38・1恐怖
私とムスタファが舞い上がっている間、ヨナスさんが各所に完璧なフォローを入れていた。私に関してはロッテンブルクさんに、安静が必要だから残りの仕事は休むと連絡をしてくれたのだ。さすがヨナスさん、手抜かりはない。
夕食のころに王子の私室を訪ねてきた侍女頭は私のケガの有無を確認したあとにムスタファを見た。なぜか顔には柔らかな笑み。
侍女頭の手前、私の向かいに座っていたムスタファは
「マリエットはこの先侍女見習い兼私の恋人だ」
と言った。
てっきりロッテンブルクさんは驚くと思っていたのに彼女は笑みを変えることなく、
「承知いたしました」と答え更には「心より御祝い申し上げます」
と言い、私のほうが驚いてしまった。
どうやら彼女もレオンのように、こうなると思っていたらしい。なぜだ。
理由は分からないながらも、侍女頭が仕事用ではない顔で祝福してくれたことがとても嬉しかったのだった。
◇◇
王子ムスタファに抱えられて城内移動。
これはまた噂の的になると思ったけれど、予想に反してそれほど騒がれなかった。
翌朝戦々恐々の思いで食堂に行ったけど、杞憂だったのだ。クローエさんによると侍女たちは『またムスタファ殿下の暴走か』と思っているらしい。
侍女たちに囲まれはしたけれど、
「マリエット。いい加減にムスタファ殿下に愛されていると認めなさい」
と諭されておしまい。
どちらかと言えば皆、魔力暴発で私が吹き飛んだことのほうに興味津々だった。滅多にないことらしい。
なんというか、私は侍女たちに受け入れられている気がする。ゲームだったら苛められているはずなのに。それとも私が王子の恋人となったと知られたら、掌を返されるのだろうか。
パウリーネ妃はロッテンブルクさんから聞いたのか、ムスタファが私の魔法指導をオイゲンさんに変えるよう頼んだらあっさり了承したそうだ。彼女は悪気なく口が軽そうだから私たちのことは、瞬く間に城内に知れ渡るだろう。
◇◇
強い日差しのもと、小路を辿り庭師の小屋へ向かう。ずいぶん久しぶりだ。
昼食もそろそろ終わりというころ、食べ終えて立ち上がったカルラ付き侍女が
「しまった!」
と叫んだ。
昼食前に庭師小屋に行ってカルラの部屋に飾る切り花を受けとるはずが、すっかり忘れていたらしい。
彼女は急いでカルラの部屋に戻らなければならないようだったので、私が代わりに庭師小屋に行くと申し出た。午後の最初の予定はカルラとの遊びなのでちょうど良い。
彼女は、庭師小屋周辺は人がいないから私を行かせて大丈夫かと心配してくれたけど、警戒しすぎて侍女としての仕事ができなくなるのは私がイヤだ。用心するからと言って引き受けたのだ。
確かにこの辺りは人気がない。散歩する王候貴族もいなければ、行き交う使用人も警備の近衛もいない。だから木崎もランニングコースにしたのだろう。
人の姿のなさにちょっと不安になったものの無事に小屋に着き安堵する。あとは帰りを気を付けるだけ。
「こんにちは」
と、扉を開ける。だけど誰もいない。もう一度こんにちはと声を掛け、床に置かれた水の入った桶に数種類の切り花が浸かっていることに気がついた。すぐそばの台には《カルラ殿下》と書かれたメモがある。
もしかしたらベレノは、侍女が来ないから外仕事に行ってしまったのかもしれない。
それなら花を、と思ったところでパチパチと火がはぜる音が耳に入った。見回すと小屋の奥に小さな暖炉があり、大鍋が火にかかっていた。すぐそばに簡素な木の階段がある。きっと屋根裏が居住スペースだ。
ベレノはそこかなと奥に進む。様々な道具や肥料、土嚢袋、木箱が雑然と置いてある。暖炉脇には大きな水瓶。ちらりと鍋を覗いたら、沼色をしたどろどろだった。食事には見えないから液体肥料でも作っているのかもしれない。
階段下から、
「こんにちは!」
と叫ぶ。手すりすらない階段は一直線で、上の階が少し見える。返事も物音も返って来ない。やはり留守らしい。では花をもらって帰るか。
突然、バタンと音がした。振り返ると開けたままだった扉が閉まっている。風のはずはない。私は何も感じなかった。
と、扉に近い窓に人が現れた。見たことのある令嬢がふたり。私を指差し笑っている。
まさかここで意地悪か。てっきりベレノがいると思っていたから気を抜いてしまっていた。失敗したなと思ったそのとき、令嬢のひとりが両手を指揮者のように動かした。
ガツン!と側頭部に痛みが走る。間髪入れずに背中に。思わずよろける。目に入ったのは、猛スピードで飛んでくる剪定鋏。慌てて避けて尻餅を着く。
窓に目を遣ると、変わらず指揮者の動きをしている令嬢と大笑いをしている令嬢。
なんてことだ私を的に、魔法で物を飛ばしているらしい。
そう考えている間にもシャベルやら肥料やら土嚢袋がぶつかってくる。
どうすると考え、階段を駆け上がる。余程の魔法の使い手でなければ、私の姿が見えなければ的にはできないだろう。
思った通り、上にまでは何も飛んで来ない。だけど彼女たちは諦めきれないのか、階下ではものがぶんぶん飛び交っている。
多分あの令嬢が一度に飛ばせるのはふたつ。片手でひとつだ。頑張れば避けて進めるかもしれない。だけど彼女たちが諦めて去るのを待っているほうがいいだろうか。
いや、私にはシールド魔法がある。今朝の指導時間では、昨日のことが嘘のように成功の連発だった。しかも張れる時間も伸びた。オイゲンさんには、君の魔法は精神状態にだいぶ左右されるようだねと言われたのだった。
とにかくあれを試すにはいい機会ではないだろうか。ただ魔法が発動するまでの間は攻撃にさらされてしまうのがネックだ。
ガチャン!と響いた音に階下を見遣る。暖炉脇の水瓶が割れていた。流れる出る水。
その水が暖炉に入った途端、大きな炎が上がった。見るみる間に広がる。瓶の中身は水ではなく油だったようだ。火を消さなければ。このままでは火事になる――。
ゾクリと悪寒が走った。
急速に胸が苦しくなる。
体が金縛りにあったかのように動けない。
息が上手く吸えない。
怖い。
私はまた、火事で死ぬ――
 




