5・4モテ期到来
ムスタファ王子の部屋をヨナスと共に出る。彼は主の寝仕度の準備に行くそうだ。それが本当かどうかは分からない。ひと部屋分ほど離れたところでヨナスは
「立場は相当悪いだろうに」と言ったのだった。
「別に。私はそう思ってはいません」
「カエル入りスープなんて聞いたことがない」
「耳が早いですね。今朝のことなのに」
ヨナスを見ると、なんとも言えない表情をしている。
「侍女と交際している侍従がいるからな。昼過ぎには知れ渡っていた」
「彼の耳にも入りますか?」
薄暗い廊下には私たちしかいないようだけど、念のためにムスタファの名前は出さないでおく。
「以前の彼だったら噂話に興味がなかったから、入らなかっただろう。今はなんとも言えない。君のことを調べる気になればすぐだな」
「ヨナスさんは黙っていてくれませんか?」
「何故?」
「以前の彼と私は対等な立場でライバルでした」
そう改めて口に出すと、過去形であることになんとも言えない侘しさを感じた。
「それなのにこんな低レベルの嫌がらせをされているとは知られたくありません」
ヨナスがチラリと視線をよこした。誠実そうではあるけれど地味な顔立ち。だけれど今夜の会合で、それだけではなさそうという印象だった。
「キザキとミヤモト」とヨナスが声を潜めてややたどたどしい発音で言った。
意図が分からず相手の顔を見つめると、
「深い信頼関係があるのだな」とにこりとされた。
「え、まさか」
反射的に否定する。だけど
「まあ、そうですね」と肯定し直した。「全てにおいてではないですけど。気にくわないところの方が多いですからね」
性格とか仕事の手段とか考え方とか、反発しか覚えないことは沢山あった。
けれどここぞというときには木崎は必ず結果を出すと分かっていた。それを信頼と呼ぶならそうなのだろう。
「だけど」とヨナス。「私は黙っているとの約束はしない」
「なぜ?」と彼のように聞き返す。
「おや。簡単な答えなのに」
「……やはり肝は信頼、ということですね」
「そのとおり」
当然だ。ヨナスと私は知り合ったばかりのほぼ他人。対して彼とムスタファは、それこそ本物の(木崎曰くだけど)深い信頼で結ばれているのだ。どちらを優先するかなんて、明白なことだ。
「ただし、自分から話すことはないだろう」
「ありがとう」
と礼を言うと王子の従者はまたにこりとした。
この人は信頼できる人なのだろうと、漠然と思った。
「ところでヨナスさん。私もひとつ質問があります」
なんですか、と彼。
「ワインのお供にチーズが三種類にクラッカー。ヨナスさんが用意したのでしょうか」
「用意したのは私だが、指示を受けてのことだ」
「チーズを三種、と?」
そうと答えるヨナス。
まさかと思うけど。先日に私がチーズを『おかわり』とねだったから複数用意した、なんてことはないだろうか。あいつはそつがない。ただ、私にそんなサービスをしてどうするのだ。
「チーズ好きが来るから、多めに用意するようにと言われてね」とヨナス。
それは確実に私への配慮ではないか。調子が狂う。木崎が私に優しいなんて。
それとも本来のムスタファがそういう人なのかな。人嫌いキャラではあったけど、懐に入れた人に対しては優しさを見せていた。
「お口に合ったかな?」
「ええ、とても」
「どれが好きだった?」
「白カビ」
「なるほど」なぜかヨナスが含み笑いをしている。「ミヤモトも?」
「ええ」
前世からワインと共に食べるなら白カビが好きだった。
……そうだ、おかわりと言ってしまったのも、それだ。
「あいつはね、私にそんな配慮をする奴ではなかったんですよ」
なんとなくむず痒い気分で、言い訳するかのようにそう言うと、ヨナスは
「そう」
とおもむろにうなずく。
「本当ですよ」
と、ヨナスは口の前に指を一本立てた。静かに、ということだろう。どうしたのだろうかと思っていると、階段のある角からフェリクスとその従者が出てきた。
「おや。見習いマリエットじゃないか」
チャラ王子は笑顔を浮かべて近寄ってきた。軽く膝を曲げて挨拶をする。
「ヨナスと夜のデートかい?」
私は手にしていた銀の盆を心持ち高くした。上には手紙。
「手紙運びにヨナスは必要ないだろう?」
そう言われると、そうなのだが。
「デートじゃないなら、その仕事が終わったら私の部屋に遊びに来ないか? 美味しいものを用意しておこう。もちろん、カエルは入っていない」
どうやらフェリクスも耳が早いらしい。
「早々カエルが食堂に迷いこむことはないでしょう。間抜けなカエルがいたものです」
「迷いこんだカエル?」
「はい。間抜けですね」
ふうん、と王子が目を細める。
「この後はロッテンブルクさんと本日の仕事について振り返りをする時間です」
「手強いな。ますます気に入った」
しまった、また気に入られてしまった。フェリクスは自分になびかない女に燃えるタイプのようだ。それともカールハインツの件を誤解しているようだから、他人のものを横取りしたいタイプとか。ゲームのフェリクスにはどちらの傾向もなかったような気がするけど。
「殿下。あまり見習いをからかわないでいただけませんか」
穏やかな口調でヨナスがやんわりと制した。
「からかっていないさ、本気だよ」あるあるのセリフを臆面もなく口にする王子。「それともヨナスも『参戦』するつもりか?」
それはないよ、と心の中で答える。ヨナスは攻略対象ではない。
「そのようなことには興味はありませんが、侍女頭は彼女のことを買っているようですから」
「なるほど。みな、ロッテンブルクの名前を出せば私が引くと考えているのだな」
「事実を申し上げただけです。それにこちらにいらっしゃるということは、バルナバス殿下の元に行くところなのではありませんか」
「正解。彼の部屋で飲む約束をしている」
にっと笑みを浮かべるフェリクス。
結局からかわれていただけらしい。
「じゃあまた、次は本当に誘うから」
ウインクをして去る攻略対象。
まだゲームは始まっていませんよと言ってやりたい。というかもしや、私が攻略されているのか?
「初のモテ期だ」
思わず呟く。
「え、モテ?」とヨナスが戸惑いの表情になる。「アレにモテるので、いいのか?」
「アレはなしですよ。でも人生初のモテは感慨深い」
「ミヤモトも含めて?」
うなずく。実は学生時代には彼氏がいたけど、私から告白して付き合いが始まっているし、誰かに告白されたこともない。
改めて考えると。
「結構、感動かも」
意味もなくじーんとして、乙女ゲームのヒロインになったことを実感した。
カールハインツは前半はツンしかないから、余計にかもしれない。
「ふうん」とヨナス。
王子をアレ呼ばわりしているぐらいだから、彼はフェリクスを良く思っていないのだろう。
「あくまでモテに感動しているだけですよ。本命はさっき聞いていたでしょう?」
しっかり念押ししておいた。




