困ってしまう。
「何があって遅くなったか、簡潔に説明なさい」
「裏庭で話し掛けられてしまい、うまく切り上げられませんでした」私、正直に答える。
「ふむ」ロッテンブルクさんの柳眉がますますはね上がる。「そのようなケースについては対処法を教えたはず。相手は誰ですか」
「第一王子ムスタファ殿下です」
「ムスタファ殿下? あの方が声を掛けて来たのですか?」
はいと答える。
ロッテンブルクさんは何やら思案げな表情だ。私の言葉を事実かどうか考えているのかもしれない。
ゲームにおけるムスタファは、孤高の存在だ。社交界から距離を置き、公式行事以外では人の集まる所には出て来ない。感情を露にすることもなく、冷淡なイメージだ。そんなところも『月』に例えられる原因だろう。
そんなムスタファが、一介の侍女見習いに声を掛けるなんて信じられないのは当然だと思う。
「どんな話をしたのですか?」とロッテンブルクさん。
「私を見掛けた覚えがないが何者か、とか、何をしているのか、とか職務質問です」
職務質問?とロッテンブルクさんは首をかしげる。しまった、この世界にはない言葉だったろうか。突っ込まれたら、城下町での俗語ということにしよう。
だけれどそこはスルーすることにしたらしい。
「ムスタファ殿下は」と彼女は話し始めた。「近頃、以前の殿下とは様子が違うようです」
「そうなのですか」
もしや前世を思い出したせいではないだろうか。
「確かに早朝に庭を走ったり登ったりおかしな動きをしたりとの奇行が報告されています」
吹き出しそうになるのをぐっとこらえる。
奇行だって! 言われているぞ、木崎! ざまぁみろ。
「あなたと鉢合わせする可能性を考えていませんでした。私のミスです」
「いえ、そんな」
「ミスです。侍女として主に仕えるならば、あらゆる可能性を考えて対処できるようでなければなりません」
ロッテンブルクさんてば、かっこいい。
「承知しました」
「殿下は他人との会話も増えたようですが、どうもお考えが読めません。理不尽なことは言われてませんか」
「ありません」
「よろしい。先日も話しましたが、侍女に理不尽な要求をする方々もいます。相手が王族で対応に困ったら、私の意見を聞いてからにすると答えるように」
「はい」
どうよ、この素晴らしい上司っぷり。
毅然とした態度に仕事ぶりも迅速丁寧。侍女頭なだけある。
……と、私は思うのだけど私以外の若手には疎まれている。ゲームでも実際でも。指導が厳しいからだ。
この王宮においては、若くして侍女になろうという娘は、たいてい玉の輿を狙っているようだ。仕事を身につけるよりも、良い高位貴族に目をつけてもらうほうが重要と考える彼女たちにとって、ロッテンブルクさんはうざいだけの存在で、仕事に励みなおかつ恋にも恵まれる私は目障りなゴミだ。
……。
ロッテンブルクさんは36歳の美魔女で、14歳の息子テオは侍従見習いをしている。彼も攻略対象だ。きゅるんとした瞳と発達途中の肢体は愛らしくはあるけれど、恋愛相手としてはなし。
なにしろ前世の享年は30歳。14歳相手の恋愛なんて犯罪臭しか感じない。
テオは私にとっての癒しキャラ。見習い仲間として仲良くなりたいと目論んでいる。
「では。届けに行きますよ」とロッテンブルクさんは銀のお盆を手にする。載っているのは王妃の『朝セット』。洗面用の水が入った水差しや新しいタオル、一杯の果実ジュース。
第二王子バルナバスの母親であるパウリーネ王妃は大の花好きで、起床して一番にやることが寝室の花を活けること。優雅な趣味だ。侍女に任せないところがとてもポイント高い。
侍女の仕事には服装選びや化粧を施すといったセンスを問われるものが多いし、それらは苦手分野だ。
花なんて花瓶にズボッと入れればいいという考えだった私には、当然のこと活けるセンスはない。だから自分でやってくれることは大変にありがたいのだ。
そんな王妃は不惑に近い年齢のはずだけれど、私と変わらない年頃に見える。ロッテンブルクさん以上の美魔女だ。
彼女もゲームに出ていたから(モブだけど)、多分キャラデザインをした人が中年女性を描くのが苦手だったのだろう。
ちなみに私は可愛いけれど、ブラウンの髪に青い目という、およそヒロインらしからぬ地味な色合いだ。
せっかくならピンクブロンドが良かったけれどね。可愛らしいのは確かだし、攻略対象たちを引き立てるには、このぐらいがちょうどいいのかもしれない。
お読み下さり、ありがとうございます。
この作品には、時々《おまけ小話》を載せる予定です。
・不定期
・作者の気分次第
・読まなくても本編に影響なし
となっています。
◇おまけ小話◇
◇第一王子ムスタファは安堵している◇
(ムスタファの話)
宮本と別れて、途中だったランニングを再開する。前世の記憶を思い出すまでは静謐を好む性格だった俺は、身体を動かすことに興味はなく、体力も筋肉もまるでなかった。
こんな身体は耐えられないとすぐさまトレーニングを開始して、はや三ヶ月。ようやくランニングしても息が切れなくなってきた。
良かった、宮本の前で息が上がっていなくて。
しかしまさか自分以外にも社の人間が転生していたとは。それも宮本。しかもヒロイン。どう考えたってあいつは恋愛モノのヒロインなんて柄じゃないだろうに。
だがものは考えようだ。
宮本とは入社以来、いや、最終面接のときから犬猿の仲だった。お互いの根本的な部分が決定的に合わなかったのだろう。
だけど信頼はしている。俺と馬が合わないだけで、実力も人望もあるやつだ。プライドが高いからつまらない嘘はつかないし、他人の足を引っ張るような姑息なマネもしない。『安心して』と言うのならば、俺は安心していいということだ。
自分がゲームキャラのムスタファに転生していると気づいたときは、さすがに焦った。ヒロインの気持ちひとつで、俺は世界を滅ぼす魔王となるし、逆に惨めに殺されてもしまう。もちろんどちらもご免だから対策をあれこれ考えてはいた。とはいえ弟とヒロインの恋を確実に阻止できるかどうかは神のみぞ知る、だ。
だけどヒロインはあの宮本で。『安心』していいと言ったのだ。
ならば俺の身はもう大丈夫。
半魔というのは微妙だが、絶世の美男子ムスタファの人生を謳歌しようじゃないか。
肴は宮本の攻略過程だ。お一人様人生を爆走しているあいつがどう恋愛ゲームを進めるのか、お手並み拝見といこう。