8・1侍女見習いの一歩
「あなたは髪をとかすのは上手」
鏡の中のロッテンブルクさんが優しいような困ったような顔で言った。
「とても気持ち良いのよ」
「ありがとうございます」
彼女の小さな仕事部屋にある姿見の前。私は彼女の髪を高価そうな猪毛のくしでとかしている。
侍女は主たちの髪の手入れやセットをする仕事もある。だから時々ロッテンブルクさんで練習をさせてもらうのだ。
他の見習いたちはお互いにやっているのだけど、私の相手になってくれる人はいない。
私が髪をとかすのが上手いのは当然のことで、孤児院にいたときに年下の女の子たちに毎日していたからだ。
ただし、アップスタイルなどに結い上げるのは苦手。そんな髪型は孤児院では必要なかったから。自分の髪をひっつめお団子にするのは早いけど。この髪型は侍女たちに『未亡人』と陰口を叩かれている。だけどゲームでもこの髪型だったから、これで良いのだ。
ともかくも、そんな私の練習台にロッテンブルクさんは時々なってくれるのだ。鏡越しに指導もしてくれる。
髪型についていくつかの指示を出したあと、侍女頭は
「この一週間はどうでしたか?」
と尋ねた。
彼女の元を離れ、きのうで丸七日だった。本来ならば仕事終わりでの話となるはずだっただろう。だけれど昨晩の私はムスタファ王子の元へ行く予定があったために、早めに仕事を上がらせてくれたのだ。
というのも前回ロッテンブルクさんを通してムスタファの元に行ったときに、戻りが遅くなりすぎて湯浴みができなくなってしまったのだ。彼女はそれを気遣ってくれたらしい。おかげで今回は先に湯浴みと、勉強まで済ませることができた。
彼女のことは本当に尊敬できる。
「そうですね」
投げ掛けられた質問について考えた。仕事の振り返りはその日中にしているから、答えるのは総合的な所感だ。
「困っていても助けてくれる侍女はいないと分かりました。やはり一刻も早く、ひとりで全てをこなせる侍女になろうと改めて思いました」
「そうですか」とロッテンブルクさん。「20点ですね」
「え?」
思わぬ判定に手が止まった。
「手は止めない」
「すみません」
そう答えつつ、何がいけなかったのかが分からずに動揺がおさまらない。
「あなたの心意気はとても立派です。口だけでなく行動も伴うことも承知していますし」と侍女頭。「だけれど侍女の仕事はなんでしょう」
「主に王族の方々の身の回りのお世話です」
その通り、と侍女頭。
「私たちはそれをスムーズかつ完璧にしなければなりません。侍女の事情でそれがなされないのは避けなければならないのですよ。つまり」とロッテンブルクさんは鏡越しにしっかりと私の目を見た。
「今の半人前のあなたに必要なのは、困ったときに助けてくれる侍女です。明日すぐにあなたが完璧になるわけではないでしょう?」
思いがけない言葉に思考が止まる。私に必要なのは、王族への完璧なサービスで、私が完璧になることではない?
あまりに目から鱗だった。
「あなたの場合は他の侍女とは事情が違うから、難しいことではあるでしょう。だけれども重要なことなのですよ。全ての侍女があなたを疎んじているわけではありません。信頼できそうなひとを探してみなさい」
「はい」
そう答えたものの、予想外のことで思考がまとまらない。ゲームにおける私にとって、ロッテンブルクさん以外の侍女は敵だった。現実には明確な悪意を持つ人だけではなかったけれど、その人たちだって味方ではない。
だから。
私はひとりで頑張るつもりだったのだ。
果たして私に手をさしのべてくれる侍女がいるのだろうか。
先日腹痛を起こした見習いは、仕事を代わってくれた礼と言って実家から送られてきたというお菓子を幾つかくれたけれど、そのあとは素知らぬ態度でいる。
いやでもきちんと礼をしてくれるぐらいだから、案外良い人なのかもしれない。
「マリエット。今している仕事に集中しなさい」
ロッテンブルクさんから声が上がる。
考えながら髪を結っていたのがバレていたようだ。すみませんと謝り、余計なことを頭から追い出す。
苦手な仕事の練習をしているのに他のことを考えているのは、『頑張っている』とは言えないではないか。
「髪結いも、私はいくらでも練習台になります。だけれども私だけではダメなのです。たくさんの女の子たちの髪を結ってあげていたなら、分かるでしょう?」
侍女頭の言葉にはいと答えた。
髪質はひとそれぞれだ。ロッテンブルクさんでうまく結えたからといって、器用ではない私が、他の人のときにも同じようにできるとは限らない。
自信を持って仕事をするには、多くの人で練習しておいたほうがいいのだ。
ほどなくして髪結いが終わり、鏡を持ってロッテンブルクさんにあらゆる角度からチェックをしてもらう。
「合格です。ずいぶんと上手になりました」
こちらは合格で良かったと胸を撫で下ろしながら、ありがとうございますと答えて片付けをする。猪毛のブラシはパウリーネからのプレゼントだそうなので、丁寧に絡んだ髪やほこりを除き、布でふいてから小箱にしまった。
と、タイミング良く扉を叩く音がして、ひとりの侍女が顔をだした。
国王がロッテンブルクさんを呼んでいるという。愛妻に贈るプレゼントのアドバイスがほしいらしい。
我らが侍女頭はわかりましたとうなずいて、私が結い上げた髪で陛下の元へ向かった。
廊下にて、侍女とふたりでロッテンブルクさんを見送る。
「陛下にも頼りにされていて、格好いいです」
思いきって話しかけてみる。侍女はちらりと私を見て
「そうね」
と一言、踵を返そうとした。
だけど返事があったのだ!
「すみません!」
と声をあげると、彼女は足を止めてくれた。面倒くさそうな顔はしているけれど。
「今度、髪結いの練習をさせてもらえませんか」
彼女の顔がますます嫌そうになる。
「ただとは言いません」
と言っても私は対価は払えない。どうしようかと考え、すぐに思い付いた。
「一回につき、あなたの仕事を私が一回引き受けるというのはどうでしょう」
侍女の顔が変わった。
「私がひとりでできるものはまだあまりありませんが。王族のマイナスにならないことならば、何でも引き受けます」
「それならいいわ」侍女はあっさり了承した。「パウリーネ様のお猫様の世話。というか糞尿の片付けをお願い。アレ、大嫌いなのよ」
「では契約成立で」
「……」侍女は真顔でうなずいた。「あの仕事を嫌いな子は多いのよ」
なるほど。パウリーネはお猫様をかなり大事にしているから、下級の使用人でなくて侍女に任せているのだろうが、良家出身の彼女たちにとっては、耐え難いことなのかもしれない。
「私は気になりません」
そう答えると、
「さすが孤児院出身ね」と返されたけれど、バカにした響きではないように感じた。
ロッテンブルクさんが示した信頼できる関係ではないけれど、とりあえず一歩、進むことができたのではないだろうか。




