36・1言いたいこと
ツェルナー改めてリーゼルさんとフェリクスはしっかり話し合って、元通りの信頼し合っている主従に戻った。
本国は一連のことに激昂しているもののフェリクスの強い希望と、大使の『第五王子の側仕えができる者など他にいません』という口添えのおかげで、リーゼルさんをこのまま雇うことにしたそうだ。ただし彼女への処分が決定するまでの間の暫定措置らしい。
とはいえフェリクスが言うには密偵としての教育が済んでおり、魔法に優れ、なおかつ自由人の自分をしっかり操縦できる従者などそうそう用意できるはずがないから、こちらの国にいる間は心配ないだろうとのことだ。
一方でアイヒホルン家は厳罰が下されるらしい。王家を騙したのだから当然だ。だけど大司教は罪を逃れるのではないかとフェリクスは考えているそうだ。司教と駆け落ちしたのはリーゼルだと思っていたと主張すれば、教会と揉めたくない王は追及をしない。
納得はいかないけれど、遠く離れた他国のことだからどうにもならない。
フェリクスもアイヒホルン当主や大司教には憤懣やるかたないらしいのだが、でも彼らのおかげで素晴らしい従者に出会えたとも言えるから、複雑な思いらしい。
――そう、しっかり話し合ったふたりは変わらず主従なのだ。しかも――。
木崎と私がムスタファの私室に戻ると、実にすっきりした笑顔のフェリクスが、
「彼女はこれからも『従者』として私に仕えるから、マリエットは仲良くしてやってくれ」
と言ってきた。リーゼルさんも嬉しそうな顔をしていたから、それでいいらしい。
私と木崎は思わず顔を見合わせたけれど、フェリクスは
「急いで彼女に合う服を仕立てなければ」
とほくほく顔でリーゼルさんを連れて帰って行った。彼女はこの先も『従者』であるため男装するそうだ。
それから王宮内は困惑とゴシップの嵐が巻き起こったけれど、リーゼル=ツェルナーは割合簡単に受け入れられた。彼女に幾つか質問をしたバルナバスが、これは間違いないとお墨付きを与えたからだ。
留学生であるフェリクスが従者の身上を偽っていたことは、本来なら問題になるらしい。だけどムスタファや私が知らなかっただけで、司教と侯爵令嬢の駆け落ちは我が国でも有名な話だったようで、今回のケースでは致し方ないだろうという結論になった。
リーゼルさんは一躍時の人となり、駆け落ちについて詳しく聞きたいご夫人や令嬢たちが彼女を捕まえようと躍起になっているらしい。それを腹を立てたフェリクスが一蹴しているとかなんとか。
ふたりについてのそんな話を、私はヨナスさんとムスタファから教えてもらった。
というのは私も今日は渦中の人だったからだ。アホ木崎のせいで。
廊下での『溺愛されてろ』発言。
更に、『ムスタファ王子がカールハインツに嫉妬して不機嫌になり、私の手を掴んで彼の前から連れ去った』という出来事。
このふたつが王宮内を駆け巡ったらしく、久しぶりに背中をどつかれた。やったのは貴族のご令嬢たちだった。
食事時には侍女たちに囲まれ質問責め。
私が、本当の本当に王子の気まぐれで、何でもないのだと釈明すればするほど、何故か周りの表情は険しくなり、いい加減にしないと王子が可哀想だとお説教をされた。以前とは180度違う反応だ。やっぱりゲームがハピエンに持ち込もうとしているのかもしれない。
以前媚薬チョコを貰ってくれた気の強いチームが私を廊下の片隅に引っ張ったから身構えたけど、苛めではなかった。
「今回のことで、あなたを痛い目にあわせたいと言っている令嬢グループがいたから気をつけなさい」
と、忠告をしてくれたのだ。態度はツンケンしていたけれど。
とにかくもそういう状況で今日の私は大注目の的で、リーゼルさんの話題を直接聞く機会はなかったのだ。
「木崎のせいだ」
寝酒セットをいつもの卓に並べながら文句を言うと、
「何度めだよ、しつこい」とムスタファに反論された。
「だって頼んだよね。噂になるようなことをしないで、って。ゲームの影響には抗ってとも。そもそも誤判定されないよう気合いを入れると言ったのは木崎だよ。気合いはどこに行った。有言実行の看板は伊達か」
「うるさいな。誤判定は起こらねえよ。自分の過失を棚に上げて言いたい放題するな」
ムスタファは酒瓶を手に取りふたつのグラスに注ぐ。
「リーゼルさんのこととこれは別問題でしょ。どうするのよ、侍女たちまでムスタファ・マリエットを応援し始めているんだよ」
「いいじゃん、苛められるより」
「そうだけど。強制的にハピエンになったら大変だよ」
ムスタファの向かいに座るとグラスが差し出された。
「心配するな。強制はない」
きっぱりとして自信に満ちた声。
「どうして言いきれるの」
「俺はそんな間抜けじゃないから」
だけどムスタファは、私ではなくどこかあらぬ方を見ていた。誰に向かって話しているのだ。またゲームに対してだろうか。
口元のグラスを優雅に傾けるムスタファの表情は、部屋が薄暗いため分からない。黙っていると木崎みはゼロだ。
近衛広場で見せた月の王の感情を露にした顔は、ムスタファ王子と親しくない近衛たちに大きな衝撃を与えたようで、昼間偶然に会ったオイゲンさんには陳謝された。
彼曰く、そもそもあの場にいるべきではなかった、ふたりの時間を邪魔してしまいすまなかった、だそうだ。
この分だと、聞き付けた綾瀬がうるさそうだと思ったけれど、今日は会わなかった。珍しい。
「宮本」と木崎がよそを向いたまま呼ぶ。
「何?」
「あのな――」
ムスタファの声が強ばっている気がする、と思うのと同時に扉を叩く音がした。
昨日、一昨日と同じパターンだ。まさかと扉を見るとそれは開き、予想通りにフェリクスが入ってきた。
「何の用だ」ムスタファが刺々しい声を出す。
「邪魔者なのは承知の上だ」こちらはやけに張りのない声。「すまぬ、ムスタファ。相談に乗ってくれ」
盛大なため息をつく木崎。「宮本。このバカにグラス。お前はこっちに座れ」
うん、と立ち上がるとフェリクスが、
「本当にすまん。ムスタファ、二人きりがいい」と言った。
「はあ?」とムスタファ。
「じゃあ、私は遠慮するね」
キャビネットから新しいグラスをひとつ出してムスタファの前に置き、代わりにまだほとんど飲んでいない自分のグラスを取る。
「これを貰っていくね。おやすみ」
「フェリクス、待っていろ。彼女を送ってくる」
そう言ってムスタファが立ち上がる。
「いいよ」
「ダメだ。全ての侍女がお前の味方って訳じゃないだろ。警戒を怠るな」
「その通りだ、マリエット」フェリクスがムスタファに賛同する。「彼が人目も憚らずに君を溺愛しているとの噂が席巻中なのだろう。万が一君に何かあったら、ムスタファが辛いのだよ」
いやいや自分が撒いた種でしょと思ったものの、口にはしなかった。今日はツッコミどころが多すぎる。
おとなしく送られることにして、ふたりで部屋を出る。いつもなら扉の元で見ているだけなのに木崎は私の部屋までついてきた。なんとなく腑に落ちないけど、
「ありがとう」と礼を言う。
「施錠を忘れるなよ」
「忘れたことなんてないから大丈夫」
「アホな宮本は信用できないね」
ムスタファはいつもの木崎口調なのに、真顔だ。じっと私を見下ろしている。居心地が悪い。
「宮本」
「なに?」
「……ツェルナー、じゃなかった、リーゼルがあいつを好きなのは間違いないんだよな」
「うん。でも木崎が伝えたらダメだよ」
「分かってる。ただの確認。あいつの相談はどうせ彼女のことだろうから」
「むしろそれじゃなかったら怒る」
それじゃおやすみ、と部屋に入り扉を閉める。鍵を掛け、木崎が言いたかったことはリーゼルさんのことではなかったのではないだろうかと思った。




