42・2カールハインツ
「目覚めてあの部屋から逃げ出してきたということは、仲間が助けに来たか、彼女がこちらが考えている以上に魔法が使えるかだぞ。状況からして、後者だな」
カールハインツがパウリーネに向かって言う。
「まだ生かしておくのだろう?」
「そうね。ならもう一度」
とパウリーネが腕を上げ指先を私に向けた。
「……どうしてですか」
カールハインツに向かって問いかける。
「王家に忠誠を誓っているのではないのですか。真面目な近衛なのではないのですか。――レオンはあなたを尊敬して、役に立とうとがんばっているのに!」
ほんの少し前の、誇らしげに胸を張るレオンが脳裏に浮かぶ。隊長の仕事環境を整えるのだと嬉しそうな顔をしていた。あのレオンを、カールハインツは裏切っているというのか。
「カールが忠誠を誓っているのは私だけよ」
パウリーネが腕を下げてまたカールハインツの額にキスをする。
「可愛いカールは私が全てだから。それに真面目な近衛であることには変わりないわよ。職務には忠実、部下の面倒見もとてもいい」
「レオンには感謝している」とカールハインツ。「おかげで余計な女に煩わされなくてすんでいる」
彼の顔は無表情のままだ。
「彼の好意を利用しているだけじゃないですか!」
思わず叫んでから、フェリクスの言葉を思い出した。彼はレオンに『浮気者。ムスタファだけにしておけ』と言った。
ムスタファが私を撫でようとしたカールハインツに怒鳴ったときは『汚い手でさわるな』だった。
もしかしたらあのふたりは、パウリーネとカールハインツの関係に気づいているのかもしれない。
「あらあら泣いちゃったわ」とパウリーネ。
私の頬を涙が伝っていた。
「どうしてですか」もう一度同じ質問をする。「誇りある黒騎士なのではなかったのですか」
ゲームのカールハインツはそうだった。王宮に上がり、実際に見た彼もそうだった。あれは全て、偽りだったというのか。
ふといつだったかレオンに、隊長のことをよく知らないくせにゲームの印象だけで好きだなんてと詰られたことを思い出した。
「あなたを純粋に慕うレオンを騙して、なんの後ろめたさも感じないのですか」
「……そもそも俺を尊敬するのが間違っている」カールハインツは平坦な声で言う。「俺には誇りなんてない。ただの人殺しだからな」
「カール!」
パウリーネが声を上げて彼を見た。
「人殺しって。どういう意味ですか。まさかファディーラ様を殺したのは……」
だけどあれは二十年も前のことだ。カールハインツは八歳。さすがに難しい気がする。そうか、比喩だ。きっと。
そうにちがいない。
すがる気持ちで彼を見る。だけどカールハインツは
「兄をな。うっかり衝動的に殺してしまったのだ」
と言った。
「何で言ってしまうのよ」
パウリーネが頬を膨らませている。
「……誰かに話したいとずっと思っていた。全て終わったら彼女を殺す気なのだろう? それならちょうどいい」
カールハインツは王妃の後頭部を優しく撫でる。
「仕方ないわねえ」彼女は甘い声を出した。
私は耳に入った言葉を理解したくなくて、また涙がこぼれそうになる。
「……お兄様を、なんて?」訊き返す声がまた震えてしまった。
「俺が殺した。八年前のことだ」
「あなたが?」
「そうだ。あいつが憎くて仕方なかった。ずっとな」
カールハインツが素早く腕を動かした。
キラリと光るものが一直線に飛んで来て、避ける間もなく足に当たった。悲鳴を上げてうずくまる。左の膝上にカトラリーサイズの短剣が刺さっていた。
「魔法が使えるのはもうひとりのほうか?」
そう言いながらカールハインツが歩み寄って来て、短剣を抜くと私を抱き上げた。
「安心しろ。まだ殺しはしない」
そのまま部屋の中央に連れていかれる。
そこにあるのは鳥かごの形をした狭い檻。
カールハインツは私をその中に座らせて扉を閉めた。
パウリーネが呪文を唱え、扉が輝く。揺すっても開かない。魔法で鍵を掛けられたのだ。
カールハインツが檻の隙間からハンカチを差し出す。
「傷口を縛っておけ」
「優しいわね。怒っちゃうわよ」
パウリーネがまた頬を膨らませている。
もう彼のことをどう捉えていいのか分からない。だけれど素直に受け取り、スカートをめくり上げ傷口を縛った。痛いけれど幸い大量に出血はしていない。――腕に足に胸にと痛いところだらけだ。
「俺は」とカールハインツが檻の前から動かないまま、口を開いた。「必死に立派な騎士になるための努力をした。誰よりも剣の鍛練をし、体作りもし、食生活にまで気を配った。それなのに兄にどうしても勝てなかった。あいつは俺の半分も真面目にやっていないのに、だ。祖父の厳しい命令だって俺は全て守り、あいつはまるっきり無視。だというのに祖父のお気に入りも、認めているのもあいつだ。おかしいではないか」
無表情な顔の中で、黒い瞳が底無しの沼のように見える。一切の光がなく、何も映していない。
「……だから殺してしまったの?」
「いいや。兄は祖父だけでなく、近衛の幹部からも若手からも人望があった。みないずれは兄が総隊長になるだろうと信じていた。なのにあいつは近衛を辞めると言い出した」
近衛を辞める。何かが記憶に引っかかる気がした。
「『王族は守るに値しない。弱い立場の人たちを守りたい』突然そんな世迷い言をエーデルは、この俺に向かって言ったんだ」
そうだ、思い出した。オイゲンさんがその話をしていた。だからきっとどこかで、国民のために生きているのだ、と言って。
「ふたりで巡回をしているときのことだった。『シュヴァルツの当主も総隊長もお前が継いでくれ。俺には近衛は向いていない』とな。エーデルは晴れ晴れとした顔をしていた。散々俺の前に立ちはだかっておきながら、俺が欲しいものをごみ屑のように捨てる。ふざけるなと、一瞬のうちに頭に血がのぼった」
いつの間にかパウリーネがそばに来て、カールハインツの頭を撫でた。
「それで殺しちゃったのよね。よりによって王宮の庭で」
うなずくカールハインツ。
「正気に戻って、場所を選ぶべきだったと後悔したがもう遅い。途方にくれていたときに彼女が」とパウリーネの手にキスをする。「現れた」
「私の温室の前だったのだもの。ちょうど中にいて、ベレノとふたりで帰ろうとして外に出たら、カールがいたの」パウリーネもカールハインツの手にキスをする。「あの時のカールは可愛かったわ。血まみれの剣を構えたまま呆然としていたのよね。全身返り血まみれで」
にこにこと、普段の笑顔で話すパウリーネ。あまりに不気味で背中を冷たい汗が流れ落ちた。
「あんまり情けない顔をしていて可愛かったから、助けてあげたの。浴びた血を消して、これからどう行動すればいいか教えてね」
「彼女の指示に従ったら、全てが上手くいった。俺を疑う者はひとりもいなかった」
「あら、それはちょっとちがうわ。カールの敵は私が潰してあげたのよ。――あの頃からずっとね」
パウリーネの目も奥底に暗い影があるように見えた。
「私たちの仲に気づいた人たちもね。ああ、そうだ。あなたと仲良しだった侍女もそうよ。もしもこの秘密を漏らしたらその瞬間に死ぬ呪いをかけてあげたの。恐怖で大泣きしていたわね」
「……ルーチェのことですか?」
「名前なんて知らないわ」とパウリーネ。
だけどカールハインツは無言でうなずいた。
なんてことだ、ルーチェ!
ここを出たら呪いを解く方法を考えないと。
……呪い?
「もしかしてリーゼル――フェリクス殿下の従者の呪いは」
「私よ」とパウリーネ。「あなたとムスタファに催淫魔法が効かなかったから、魔法の得意な協力者がいるのだろうと思って探していたら偶然、あの従者に呪いが掛けられていることに気づいたの。どんなものかと思っていじったら、うっかり解いてしまったのよ」
つまり彼女は魔力が強く、呪いぐらい簡単に扱えるのだ。
「彼女は世界で一番の魔術師だ」カールハインツが暗い目をして言う。「逃げようとは考えるな。お前たちに勝ち目はない」
私はパウリーネを見た。
「もしかして彼を操っているのですか」
「まさか。彼は心底私を愛しているのよ」
「そうだ」とカールハインツ。
「それならどうしてそんなに暗い目をしているのですか。ちっとも幸せそうじゃない」
カールハインツの無表情がやや崩れた。
「よく分かっているじゃない」とパウリーネ。「私たち、もう限界なの。正々堂々と一緒にいたいのよ。限られた時間だけだなんてガマンできないの」
「そのとおり。俺も彼女といたい。彼女を幸せにしたい」
「夫がいるのに!」
それもあんなにラブラブな様子の!
「あんな男っ」パウリーネが吐き捨てるように言った。「利用しているだけよ。いくら誘惑したってちっとも私を愛さない、バカ男!」
「彼女の価値が分からないようなぼんくらだ。だが俺なら分かる」
カールハインツは王妃の腰に手を回して引き寄せ、その額にキスをした。
「彼女のためならどんなことでもできる。誰よりも何よりも愛しているのだ」
パウリーネが私に顔を向けた。勝ち誇ったような笑顔だった。




