36・3『悪ふざけ』
レオンに部屋に送ってもらったあとも、どういう訳だかひとりになることはあまりなく常に誰かがそばにいた。昼食に行くときは、ルーチェがいなくなった時にアップルパイをくれた侍女。カルラとの遊び時間は彼女付きの侍女が迎えにきた。パウリーネのお猫様のお世話のときはロッテンブルクさん。
木崎の差し金かと思ったら、侍女頭の指示だった。私に忠告してくれた気の強いチームが彼女にも伝えたらしい。
申し訳なくも、ありがたい。これなら万が一ハピエンになっても、窓から突き落とされるなんてことは起こらずに済むかもしれない。
やるべき仕事がすべて終わったので、ムスタファが帰ってくるまで自由時間だ。自室で我が国の法律についての書物を読むことにした。だけど、全く頭に入って来ない。雑念ばかりが浮かんでしまう。
しおりを挟み本を閉じ、卓の隅に置いた小瓶に手を伸ばした。フェリクスから昼前に届いたお礼のクッキーだ。私がリーゼルさんを匿ったおかげで彼女は城を出て行かなかった、出ていたなら二度と会うことはなかったかもしれない。そういう感謝らしい。
ちなみに変身魔法はフェリクスがラードゥロにかけたら一発で成功したそうだ。
リーゼルさんとはまだしっかり話ができていないのだけど、女性の姿でも心が折れないよう無心になってフェリクスに仕えるとは聞いた。気持ちを伝えるつもりはないらしい。
それにしてもフェリクスルートを選ばなくて良かった。もし選んでいたら今みたいに謎のゲームパワーで、強制的にハピエンの雰囲気にされて、リーゼルさんにはツラい日々になったにちがいない。あの木崎だって抗いきれなくて時々おかしくなるのだから、フェリクスだってそうなっただろう。
『木崎先輩が自分を好きかもと、あなたは考えないのですか』
ふとレオンに言われた言葉が甦る。
そんなの――。
◇◇
晩餐が始まる直前に帰ってきたムスタファは着替えもせずに、
「良くない状況かもしれない」と苛立たしげに言って、私をいつもの席に座らせた。
ヨナスさんが扉を閉め、お茶を入れ始める。
「何が良くないの?」
レオン情報によればムスタファの結婚話かもしれない。他にリーゼルさんのことも気にかかる。
「順を追って話す。まず俺に結婚話がでている」
「聞いた」
「は? 綾瀬か?」
ムスタファの目が怒りを帯びる。
「ちがう、カールハインツ。うっかり口が滑ったみたいで、居合わせた綾瀬が仕方なしに詳しく教えてくれたの。綾瀬を怒らないで」
「シュヴァルツ?」ムスタファがヨナスさんを見る。「あいつはそんなに中枢に食い込んでいるのか? まだ大臣連中しか知らないレベルの話だろう?」
「陛下たちの警護中に耳にしたのではないでしょうか」
「それで失言? あいつはそこまで間抜けか?」
「いえ……」
まあいい、とムスタファ。
「それなら話は早いな。俺の婿入りをフーラウムと宰相ベーデガー侯爵は諸手を挙げて大賛成、今すぐ俺を連れていって構わないとの姿勢だったらしい」
国王に対しての怒りが湧くけど、今はその話ではないのでうんとうなずく。
「一方でパウリーネが、俺の内定婚約者に失礼で外交問題になるから了解を得てからにすべきだと主張した」
「常識的な判断です」とヨナスさんが言う。
パウリーネはムスタファと身元不確かな侍女見習いをくっつけようと目論んでいるけれど、その場合は王子自らの意思だ。相手国には『アホな王子ですまない。代わりに第二王子でよいだろうか、こちらを王太子にすると約束する』と陳謝すればよい。
だけど国が内定を無視して他国との縁談を優先しては、バルナバスとの婚約を提案しても 不信感は持たれてしまう。
理があるのはパウリーネ側だ。実際、そう決まったようだし。
「フーラウム・ベーデガーとパウリーネで意見が対立して、昨日は俺に話を持ってくる前にかなり激しい口論になったようだ。特に父娘間は下劣な言葉を使うほど酷かったらしい。――これは全部、フェリクスの密偵情報だ」
「宰相のことはよく知らないからともかくとして。おしどり夫婦のふたりがケンカというのは意外だね」
しかもパウリーネはムスタファを婿に出すことに反対しているのではない。順番を守ろうと言っているだけだ。激しい口論というのはいまいち想像できない。
「陛下はここのところ体調がすぐれず、機嫌も悪いみたいでね。そのせいも多少はあるかもしれない」とヨナスさん。
「病気ですか」
いや、でももしフーラウムが不死なら、病気になんてなるのだろうか。
「知るか」ムスタファはケッという顔をした。「で。問題は何故フーラウムとベーデガーが、そんなに早く俺を追い出したいかだ」
そう言ったムスタファは珍しく前のめりになって足の上で手を組んだ。
「結論から言うと、ふたりは国費を横領している」
「横領!」
予想外の言葉に思わずすっとんきょうな声が出た。だけど木崎は笑うことなく、そうだと答えた。
「王様なのに国費を横領するの?」
自分で好き勝手に使えそうなのに。
「実際に使っているのはベーデガーだ。エルノーの話では侯爵家に以前あった借金は小国家の年間予算並みの額だったらしい。フーラウムが即位したときに王妃の実家がそれでは体裁が悪いと、輿入れ準備金の名目でかなりの資金と、敏腕経営コンサルタントを送った。それで侯爵家は僅か十年で借金を全て返済した」
「でも実際は横領金を使っていたってこと?」
「エルノーの推測ではな」
公爵には銀行家の知人も多く、前々からそのような噂があったらしい。現在もベーデガーは領地収入以上と思われる派手なお金の遣い方をしているそうだ。
「俺は宮本の孤児院の件で、国費について学び始めた。何しろ今まで無関心すぎたからな。そうしたら支出に関して引っ掛かるところが幾つか出てきた。といっても書類は複雑で俺はまだ理解しきれない。担当者に質問をしてどれも返答はもらっているのだが、やはりどうもおかしい。それがどうやら横領の跡だったみたいだ」
そう言ったムスタファは、珍しく顔を曇らせた。
「つまりフーラウムたちは不正に気づいた木崎を早く国外に放り出したいということか。婿入りなら不穏さはないから、周りに怪しまれることもない。パウリーネのほうは何も知らないから常識的に進めようとしていたんだね」
「そういうこと」とムスタファ。「今日のエルノーの様子だと、もしかしたら最初から俺はフーラウム・ベーデガーの対抗馬と目されていたのかもしれない」
「そうか。公爵は人の良さだけじゃなかったか」
「だけど国を憂いてのことだ。それは間違いない」
ムスタファの言葉にヨナスさんも微妙な表情ながら、うなずいた。
「問題はお前」と木崎は痛みを堪えているような表情をした。
「私」と答えて、木崎が言いたいことがなんとなく分かった。
世間はムスタファはマリエットを好きと誤解している。それはつまり私が彼の弱点になるということだ。不正に気づいたムスタファを排除したいフーラウムたちにとって、私は利用するのにちょうどいい。
「一旦、避難するのもありだぞ」
木崎は私が理解したと考えたのだろう、そんな提案をしてきた。
「見習いを辞めて、ヨナスの実家で貴族としての教養を修める。元々計画していたことだから、明日にでも行ける」
「避難なんてしない。木崎の足を引っ張らないよう、用心するよ」
「今までの苛めより危険なんだよ」と、ヨナスさん。
「分かってます。でも必ずしも何かあると決まったわけではないですよね。そういうことも考えられる、という話なだけ」
ヨナスさんに答えてから、再びムスタファを見る。
「それで木崎はどう対応するの?」
木崎のムスタファは何も答えずに、じっと私を見ていた。もしかしたらまた私を心配してくれているのかもしれない。頭から熱湯をかけられそうになった時のように。
あまりに沈黙が長いので居心地が悪くなってきたころ、ようやく木崎は
「……まあ、そう答えると思っていた」と言った。「宮本程度にこの俺が足を引っ張られるなんてことがあるはずないだろ。自分の身は自分で守れよ。誰が相手でも常に警戒しろ」
「了解」
「シュヴァルツにもだぞ」
「え? どうして」
ムスタファの顔が険しくなった。
「……そうか、王家至上主義だものね。陛下に命じられたら、どんな内容でも聞いてしまうかもしれないか」
「隊長は堅物だから、おかしな命令でも疑問を持たないかもしれないし」ヨナスさんが言う。
「確かに」
「対策はエルノーと考え中。その辺はまた後で話す」と言ってムスタファは立ち上がった。「着替えて晩餐に行かないと」
「そうだね。教えてくれてありがと」
「ん」と答えながらムスタファとヨナスさんは隣室に行く。
晩餐用の服は私が出しておいたけど、着替えの手伝いはしない。
ヨナスさんが淹れてくれたお茶のカップを片付ける。
「そうだ、宮本!」
となりの部屋から木崎が叫ぶ。
「なあに!」とこちらも叫び返す。
「リーゼルの父親と大司教、死んだそうだ」
「ええっ」
思わずカップを落としそうになった。
「向こうの役人が呼び出そうとして分かったらしい。どうやらふたり同時刻に心臓発作を起こしたとか」
「それ、怪しくない?」
心臓発作なんて、理由の分からない突然死ってことだ。
「呪いと関係あるのか、調査中だそうだ。それが済み次第アイヒホルン家は取り潰しで、領地を含めた全財産は国家に返却、または接収」
「厳しすぎない?」
「いや、フェリクスが言うには投獄がないから、これでも穏便な措置らしいぞ。リーゼルも納得しているそうだ」
「彼女はどうなるの?」
「まだ決まってない」
そうか。リーゼルさん、大丈夫だろうか。
「心配ねえよ。何かあったらフェリクスが奮起するだろ。――いつもうさんくさいあいつの本気、見てみたいな」
ふはっと吹き出す声がした。ヨナスさんだ。
「――お二人とも魔法レベルがかなり高い」とそのヨナスさん。「フェリクス殿下がもし王族でなければ、シュリンゲンジーフの上級魔術師にスカウトします」
なるほど、身分を捨てることになっても落ち着く先はあるらしい。
「ん? 場合によってはシュリンゲンジーフの王宮で三人揃うの? だったらルーチェも」
私はここを出るつもりはないけど、また彼女と一緒にいられたら楽しい。それもいいなと考えていると、着替え終わったムスタファが出てきた。ん、と髪留めを差し出される。
「これに付けかえろ」
ヨナスさんにやってもらえば早いのにと思いながら受けとる。私では背が低いから、ムスタファはいちいち椅子に座らなければならない。だからいつも急ぎのときはヨナスさんなのだけど。
ヨナスさんから櫛も受け取り、手早くハーフアップを直して服に合わせた髪飾りをつける。
「できたよ」
「どうも」
立ち上がったムスタファは私をちらりと見た。
「……昨日は、ちょっと悪ふざけが過ぎた」
悪ふざけ。『罰』のことかな。
「身辺には気を付けろよ」
「分かっているって。大丈夫」
じゃ、と部屋を出ていくムスタファとヨナスさんを見送って扉をしめる。
『木崎先輩が自分を好きかもと、あなたは考えないのですか』
――そんなの、考えるに決まっている。ルート選択してからの木崎はものすごくおかしい。
でもそんなのはゲームの影響だし、本人もそう言っている。でなければ、からかいとか悪ふざけで私をいじっているだけだ。
やけに親切なのだって、私が本当の木崎を知らなかっただけで、仲間内に対しては珍しいことじゃないのだ、きっと。だってフェリクスに対しても優しかった。
いくら私がリアルな恋愛経験が少ないからって、勘違いなんてしない。ちゃんと分かっている。
だいたい好かれても困るし。ムスタファが美しい王子でも中身は木崎。あんなヤツを好きになることなんてないから。
前世でのあいつを思い出すのだ。どんなにイヤなヤツで、性格が合わず、いがみ合ってきたことか。ちょっと優しくされたぐらいで、前世でのことがなしになることなんてない。
――さすがに大嫌いではなくなったけど。だからって絆されたりはしない。私はチョロくないもの。
ムスタファといると居心地が悪かったりドキドキしてしまうのは、ヤツの外見があまりに美しいからだし。他に理由なんてないし。
悪ふざけで『溺愛されとけ』なんて、悪趣味だよ。
木崎は本当にイヤなヤツだ。
ポタリと雫が扉の前に落ちた。
――ちがう、これは鼻水だ。そう、鼻水──。
 




