5・〔幕間〕第一王子と従者
第一王子ムスタファのお話です。
湯浴みの手伝いをしていた使用人たちが去り、部屋にはヨナスと俺のふたりとなった。燭台の半分以上の灯りを消して、普段通りのほの暗さだ。
人工的な明るさは好きではない。
今夜は宮本たちが来るからと多くの灯りを灯したけれど、眩しすぎてまだ瞼の奥に光がある気分だ。
ヨナスは長椅子にもたれる俺の後ろに立って風魔法で長い髪を乾かしてくれている。
この風は前世のドライヤーほどではないけれど、高温だ。ヨナスは器用に風を髪にあてながら、俺の髪を手櫛ですく。
本来これは侍女の仕事のようだ。父や弟たちはそうしているのに、と昔侍従長に苦言を呈された。
「しかし驚きました」背後から、少し責めるような口調の声がした。「『驚天動地のことが起こるが、黙して待て』だなんて言って。衝撃も大きかったですけど、疎外感で淋しくなりましたよ」
宮本たちとの会合について、ヨナスにはそのように告げ、説明するまで我慢していてほしいと頼んだのだった。
「一見は百聞にしかず。私が説明するより、受け入れられただろう?」
「かつて三人で別世界に生きていたことは信じましたけどね。受け入れてはいません。あなたがあんな乱暴な言葉を使うなんて」
「かつては庶民だったのだ」
「想像できません」
「この外見ではないぞ。いい男ではあったが」
「なんでしたか、『ふろあの女子全員を』でしたっけ?」
「それは嘘だというに」
「今のあなたは女性にも興味はないですものね。かつての反動でしょうか」
ふいと風が止み、宙を舞っていた髪がさらりと肩にかかる。ヨナスは櫛を取り、丁寧にくしけずり始めた。ここからも長い。目をつぶり、されるに任せる。
「それはともかく、ようやく腑に落ちました。あなたが変わったのは、以前のあなたを思い出したからなのですね」
「そうだ。心配していたか?」
「もちろん。原因が分かって一安心です」
「すまなかった」
「……打ち明けられていたとしても、どう捉えてよいか分からず困惑していたでしょう」
「そう思って、話せなかった」
ヨナスは王子の秘書であり指導役であり護衛。そして俺の兄のようでもあり、親友でもある。髪をすく手つきはこのうえなく優しくて、心地よい。これを他の者に任せるなんてことはできないのだ。
「ミヤモトは恋人ではなかったのですか」
「まさか」思わず目を開く。どうしたらそんな風に思えるのだ。「あいつとはライバルで犬猿の仲。社で一番反りが合わないヤツだった!」
ふふふとヨナスが笑う。
「でも信頼はしていたのでしょう。見ていれば分かります」
どこが?と思うが、信頼できると考えているのは事実だ。
「そうだな」と素直に答える。
「あなたがあれ程楽しそうにしているのは初めて見ました」
「……あれは別世界の私だからだ」
気恥ずかしさと後ろめたさが湧き上がる。
「だとしても。彼女と出会えて嬉しいのでしょう?」
「待て。『彼女』と限定するな。『かつての仲間たちに会えて』だ」
「そうですか。ではそういうことにしておきましょう」
「ヨナス!」
振り返ると、おっと、と声を上げられた。
「急に動かないで下さい。お髪が絡みます」
「確かにマリエットが宮本で良かった。安心して傍観者でいられる。だが嬉しいとは違う」
「彼女の好きなチーズを沢山用意したこと、白カビは必須と言ったことは、偶然なんですよね」
ヨナスが含み笑いで俺を見る。
「それは、彼女の育ちでは好きな酒を飲む機会がなかったようだからだ。それに比べて私は何でも手に入る。彼女の好きなものをというより……」
言葉を探す。
同期で入社して競いあって営業成績はそれぞれ各部で若手一番。出世も同じタイミング。周囲もよく知る犬猿の仲のライバル。
対等の仲だった。
それなのに今はどうにもならない格差がある。
「そうだな、罪悪感から、が正しい」
「そうでしたか」
ふと、宮本が市井に目を向けてと話していたことと、最初の晩によろけた彼女を支えたことを同時に思い出した。
あの時、あまりの軽さと細さに驚いたのだった。かつての宮本と話している気持ちだったせいもあるだろう。大人の女性の身体を受け止めたつもりがそうではなかったから、驚いたのだ。
だがあの軽さと細さは未発達ゆえのものだったのだろうか。前世のあのぐらいの年齢の女子と比べようとしても、頭に浮かぶのは陸上部の仲間ばかりだ。一般的かどうかが分からない。
「どうかしましたか?」とヨナス。
「あいつは痩せているのか? 年相応か?」
「……痩せていますね。コルセットを締める必要もないようですよ。身に付けてはいるようですが」
「なんでそんなことまで知っている」
「あなたが関心があるようでしたから、軽く調べました」
ひとつ息を吐いて、再び正しく座りなおした。
ヨナスの手が動き始める。丁寧に、宝物でも扱うかのような手つきだ。
やがて
「終わりました」との声がかかり、ヨナスは櫛やヘアオイルを片付ける。それがすむと彼は私のそばに戻ってきて、柔和な笑みで
「床に入りますか? それとも飲み物でも?」
と尋ねた。
「……あいつはな」
「はい」うなずくヨナス。
「プライドが相当に高い。私に同情などされたくないだろう」
「そうですか」
万が一そんな素振りを見せたら宮本は、バカにするなと怒るに違いない。
「面白い人ですね、彼女」
ヨナスは変わらない笑みを浮かべている。
「何かあったか?」
「先ほどバルナバス殿下の元へ行くフェリクス殿下と鉢合わせしまして、殿下は彼女を自室に誘っていました」
「本当にあいつは見境がないな。我が国に何をしに来たのだか」
「それで彼女が『人生初のモテ期だ』と感動してましてね」
何だそれは。
「ミヤモトの頃を含めても初めてだとか」
ヨナスの言葉に思わずため息が出た。
「仕事に夢中のせいなのか、劇的に鈍感なんだ。好意を持たれているのに気づかない。口説かれているのに、軽口を言われているのだと思って流す」
「あなたの経験で?」
「だから違うと言っている。友人の話だ」
郷愁が胸の中をせり上がってくる。目をつぶりやり過ごし、今の自分にもヨナスというかけがえのない友人がいるではないかとひとりごちた。
目を開き、ヨナスと見慣れた部屋を確認すると
「それで、あいつは断ったのだろう?」
と尋ねた。宮本はチャラい男は嫌いな筈だ。
「ええ。でもそれと感動は別と言うので、おかしくて」
「そのくらいで感動していて、カールハインツを落とせるのだか」
これだから恋愛経験のない喪女は。
いくらヒロインといえどもバッドエンドもあるのだぞ。やれるのか? 宮本。
「ですけどああいうタイプは押しに弱そうです」とヨナス。「殿下が本気で口説き続けたら絆されるのではないですかね。シュヴァルツ隊長なんて彼女では歯が立たないでしょうし」
では飲み物でも入れましょうかとヨナスが離れる。
宮本とフェリクスのハッピーエンド。
「いやいや。カールハインツ以上に似合わない」
あいつは前世でも今世でもチャラい男は嫌いなのだから。
〔幕間〕→本編に関係あり
〔おまけ小話〕→本編にあまり影響なし。ただのおまけ。




