番外編『前世と今世のエイプリルフール』
《1》前世
新年度早々、忙しい。
ありがたいけど、忙しい。
必死になってキーボードを叩く。
この企画書を正午までに仕上げなければいけない。猶予はあと一時間……。
「お疲れ」
よく知った、そしてこの世で一番嫌いな声と共に、デスクの上にスタババのカフェラテが置かれた。
「やるよ、これ」
手を止め、声の主を見る。
「マスタードでも入ってるの?」
「入ってねえよ!」と、顔をしかめる木崎。
私の天敵。銀河系イチ、嫌いな存在。ゴキブリだって木崎よりはマシだ。
「じゃあ、カフェラテに見せかけたイヤガラセおもちゃだ。手に取ると中身が飛び出るとか」
「んなもん、どこに売ってるんだ。あるなら買いに行く」
真面目な顔でそう言うと、
「ほら、おまけ」と木崎はチョコを付け足した。
「気味が悪いんだけど」
「餞別だよ。好敵手……になるには一歩及ばなかった、残念な同期にな」
「餞別?」
聞き返すと、木崎はうなずいた。
「月末で退職すんの。引き継ぎはまだ半ばだけど」
「はあ!? 聞いてない!」
「隠してたからな」
嘘でしょ、と思いながら第一営業部を見る。藤野と目が合った。うなずかれる。
「……転職?」と木崎に訊く。
「そ。来週から有給消化だから。感謝の花束用意しとけよ。デカいのな」
「……『退職してくれて、ありがとう』ってメッセージならあげるよ」
「なんでだよ、『頼もしい木崎くんがいなくなって不安です』だろ?」
「図々しい」
いつものような、会話。
だけどやけに胸はざわついている。
だって。
木崎はずっと私のライバルなのだと思っていた。転職組はそれなりにいるけれど、彼がいなくなる可能性を考えたことは、なぜかなかった。
そうか。
木崎がいなくなるのか。
嬉しいね……。
カフェラテを手に取る。
「じゃ、これは遠慮なくもらおうかな」
一口飲んでみると、本当にふつうのカフェラテだった。
ほっとしていいのか、肩透かしを食ったのか、自分でもよくわからない。
パソコンの画面に視線を移す。
「転職先は同業?」
「まあね」
「コンペであったら、叩きのめしてあげるよ」
木崎がふはっと笑う。
「やれるもんなら、やってみろ」
「ちゃんと私と渡り合えるところまで登りつめてよ、元エース」
「まだ元じゃねえよ」
『じゃあな』と木崎が去っていく。
ああは言ったけど、木崎ならどんな会社でもすぐに頭角を現すだろう。
見えないところに行かれて、気づいたら遅れをとっていただなんてことになったら、たまらない。
ひとつひとつの仕事に、もっと気合をいれないと。
まずは、この企画書だ。
◇◇
企画書の最終確認をして時計を見ると、正午の五分前だった。
よかった。間に合った。
伸びをしたついでに、第一営業部が目に入る。
藤野もちょうどなにかの区切りがついたのか、首をぐるりと回していた。すぐに目が合う。
立ち上がると、彼の元に向かった。
「藤野、幹事?」
「なんの?」と聞き返す藤野。
「木崎の。追い出し会」
藤野は数秒置いてから、パッと顔を明るくした。
「ああ! 追い出し会っていいネーミングだな。それで集合をかけるか」
「手伝うよ。藤野も仕事のしわ寄せが来てるでしょ」
第一営業部に新しい人員は来ていないし、木崎は多数の仕事を抱えているはずだ。
なんで増員しなかったのかは不思議だけど……
「そうしてくれると助かるよ」爽やかに笑って、藤野は今、電話を終えたばかりの木崎に向かって、「お前の追い出し会開催が決定したぞ」と告げた。
「なんの話だよ」と不機嫌な顔で木崎が私たちを睨む。
「送別会ならぬ追い出し会」と藤野。「時計を見ろ」
時計?
なんで?
思わず私も見る。正午2分前。
「午前中に終わらせるのがルールだぞ」と藤野。「午後にもちこすなら、決定事項だ」
「ああ、そっか。忘れてたわ」と木崎は言うと、席を立ちこっちへ来た。私を見てにやりとする。「エイプリルフール」
「エイプリルフール……?」
ちょっとだけ考えて、今日が四月一日だと思い出した。
「騙したの!?」
「まんまと引っかかってやんの」
木崎がおかしそうに笑う。
「ごめんな、宮本」と藤野。「まさか信じてるとは思わなかった。こっちを見たのは『エイプリルフールだよね』って確認かと思ったんだ」
「じゃあ退職は?」
「しねえよ」と嬉しそうな木崎。「ほっとしたか?」
「するか! 私の喜びを返せ!」
「宮本が単純すぎるのが悪いんだろ。悔しかったら騙し返してみろよ」
ニタニタしている木崎の鼻先に指をつきつける。
「来年の四月一日。見ていなさいよ!」
「どうせ俺には勝てないって」
なんなんだ、その余裕は。
ひとを騙しておいて、偉そうだし。
ああ、腹が立つ!
絶対に木崎をぎゃふんと言わせてやるんだから――
《2》今世
「――ということがあったんだよね」
若干の懐かしさと多大なる悔しさを感じながら、語り終えた。
「それで僕にどうしろと?」綾瀬のレオンが眉を寄せる。「あなたとふたりきりで話していたことが木崎先輩にバレたら、クビにされかねないんですけど」
「仕返しの案が浮かばないの」
前世で啖呵を切ったはいいものの、翌年のエイプリルフールは迎えられなかった。そして現在。明日は四月一日だ。
「木崎はちょとやそっとでは騙されないでしょ?」
「まあ、それは。効果が大きいのは離婚話でしょうけど、これはあとが怖そうだ」
レオンの言葉に大きくうなずく。それに冗談でも言いたくない気持ちもある。
「やっぱり、アレ一択ですね」
「もう思いついたの! さすが木崎の弟分!」
「褒めてもムダですよ。僕はさっさとこの状況を終わりにしたいだけです」
そして綾瀬のレオンは、対木崎用の嘘を説明し始めた。
◇◇
緊張して長椅子に腰掛けていると、顔を強張らせた木崎のムスタファが入ってきた。
となりに座っていたルーチェが慌てて立ち上がる。
「マリエットが記憶喪失とは、本当か!」
「はい。転んだ拍子に頭をお打ちになったようで――」
ルーチェが説明するのを遮って、ムスタファが私のとなりに腰掛けて手を握りしめた。
「俺がわからないのか?」
真剣な顔と声。どうしても騙したくて、綾瀬の提案に乗ってしまったけれど、早くも後悔。心配させるのは、よくなかった。
謝ろうとしたとき、ムスタファは
「普段どおりにすれば思い出すだろう」と言うが早いか、私を膝の上に座らせた。
「ほら、甘えてくれ」
「はい!?」
「マリエットは俺の好きなところをひとつひとつ上げながら、可愛くキスをおねだりするんだ。やってみたらきっと思い出すぞ」
「わ、私は失礼しますね!」
ルーチェが慌てて部屋を出ていく。ムスタファと共に来た護衛の近衛兵たちも、
「廊下で待機しております」と続いてしまった。
ふたりきりになった部屋に、ムスタファのくっくっという笑い声が響く。
「宮本に俺が騙されるはずがないじゃん!」
「気づいていたの!」
「だって四月一日だからな。絶対に仕掛けてくると思った。あ、王妃と密会したレオン・トイファーには、三日間の謹慎と減給一ヶ月の処分をくだしたから」
「嘘でしょ!」
「エイプリルフール」
木崎のムスタファはそう言って、また笑った。
く、悔しい!
ため息をつくと、立ち上がった。
「ちょっと修行してくる」
「なんのだよ」
「木崎を打ち負かす修行」
「どこで」と笑っているムスタファ。
「カルラ。彼女はいつもムスタファに勝っているでしょ。一週間くらい、お籠りしてくるね。あ、公務はちゃんとやるから安心して」
「は? ふざけんな」ムスタファが不機嫌な顔で立ち上がる。「卑怯な仕返しだぞ」
「そんなつもりじゃないよ。ムスタファに勝てるのってカルラとフェリクスかなと思ったから。フェリクスのところにお籠りはできないでしょ?」
無言で抱き寄せられた。
耳元で、
「諦めろ。お前には俺を騙せない」と囁かれる。
ムッとして言い返そうとしたとき――。
「何年の付き合いだと思ってる。単純な宮本と違って俺は、お前の行動パターンくらいわかるんだよ」
それって。
「私をものすごく理解していないと、できないんじゃない?」
「理解しているが?」
「前世から?」
「……優秀なんで」
体を離し、ムスタファを見る。彼の頬はほんのり赤く、目はよそを見ている。
ムスタファにもたれかかり、私も視線を外す。
「そういうことにしてあげよう」
「どうして上から目線なんだよ」
うぅん。なんだか気持ちがもぞもぞするから?
ふたたびムスタファを見た。今度は目が合う。
「キス、してほしいかな」
ムスタファが首をかしげて近づいてきたのを、全力で避ける。
「汚いぞ!」と怒るムスタファ。
「エイプリルフールだもん」と答える私。
それから素早く、キスをした。
「まだまだ私への理解が甘いね」
キレたムスタファがその後どうなるか、私はまったくわかっていなかった。
理解が足りないのは自分のほうだった……。
ま、いいか。
エイプリルフールのリベンジする機会は、まだまだたくさんあるだろうから。
《おしまい》
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