8・2のぞき見
「……あなた、次の仕事は?」と侍女が尋ねてくれた。
決まっていない。自分で探しなさいと言われている。王女たちの部屋を伺ってみたり、侍女たちに手伝うことがあるか訊くように、と。
そう答えると彼女は、
「王女たちが散歩に行くそうなの。あとひとり付き添いが欲しいから、来なさい」と言った。
「ありがとうございます!」
「あなたは飲み物ね」
「はい!」
上のふたりの王女は14歳と13歳。このふたり、庭の散歩が好きで一度出ると長いのだ。
あちこち気まぐれに歩き回るので、汗拭きタオル係と飲み物を持ち運ぶ係が必須。正直なところパウリーネに比べて我が儘な性格で、欲しいと言われたときにすぐに出さないとご機嫌ななめになってしまうのだ。
特に飲み物係はバスケットに飲み物の瓶とグラスを持ってつき従うので、結構大変だ。
めちゃくちゃ面倒な仕事を押し付けられている感はあるけれど、何もさせてもらえないよりはずっといい。
侍女、ルーチェの後にくっついて廊下を進む。確か彼女は地方都市の富豪の娘だったはずだ。年は私より少し上ぐらいだろう。
そんなことを考えていたら、カン、カンと外から金属の高い音が聞こえてきた。前を進むルーチェが足を止めて開いた窓から外を見る。ここは二階だから視線が下を向く。私も彼女に並び、すぐに音の主を見つけた。
裏庭の開けたところで剣の練習をしている三人がいた。ムスタファ、ヨナス、レオンだ。今、手合わせをしているのは王子と近衛。
前世の先輩後輩は年齢も体格も逆転している。
年はレオンがひとつ上なだけだけど、体格差はかなりある。戦うことが本職の近衛は筋肉がよくつき逞しい。一方で月の王と称される人嫌い王子は細身で、背丈こそは変わらないものの重量は半分しかないように見える。
王子は圧倒的に力で負けているけれど軽やかな足さばきで右に左にと動き、相手を翻弄する作戦をとっているようだ。
「ムスタファ様、あんなに素早く動けたのね」
ルーチェが感心している。
そうですねと返しながら、あれはラダーの成果なのか前世からの器用さなのかと考えた。
どちらにしろ、悔しいけれどすごい。ムスタファは以前は剣をやらなかったと言っていた。ならば木崎の記憶がよみがえってから、ここまでの腕前になったのだ。
私だって負けてはいられない。侍女といえばマリエット、と言われるぐらいになってやる。
と、彼らの元に新しくふたり組がやってきた。こちらに背を向けているけど、燃え上がるような赤毛でフェリクスと彼の従者だと分かる。ムスタファたちも気がついたようで、剣をおろした。
「楽しそうなことをしているな。混ぜてくれ」
風にのってフェリクスの声が聞こえてくる。
「あら。それは可哀想だわ」とつぶやくルーチェ。
何が可哀想なのか、と訊かなくてもなんとなく分かる。フェリクスは自分のことを『剣術は護衛がいらない腕前』と自画自賛していた。
だが木崎は了承したらしい。今度は彼と向かい合う。フェリクスはレオンのような体型ではないけれど、それでもムスタファより大きい。
レオンが鋭く始めと言うと、すかさずフェリクスが踏み込んだ。
ど素人の私が見ても分かる。彼は本当に上手い。先ほどのレオンは本気は出していなかっただろうけど、それを差し引いてもフェリクスのほうが動きがいい。
しかもヤツは完全にお遊び感覚のようで、顔には余裕の笑みが浮かんでいた。
ムスタファは防戦一方で、表情は強ばっている。
やがてフェリクスが剣をおろした。
「ここまでにしよう。ムスタファにケガをさせてはまずいからな」
そう言う彼は息ひとつ乱しておらず、ムスタファのほうは肩を大きく上下させていた。普段は玲瓏な白い顔が上気して目は険しい。
相当に悔しいだろう、木崎は。
勝負はつけていないが、完敗としか言い様がない。
私に見られていたとは知りたくないはずだ。
立ち去ろうと窓のそばを離れようとしたとき。
「マリエット!!」
と私の名前が響き渡った。フェリクスだった。
庭からこちらを見上げている。
「見ていたか? なかなかの腕前だろう? 私が素晴らしいとわかったか」
満面の笑みで叫ぶ彼のとなりでは、ムスタファが強ばった顔をしている。
私はペコリと頭を下げて、窓際から下がった。
あのチャラ王子は、アホなのか。空気が読めないのか。ムスタファの表情を見ていないのか。見ていてあの態度なのか。ならば余計に評価を下げてやる。
木崎のことは大嫌いだけれど、ざあまみろという気分にはなれなかった。だってムスタファは筋肉系キャラではなかったのだ。綾瀬のレオンも、そう言っていたじゃないか。
それを僅かな期間であそこまでの剣術ができるようにしたのだ。スポーツの代わりに、なんて軽い気持ちとは思えない。かなりの努力をしたのだろう。
そして今の状態は完成形でもない。
かつてライバルであった私は、見るべきではなかったのだ。【結果こそ全て!】との言葉が思い出された。
「何を怒っているの?」
掛けられた声にはっとした。いけない、ルーチェがいたのだった。
「フェリクス殿下にあんな態度は失礼だわ」
「すみません。あの方は苦手なんです」
「……殿下を狙って媚を売ってると聞いているけど」
「まさか!」
ルーチェに悪意はなさそうだ。ここではっきりさせておきたい。
「ああいう女性に軽い方は苦手なんです。だから声を掛けられても素っ気なくしていたら、余計に興味をもたれてしまったようで困っています」
きっとドMなのよ、という言葉は言わないでおく。
「そうなの? じゃあシュヴァルツ隊長に付きまとっているという噂は?」
「付きまとってなんていません。私が苛められているという噂を聞いたようで、顔を合わせるたびに確認されるのです。城内の乱れはほうっておけないから、と。部下の方に聴取もされて」
ルーチェは、『そうなの』と気まずそうな表情をした。
「シュヴァルツ隊長には憧れているので、気にかけてもらえてラッキーだなとは思っていますけど、どちらかと言えば私を監視しているかのような雰囲気です」
「隊長に憧れているの」
「はい」
これは正直に伝えておく。マリエットはカールハインツ一筋、フェリクスや他の王公貴族には興味がないのだとはっきりさせておきたいからだ。
「ま、無理ね」とルーチェ。「あの人、誰にもなびかないの。噂だと、シュヴァルツ家の仕来たりで結婚相手は当主が選ぶことになっているからですって。でも恋人ぐらい作ってもいいのに、堅物なのでしょうね」
「そうなのですね」
とうなずきつつ、新情報におののいた。確かヨナスが、友人も親が選ぶと話していた。
いや、だけどそれが事実なら綾瀬のレオンが知っていそうだ。何しろ本人公認の《隊長を肉食女から守る会》会長なのだ。
近づいてくる女性に困ったカールハインツが、断る口実に使った嘘ではないだろうか。どちらにしろ簡単には攻略できない、ということだ。
「それに」とルーチェは続けた。「最近は彼の部下たちが《隊長を守る会》を作って、女性を近づけさせないらしいわよ」
「ええ、私も威嚇されました」
「噂は本当なのね!」
なぜかルーチェの目がきらめいて、誰にとか、どんな風にとか質問攻めにあった。
新しい噂のネタができて嬉しいらしい。
こんなにロッテンブルクさん以外の侍女と話をしたのは初めてではないだろうか。
そうだ。
木崎のムスタファも王子として動くために、かつては嫌いだった人付き合いを始めたのだった。
私も負けてられないや。
おまけ小話
◇異国の王子フェリクスは楽しい◇
ペコリと頭を下げるとマリエットは窓から離れたようだ。姿が見えなくなった。
「彼女も私を見直しただろう」
そう言うと従者が
「そんな風には見えませんでしたがね」
と剣呑な眼差しを向けてきた。
となりにいたムスタファがすっといなくなる。目で追うと、こちらに背を向けて従者からタオルを受け取り、汗を拭っていた。
細身の後ろ姿は、剣を扱うようには見えない。実際にそのようなことは一切やらないと聞いている。だけれど近頃は、剣術を習い始めた、とも。
『近頃』始めたにしては、かなり上手い。始めたことも、上手いことも意外だ。
「初心者にしては、なかなかの腕前じゃないか」
そう声をかけると月の王と称えられる王子は振り向いた。まだ顔は上気していたが、表情のほうは氷点下だった。
「そう」
と答えも素っ気ない。
手合わせをしていて分かったが、これも意外なことに、彼はかなりの負けず嫌いのようだ。冷たい顔の下では、私に全く歯が立たなかったことに腹を立てていることだろう。
「そちらも、ただの軽薄ではなかったのだな」
「当然。国の代表として交換留学をしに来ているのだからな」
胸を張って答えたが従者が
「やっているのは女遊びだけなのに」
と私にしか聞こえないような小声で呟いた。生意気め。
「手合わせ、礼を言う」
ムスタファはまたも素っ気なく言って、さっさと歩きだす。従者と近衛兵が私に一礼をして付き従う。
「ますます嫌われたんじゃないですか?」と従者。
「そうだな。あいつ、次の手合わせでは絶対に勝ちを狙ってくるぞ」
「まさか。実力差は実感したでしょう」
「いや。腕を上げるため必死に鍛錬するだろう」
最近の第一王子ムスタファは変わった。人嫌いで滅多に自分のテリトリーから出てこなかったのが嘘のように、社交場に顔を出し、人脈づくりをしている。政治、というよりは市民や彼らの生活基盤に興味があるようだ。
あげくに剣の腕まで上げようとしている。
何を目的としているのかは分からないが。
「楽しくなってきた」
そう言うと従者は
「本来何をすべきかを忘れないで下さいよ」
と呆れたように言ったのだった。




