42・5戦い
「ムスタファ!」
叫んだときだった。突然パウリーネの体が吹き飛び、書棚に激突した。バラバラと本が落ちる。
「何だっ!」と上がる声。
振り返ると剣を抜いたレオンが部屋に飛び込んできたところだった。その後ろにはフェリクス、剣を持ったヨナスさん、そしてリーゼル。
「遅い!」とムスタファが叫ぶ。
「タイミングを見計らっていたんです!」とヨナスさんがムスタファに目掛けて走る。
と、また書棚に激突する音がして、見たらフェリクスだった。悪鬼のような形相のバルナバスが
「ムスタファの味方をするのか!」と怒鳴る。あげたその手が立ち上がろうとしていたフェリクスを指す。そこにリーゼルが飛び込み、シールドを張った。
一方では剣がかち合う音がする。カールハインツと泣きそうな顔でへの字口をしたレオンだ。
ヨナスさんはパウリーネを背後から羽交い締めにして、手を封じようとしている。
クローエさんと檻の扉に飛びついて揺り動かす。だけどびくともしない。
視界の端ではフェリクスとリーゼルが劣勢で、反対側ではレオンが血にまみれている。背中側でもドタバタとした音と、ムスタファのくそっという声。
どうしようと檻を見る。鉄格子を魔法で顆粒に変えるとして、ひとひとり抜けられるようにするまでには相当時間がかかる。
私が使える魔法はあとは――。
急ぎ呪文を唱えてバルナバスのクラバットを燃やす。彼が驚き怯んだ隙に、フェリクスが態勢を立て直す。
後ろを振り返るとまさにヨナスさんが吹き飛ばされたところで、パウリーネが屈んで剣を取ろうとしていた。その手に向かって点火の呪文を唱えようとしたそのとき、突如背後から床に引きずり倒された。頭上で何かがはぜる。
「危なかった……」と呟くクローエさん。
きっとバルナバスに攻撃されたのだ。
目を上げるとパウリーネがムスタファの真正面で剣を構えていた。
今すぐ突き刺すつもりだ!
両手を前に出し早口で呪文を唱える。
出来る出来ないじゃない。やるのだ!
あらん限りの力を振り絞り魔力を放出する。パウリーネが突き上げた剣に向かって。
切っ先がムスタファに届く寸前で剣の形がさらさらと崩れていく。パウリーネの肩にヨナスさんが飛びつきふたりはもんどりうって床に倒れる。
ひとまず、危険は遠ざかった。
ほっとしたとたんに視界が揺れる。目が回り息が苦しい。
「マリエット!」
クローエさんの声が聞こえるけれど、返事ができない。力が抜け、寒気に襲われる。目の前の暗闇が広がり飲み込まれそうだ。
まだ終わりじゃない。ムスタファを助けないと――。
次の瞬間閉じているはずの目に、閃光を浴びたような激しい光を感じた。
「マリエット!」ムスタファの声だ。「宮本、しっかりしろ!」
体の中に温かい何かが流れ込む。
「アホめ、俺と同じ倒れ方をすんな! バカ、マヌケ!」
体を揺すられている。ゆっくり目を開くと、目の前にムスタファの顔があった。
「……魔法陣から逃げられたの」
「ああ。しっかりしろ、バカ喪女!」
寒気は消えて力も入る。背中を支えられながら起き上がると、ムスタファのいる辺りの檻の一部が跡形もなく消えていた。その向こうではパウリーネが床に倒れている。
「もう少し、踏ん張れ」
ムスタファはそう言って、手をかざし呪文を唱える。書棚に誰かがぶつかる音。きっとバルナバスだ。
「ヨナス、クローエ、こいつを頼む。これじゃキリがない」
動かない、と思ったパウリーネがゆらりと起き上がった。
「妃殿下が!」とムスタファに伝えてから、振り返ればバルナバスも片膝をついてフェリクスとリーゼルに向かって攻撃している。ふたりは今にも倒れそうなほど弱っているようだ。
「くそっ」とムスタファが立ち上がる。「俺はパウリーネに行く。ヨナス、あっちを援護してくれ」
彼がそう言い終わった直後、それまで聞こえていたのとは違う高い金属音がした。その一拍あと。
「カール!!」
との叫び声が響き渡った。見ると血まみれのレオンが剣をだらりと下げて立ち、その前の床にはカールハインツが倒れていた。胸から血が流れている。駆け寄ったパウリーネが
「カールっ、カールっ!」と叫ぶ。「バルナバス、カールがっ、助けて!」
悲鳴のような叫び。
バルナバスも駆けつけるが、
「無理です、治癒なんて私にはできないとご存知でしょう!」と怒鳴る。
「でもカールが!」
愛人の手を握りしめ顔を涙でぐちゃぐちゃにしているパウリーネ。突然、はっとしたようにフェリクスを見た。
「お願い、彼を助けて!」
「無理です」とフェリクスと支えあっているリーゼルが代わりに答える。「たとえ助ける気になったとしても、もうそんな力は残っていません」
「お願い、カールが死んじゃう! 私も治癒はできないのよ!」
必死に頼むパウリーネの傍らに立ち尽くしたレオンがうつむき歯を食い縛りながら、静かに泣いている。
ムスタファが彼らに歩み寄る。
「お願い」とパウリーネ。「もうあなたの心臓は諦めるから、カールを助けて」
ムスタファは黒騎士のそばにひざまずいた。
「できるか分からないし、助けたところで一時しのぎに過ぎない。これはお前のためじゃないからな」
彼はそう言ってカールハインツの胸に手を置いた。そのまま動かない。
「小さな切り傷程度なら成功したのです」ヨナスさんが誰にともなく言う。「だけれどあんな傷は……」
彼が顔を動かす。つられて見ると、通路を多くの近衛兵が駆けてきていた。視認したとたん、足音に気づく。先頭は近衛総隊長だ。よく見るとやや後ろにオーギュストがいる。
「助けが来ました」
ヨナスさんの朗々とした声が荒れた室内に響き渡った。




