37・1再びレオンの追及
常に用心して慎重に。
そう心掛けているけど特に何もなく、平和な日々だ。令嬢たちに苛められることもなく(遠巻きにイヤな感じのくすくす笑いで煽ってくる人たちはいるけど、無視している)、突如国王に呼び出されるなんてこともない。
ムスタファは、国費支出の疑問は担当者の返答で納得した、というフリをしている。その裏でエルノー公爵とその知人、それからオーギュストが、証拠集めに奔走中だそうだ。
とはいえ証拠が揃っても、ムスタファとエルノー公爵ではフーラウムに対抗できない。どう戦うか、幾つか案はあるのだけど、どれも決め手にかける。ゆっくり策を練るそうだ。
ムスタファの結婚話は、浮上したとき同様に唐突に立ち消えた。あちらの使者が、やっぱりムスタファよりも優秀なバルナバスを欲しいと言い出したらしい。フーラウムは拒否し、使者は失意のまま城を去ったそうだ。
なんだか腑に落ちない話だけど、助かった。
フェリクスも横領の証拠集めの協力をすると言ってくれている。彼の魔法は絶対役に立つだろう。でも他国の王子の立場ではややこしくなるから、礼拝堂地下の結界解析に集中してもらっている。
そんなフェリクスはムスタファ情報によると、ツェルナーさんがリーゼルに変わったことに動揺しまくっているそうだ。リーゼルの前では以前どおりなのだけど、いなくなるとムスタファやオーギュストに弱音を吐いているとか。
彼は私への態度も変わり、思わせ振りなことは言わなくなったし、触れてくることもない。
だけどフェリクスは、自分は従者が女性であることに戸惑っているけど、かといってリーゼルに辞められても困るから主としてしっかりしなければならないと考えているようだ。
リーゼルと私はここ数日ですっかり仲良くなった。彼女に『さん』付けはやめてと頼まれ、お互いに呼び捨てで呼びあっている。
彼女は苦渋の二日間を経て逆に腹が据わったようだ。フェリクスの期待に応えて立派な『従者』であり続けると張り切っている。
ふたりはこの先も主従関係でいるのではないかと、ちょっとばかり心配だ。
――でも人の心配をしている場合ではない。気を抜くと、あのとき扉の前で垂れた鼻水のことを思い出してしまう。あれ、と言うより木崎に関する全てのことを考えたくない。
考えると、知りたくないものを知ってしまいそうだから。
――こんな考えをしてしまうこと自体がイヤだ。雑念はいらない。目の前のことにだけ集中して、早く一瞬で張れるシールド魔法を使えるようになるのだ。ムスタファの仕事を手伝えるに十分な教養と知識も身につける。侍女としても一人前になれるよう努力して。そうして私は仕事に生きるのだ。
なんだ。前世と一緒だ。
大丈夫、私ならできる。
そういえば、ルーチェが退職するときに『マリエットは素敵な侍女になってね』と言っていた。彼女が驚くような有能侍女になろう。ロッテンブルクさんみたいな。彼女は確か、『あなたならなれるわ』と応援してくれた。
そのあとは『王子妃もいいと思う』と続いたっけ。『トイファー夫人も』とも言っていたな。どちらもあり得ないけど。
どうしてかカールハインツのことが抜けていると気づいたのは、彼女がいなくなって何日か過ぎてからだった。急に決まった退職にルーチェは相当動揺していたのだろう。すごく応援してくれていたのだから。
「……マリエット。……マリエット」
名前が呼ばれている。
はっとして顔を上げると向かいに座っているクローエさんと目が合った。
「食べないの?」と訊かれる。
「食べます、もちろん」
慌てて手にしていたパンを口に放り込む。
侍女専用食堂。お昼ご飯。
「ぼんやりし過ぎ」と、右となりの侍女もキツメの口調で言う。
「すみません」
「体調が悪いなら休みなさいよ。迷惑だから」
「悪くないです……」
と答えて、はたと気づく。これはもしや、ツンデレで労ってくれているのかな。彼女を見るとそっぽを向かれてしまった。
「魔法の練習に根を詰めすぎているとリーゼルが話していたわね」とクローエさん。
「早く習得したくて。ちょっと魔力不足で疲れているのかもしれません。心配かけてごめんなさい」
「ほどほどにしなさいよ。侍女の仕事のほうが重要でしょ」ととなりの侍女。「あなたが倒れでもしたら、殿下が大騒ぎしそうだから気を付けてよ」
「私は倒れないし、殿下も騒がないですよ。でもありがとうございます」
彼女はふんっと鼻を鳴らした。
私の向かいではクローエさんが微妙な表情をしている。彼女はルーチェがいなくなったときにアップルパイをくれた人だ。近頃、よく話しかけてきてくれる。落ち着いた雰囲気の良い人だなと思っていたら、なんと、ヨナスさんの恋人だった。
最近クローエという侍女が仲良くしてくれているとムスタファの私室で話していたら、ヨナスさんがさらりと
「私の恋人です」
と言ったのだ。
隠してはないけど、わざわざ他言もしないというスタンスを貫いているらしい。
今まで彼女はヨナスさんに『マリエットを遠くから見守ってやってあげて』と頼まれていたので、そうしてくれていたそうだ。
それが最近、ルーチェがいなくなった私があんまり淋しそうにしているから、そばにいてくれることにしたらしい。ありがたい。けど、そんなに態度に出ていたかな。
まさか木崎の差し金ではと考えたけど、ちがうらしい。
ちなみに彼女は二十五歳で勤続十年。ヨナスさんよりも王宮生活が長いそうだ。
そんなベテランクローエさんと四方山話をしていると、
「ねえ、聞いた? 陛下の体調がだいぶ悪いらしいよ」
という声が耳に入った。
左となりの侍女がその前の侍女に話しかけたようだ。
「どこかが痛いとかではないらしいのだけど、とにかく体がダルくてここ数日は毎日一度、上級魔術師が体力回復の魔法をかけているんだって」
「本当?」
「ホント、ホント」
「それ、私も聞いた!」と、別の侍女が会話に入る。
確かに、ヨナスさんも陛下の体調が芳しくないと言っていた。その時に、不死でも病気になるのだろうかと疑問を感じたのだった。
だけど実際の不死がどんなものかは知らない。もしかしたら死なないだけで病気やケガは普通にするってこともあり得る。フーラウムが病にかかったからといって不死ではないとは言いきれないのだ。
侍女たちは楽しそうに、こんな状況なのに王太子を決めないのかななんて話している。
木崎はあの日以来、私室以外での私への態度に細心の注意を払っている。今さら王宮中に広まった噂を消すことはできないけど、これ以上の誤解を生まないようにするためだそうだ。
ヨナスさんによると木崎は、ハピエンを迎えることより、妻を惨殺した(あくまで仮定だけど)フーラウムのほうが恐ろしいらしい。
『ムスタファ様は君をものすごく心配しているんだよ』なんてヨナスさんは言う。でも木崎は私の前ではいつもどおりだ。口も悪いし、すぐに喪女だからと見下してくる。そういうときのムスタファは、すごくイヤなヤツだ。
そう。木崎だろうがムスタファだろうが、たまに良いところがあっても基本はイヤなヤツ。――よし。
考えたくないことを頭から追い出し気合いを入れると、
「ごちそうさま」と言ってから立ち上がる。
「あら、ちょうど」と左となりの侍女が視線で私を促した。見れば食堂の入り口から綾瀬のレオンが覗いていた。私と目が合うと笑顔になって、
「これから魔法指導ですよね。送ります!」と叫ぶ。
「トイファーさん、可哀想」と右となりの侍女がキツイ口調で言う。「その気がないならちゃんとフリなさいよ」
「十回は断ってますよ」と言い返す。「もっとかも」
侍女は肩をすくめて食事に戻った。クローエさんに挨拶をして席を離れる。
そういえば最近、四股五股と言われなくなった。世間では『ムスタファ殿下のマリエット』が一般的な説になったかららしい。フェリクスは最近リーゼルとのカップリングで噂されているし、バルナバスにはあまり会わなくなった。カールハインツは毎日会っているけど、特に何も噂されない。レオンに至っては『恋を諦めきれない可哀想な人』扱いだ。
廊下に出ると当のレオンが見えないしっぽをぶんぶん振って待っていた。
「リーゼルは後から広場に行くそうです」
とレオンが言う。今日の魔法指導の付き添いは彼女だ。
「だから僕が広場まで送ります」
にこにこ顔のレオン。ちゃっかりリーゼルとも仲良くなって、『さん』なしで呼んでいる。フェリクスが苦い顔をしていることに気づいているのに、だ。案外性格が悪いのではないだろうか。
廊下を並んで歩きながら、
「まさか、今まで?」とレオンに尋ねる。
王子ムスタファの公式予定だと、午前はレオンによる剣術稽古になっている。そのあとの非公式予定は、こっそり礼拝堂地下探険だ。
「ええ。ダンジョンみたいで、ついつい長引いてしまいました」
レオンが少年みたいな顔になる。地下世界はゲーム好きにはたまらない雰囲気、ということかな。
みんなで礼拝堂探検をしたのは十日ほど前だ。あれ以来フェリクスとリーゼルが頻繁に入って結界や、その他の場所の調査をしている。そしてフェリクスから、ムスタファをはじめとした他の面々は勝手に入るなと厳命されている。必ず自分たちか上級魔術師と共に、ひとりでは何があろうとも絶対ダメ、と。どんな罠があるか分からないからだそうだ。
「先輩も探険を楽しんでいましたよ」
「それは良かった」
「残念ながら目新しい発見はなかったですけどね」
「そうなんだ」
「悪い発見がなかったのは、良かったです」
レオンを見る。普段の顔だ。
「うん」
もしそんなものを見つけてしまう時には、ムスタファのとなりにいたいなと思う。
「ところでマリエット。隊長にもらったお守りを失くしていたんですね」
驚いてレオンを見る。そのことは秘密にしてもらっているはずなのだけど。
「見つかりましたよ」とレオン。「探険のあとに殿下のお部屋に行ったんです。地図に書き加えるから」
地図とは地下の見取り図だ。フェリクスとリーゼルが作っている。私も見せてもらったことがある。
「そうしたらへルマンが来て、お守りを掃除メイドが先ほど見つけた、と渡してくれたんです。彼は僕のだと思ったようです。で、先輩がマリエットのだ、と」
そうか。へルマンはムスタファや私が持っているとは知らないからだ。
「どこにあったの?」
「長椅子の背もたれと座面の隙間の奥に入り込んでいたそうですよ」
「奥か!」
隙間も見たけど軽くだった。もしかしたらそれでかえって奥まで入ってしまったのかもしれない。
「どうしたらあんなところに入るのですかね」
レオンを見ると、剣呑な顔をしていた。
「先輩は『しまった』みたいな顔をして僕をさっさと追い出すし、僕に言えないような疚しいことでもあるんじゃないですか」
長椅子にあったということは落としたのはきっと、媚薬チョコに朦朧としていたときだろう。レオンにあの話はしていない。カッコ悪いから。
「別に疚しくはない」
「本当に?」
「本当」
「それなら疚しいのは先輩だけだ。どういうことだろう」
「木崎も疚しくないよ」
「そうかなあ。フェリクス殿下は、隊長から貰ったってことにやけに食いついていたけど」
フェリクス? 木崎に自慢したとき、フェリクスはいなかったのだっけ?
あの日のことは、どうも記憶があやふやだ。色々なことがありすぎた。木崎と口喧嘩したのもあの日だ。お前に優しい口調なんて不毛だと言われたのだ。
――って、なんでそんな些細なことを覚えているのだ私は。
「まあ、いいか。先輩が見つかったことを伝えておけと言ったので、伝えました」とレオン。
「ありがと」
「先輩てば、へルマンの前で見栄を張って。僕だったら恋敵が贈ったものなんて、こっそり処分します」
レオンを見る。
「はいはい、『そんなんじゃない』のですよね」
「それもあるけど。綾瀬って結構性格が悪いんだね」
「どこがですか!」
「なんで木崎なんかを慕っているのか不思議だったんだけど、似た者同士だったんだ」
「僕は先輩の足元にも及びませんよ。前世でも今世でも」
尊敬がこめられた口調。
レオンがちらりと私を見る。
「どうしてマリエットが彼を『木崎』呼びにこだわるか、当てましょうか」
「……それより地下の話をもうちょっと聞きたいかな」
「公の場に出ているときのあの人は」とレオンは私の言葉を無視して話す。「圧倒的な王子のオーラがある。元々の人嫌いと、美しいのに表情のない顔で近寄りがたさは王族イチ。僕たちとはいる階層が違うのだと痛感します。だけど『先輩』と呼んでいるときだけは、同じフィールドにいるつもりになれる」
レオンが私を見る。
「あなたも、そうでしょう?」




