6・3夜のピクニック①
仕事を終えて、短い勉強の時間。小さい灯りの元で本の文字を目で追う。今月出された課題も自国の歴史だ。先月の続き。
先月分のテストは良い出来だった。スペル間違いが多少あったけれどそれを除けばほぼ全問正解で、採点をしたロッテンブルクさんが驚いていた。それから不安そうな表情をして
「ちゃんと寝ていますか?」
と尋ねてきた。優しい人なのだ。
もちろん睡眠はきちんととっている、勉強は得意 (前世ではだけど)なのだと答えたら、なぜか切なそうな顔で頭を撫でなでされた。
もしかしたら境遇を憂いてくれたのかもしれない。
と。
コツン、と窓が鳴った。
そちらを見る。
まさかね。
間抜けな虫が激突したのだろう。カナブンとか。カブトムシとか。もしかしたらコウモリ……いや、超音波を出しているんだっけ?
また、コツン、と鳴った。
木崎のはずがない。用があるときは、ヨナスを通すことになっている。
実際に彼を通じて一度三人で集まった。各自の現状確認のようなもので必要性があったのかいまいち不明だけど、ワインとチーズ、クラッカーにパンとフルーツがもりもり用意されていて、美酒美食を堪能する会のようだった。
だけど三度目のコツンが来た。
窓に寄って開ける。と、何かが飛んできて慌てて避ける。
「ナイス反射神経」
頭から外套を被った不審者が小声で言って親指を立てる。
振り返ると床の上に小石が落ちていた。
拾う。
再び外を見ると、まだ不審者はいた。おもむろに振りかぶり、的を目掛けて投げつける。的は「うわっ」と声をあげて飛び退いた。
窓を閉めるとランプを手にした。
◇◇
例の場所に行くと、暗闇の中に不審者が座っていた。今夜も半月に近く、雲も多い。
「えげつない球を投げるな」と木崎のムスタファ。
「小学生のとき野球チームのピッチャーだった。チームでは女子初」
「さすが負けず嫌い」木崎が密やかに笑う。
「まあね。県ベスト4の常連チームだし」
「すごいじゃん」
「ていうか何なの? ヨナスさんを通すんでしょ?」
「基本は。あいつは今夜はデート。邪魔をするのは無粋だろう?」
「え!」慌てて木崎の隣に座る。「彼女がいるの? 何それ、詳しく!」
すげえ食い付き、と木崎が笑う。
「だって恋愛に興味のないムスタファ王子の従者だから、てっきり」
「俺とあいつは別に決まっている」
意外な優しい口調でそう言って、王子はワインの入ったタンブラーを差し出した。
「詳しく知りたいなら、本人にな。喪女に勧めはしないが。惚気まくられるだけだから」
「ええっ。予想外」
コクリとワインをひとくち飲んで
「美味しい」
とにんまりしてしまう。
「あぁ、そうか。ヨナスさんがデートに行ってしまって淋しくなったんだ」
「ちげえよ。何で淋しさ紛らわすために宮本と飲まなくちゃいけねえんだ」
「友達がいないから」
「綾瀬がいる」
「私は優しいから『他には』とは訊かないであげるよ」
「チーズを食わせねえぞ」
「狭量王子!」
「陰険見習い!」
やいやい言いながらワインとチーズ、フランスパンを堪能する。
「なんか、夜のピクニックって感じ。夜闇しか見えないけど」
「次はサンドイッチでも用意するか」
「BLTが好き」
「贅沢言うな」
「ならハムサンド」
「俺はカツサンド」
「木崎のほうが贅沢じゃん! ていうかムスタファにカツサンドは似合わなくない? 生ハムとモッツァレラのブルスケッタとか言ってよ」
「サンドイッチじゃなくなってるじゃねえか」
「イメージというものがあってだね」
「んなこと知るか」
もぐもぐとパンを食べながら目の前の闇をみつめる。まったくの暗闇なわけではなくて、植木や城の窓に映る半月なんかは見える。ベンチの端には光度を落としたランプもあるし。
「……正直なところ、私もここには友達はいない。綾瀬は私を敵視してるから、悔しいけど素で話せるのは木崎だけだよ。情けない」
「褒められている気がしねえ」
「褒めてはいないもん」
「褒めてもいいんだぞ」
「ワインとチーズのチョイスは最高」
「だろ?」
「あと、城下の視察に行ったこと。褒めてつかわそう」
聞きかじったところによると、レオンが綾瀬と判明した翌日に行ったそうだ。珍しいと話題になっていた。だけど、そのことについて木崎とふたりだけで話す機会が今までなかった。
「それは褒めないでいい。王子の仕事だろ? 今までさぼっていたけど」
「木崎らしい言い方。素直にどうもと言えばいいのに」
「宮本も多い一言をやめればいいのに」
ふんと鼻を鳴らす。
「真面目な話」と王子は声音を変えた。「俺は引きこもり王子だから人脈がない。問題を解決したくとも協力者を見つけるところから始めないといけなくてな。時間がかかる」
「時間がかかっても木崎なら結果を出すでしょ」
「当然」
私は拳を作って差し出した。それに木崎が拳でタッチする。
「お前はどうなんだ。『目付き』から卒業できそうなのか」
『目付き』とは私が常にロッテンブルクさんの指導下にいる今の状態を、木崎が表した言葉だ。
侍女頭が言うには、私の侍女見習いとしてのスキルは申し分がないのだけど、侍女たちからの苛めやフェリクスのちょっかいが心配で、独り立ちさせる判断がつかなかったらしい。だけどついに。
「週明けに決まった」
「へえ。なら、これは祝い酒だな。よし、注いでやろう」
「お。気が利く」
タンブラーに残っていた一口を飲み干して、差し出す。
「いや、赤ん坊レベルからようやくオムツが取れて、幼稚園児レベルぐらいになったんだろう? めでたいじゃないか」
「引きこもり王子も、ようやく卵から孵った雛というところだね」
「俺は天岩戸から出て来たアマテラス」
「図々しい!」
魔王のくせに、と言おうとして、止めた。木崎が自分の血筋をどう捉えているのか分からない。
こくり、とワインを飲んで考える。
踏み込む?踏み込まない?




