6・1幕間の日々
カエルスープほど目立つ意地悪はないけれど、侍女たちによる小さな悪意は増えた。ロッテンブルクさんが見ていないところで突き飛ばす、足を引っかけるといったオーソドックス系がほとんどだけれど、私の部屋に忍び込んでタンスに虫を入れる、というのもある。
一度、スカートを派手に裂かれたことがあった。あくまで釘が引っ掛かったていで、みな知らんぷり。この王宮のどこに引っ掛かかるような釘が出ているのだか不思議だが。
それを知ったロッテンブルクさんは夕食の席で毅然と告げた。
「皆、知っていると思いますが、マリエットの衣服は王宮が代金を立て替えています。つまりは彼女が支払い終えるまでは王宮の所有物です。これを損ねる者には王宮から修繕費用の請求が行くことになります。ケースによっては侍女全体の責任になりかねません。覚えておいて下さい」
もちろんのこと、反発はあった。陰では大きな声で侍女頭の悪口が飛び交った。
だけどそれだけ。今のところ、二回目のビリビリ破き事件は起こっていない。
なんでだろう、ゲーム開始前であることと関連があるのかなと考えたけれど理由は他にあった。
カエル事件でもそうだったようだが、事件を知った侍従や貴族男子たちが『身元不確かな孤児がいることは面白くないけど、だからといって悪質な苛めをする女を妻にしたくはない』と意見を一致させているらしい。
となると素敵な結婚相手を捕まえたい侍女たちは、苛めを控えるしかなくなる。どうやら侍女の間で起こっていることが筒抜けのようなのだ。
おかげでひどい苛めはない。
……だけどやっぱり、違和感がある。
ゲームでの私はかなりひどい目に遭っていた。衣服を破られる、部屋の中を荒らされる、階段から突き落とされる、泥水を頭から浴びせられるなどなど。
ということは、男子連中が今回のような発言をしていない、ということだろう。
なぜなのだ。
ゲームと現実の違い?
やっぱり開始前だから?
それにもうひとつ、気になることがある。ロッテンブルクさんだ。彼女の牽制もきっとゲームではなかった。あったならば衣服を損傷する苛めは一回だけだったろうから。
この差は何か?
ロッテンブルクさんについては、ひとつ仮説はある。
ゲームでの私が彼女をどう思っていたのか、分からない。
一方で今は、尊敬しているし侍女の手本だと思って彼女に認められるように頑張っている。しかも前世の記憶があるから、度胸も対人スキルもそこそこあって、彼女と良い関係が築けている。
このことが、件の発言に繋がっているのではないだろうか。
男子連中のほうは皆目検討がつかないけど。
とにかく様々なことがゲームと違う。新たにふたりの攻略対象にも出会ってしまった。
ひとりはロッテンブルクさんの息子で侍従見習いのテオだ。本来ならすれ違いが続いて会う機会がなかったはずなのに、きちんと彼女に紹介された。
まだ14歳のテオはゲーム以上にショタ感が顕著で、華奢な手足に小さな頭、ダークブラウンの髪はくせの強い巻き毛で、きゅるんとした大きな瞳は吸い込まれそうな威力があった。
あまりに天使なテオにめまいがして、おばさんはお腹いっぱいだよ、と思ってしまった。この世界の私はまだ17歳だけど。
もうひとりはクリストバル・ベネガスという、ゲームでマリエットに金属形成を教える24歳の宝石商だ。
この出会いがまた腹が立つ。
廊下をロッテンブルクさんと歩いていたら、チャラ王子に
「緊急だからちょっと来い」
と腕を引っ張られて行った先に宝石商がいた。
令嬢たちが不機嫌な表情をしているのをまるっと無視したフェリクスは
「髪留めをプレゼントする。君はろくなものを持っていないようだからな。好きなものを選べ。もちろんロッテンブルクにも贈るぞ」
とのたまったのだ。
何をほざいているのだお気楽王子めと呆れていると、クリストバルがさっと寄ってきて自己紹介をした。愛想のよい商売人は流れるように商品を見せてきて、こちらが口を挟む隙もなかった。
ここでまた我らが頼れる侍女頭が、ついと前に出てチャラ王子に言った。
「ありがとうございます、フェリクス殿下。マリエットにはなかなか宝石類の勉強をさせることができませんで、良い機会を設けていただけました」
それからくるりと商人に向き直り。
「本日購入はしませんが、ここでの勉強は未来の買い物に繋がります。手数をかけますが初心者向けの説明を彼女に頼みます」
次に私を向いて。
「個人の持ち物よりこのような場のほうが多種多様な品が揃っています。よく学び、よく見て目に焼き付けなさい」
最後に令嬢たちを見て、
「お楽しみ中に申し訳ありませんが、殿下のご好意で勉強させていただきます」
と慇懃に言ったのだった。
商人は強ばった笑みを浮かべていたけどフェリクスは
「まったくロッテンブルクには敵わないな」となぜか楽しそうだった。
チャラ王子は私を見かけると必ず声を掛けてくる。どのように相手をしても彼はくじけないと分かったので、塩分100パーセントの塩対応をしているのだけどかえって喜んでいる節がある。もしかしたらドエ……なのかもしれない。
時おりチャラ王子と共にいるバルナバスは、冷めた目を友人と私に向けているから興味がないか呆れているかのどちらかだろう。
そして謎なのは私の最推し、カールハインツだ。
おまけ小話6・1◇異国の王子フェリクスは呆れられる◇
「あの女のどこがいいのだ?」
数人いた婦人たちがみな帰り、サロンを引き上げようかと腰を上げたところでバルナバスが私にそう訊いた。
夜。それなりの時間だけれどまだ眠くはない。廊下から従者が覗いたが、軽く首を横に振り下がらせる。
再び座り直し、背もたれに身体を預けて
「どの女の話だ?」
と尋ねた。
「侍女見習い」とバルナバス。「顔は可愛いが、棒きれみたいではないか」
「なるほどお前は肉感的な女が好みか」
「それに身元不確かだ」
「孤児院育ちのそんな女が礼儀作法を学んで他の侍女たちと変わらぬ振る舞いで勤めている。面白い」
「なんだ、シュヴァルツが興味を示しているから横取りしようと企んでいるのではないのか」
「確かにきっかけはあいつだがな」
あの堅物隊長が恋した相手が気になり声をかけてみたら、予想外に面白い反応が返ってきて楽しくなった。私の周りに群がる口説かれたがりの女たちには飽きがきていたのだ。
「その上まったくお前になびかない」
「そこがまた良い。微笑めばほいほいついてくる女は落とし甲斐がないからな」
「前々からお前のことは理解できないが、本当にさっぱりだ」
友人の呆れ声にはははと笑って返す。
こちらの王族たちの身持ちの固さのほうが私には信じられないが、そう言っても戻ってくるのは私の素行をなじる言葉だと分かっているので口には出さない。
「あんなにつんけんしている女が、私に惚れて甘えるようになったら面白いだろう?」
「分かった! そうなったら捨てるのだな。ろくでなしめ」
「お前は友人をそんな最低男だと思っているのか。酷いのはどちらだ」
「なんだ違うのか」
心底理解不能、という表情のバルナバス。
この王子は真面目すぎるのかなんなのか。
「まあ、黙って見ていろ。ライバルが少ないにこしたことはないからな」
「あんな女をお前と取り合う奴などいるものか」
再び笑いで返し、暗い窓外に目をやった。




