35・3ツェルナーの秘密
ツェルナーさんを名乗る女性を部屋に入れると部屋の灯りを全て灯し、彼女に円卓の椅子を勧めた。水差しからコップに水を注ぎ、わずかに残っていたレオン土産のドライフルーツと一緒に出した。
「ありがとうございます」と女性。年は私より五つぐらい上だろうか。綺麗な顔立ちをしている。
彼女の向かいに座り、
「他に何か必要ですか」
と尋ねれば、女性はいいえと答えてかすかに微笑んだ。
「本当にありがとう。あなたの顔を見て、少し落ち着きました」
「ツェルナーさん、なのですか」
「はい」
「まったく違う人にしか見えません。もしかして魔法で女性になってしまったとか」
彼女はゆっくり首を横に振った。
「反対です。魔法でツェルナーになっていました。ツェルナーは私の兄で、私は妹のリーゼル・アイヒホルン」
ちょっと待て。予想外の情報が畳みかけられてきた。
この女性は私の知っているツェルナーさんだけど、本物ではなく、その妹だというの?
「どうしてなのか急に魔法が解けてしまったのです。申し訳ないのですが二、三日こちらで匿ってほしいのです」
「かくまう」思わずカタコトになる。「誰から?」
女性は目を伏せた。
「全てからです。フェリクス殿下も私が兄に化けた妹だとは知りません」
「え」思わず声を上げる。「殿下からも隠れるの!」
「はい。諸事情でしばらく城をあける旨の手紙は書いて自室に置いてありますから」
そういうことじゃない、と反射的に思った。
フェリクスとツェルナーさん、ふたりの関係を見る限り、手紙で済ますような話ではない。
だけどまずは彼、ではなかった、彼女の説明を聞かないと。
「では、ご事情を話していただけますか」
リーゼルさんはうなずき口を開いた。
◇◇
ツェルナー、リーゼル兄妹は都には住まず、生まれてからずっとアイヒホルン侯爵領の本邸で暮らしていたそうだ。近くには国内三大大聖堂と言われるホルン大聖堂があった。一家は敬虔な信者で事あるごとに大聖堂に通い、アイヒホルン家とホルン大聖堂は密接で良好な関係を築いていたという。
ところが七年ほど前に、アイヒホルン家次男のツェルナーと大聖堂に勤める司教が駆け落ちをしてしまったそうだ。この司教、数人いる司教を束ねる主座であり、いずれは大司教となるだろうと目されていた大人物だった。
司教以上の聖職者は結婚も交際も禁じられている。駆け落ちなどとんでもなく、しかも同性ということで大聖堂側は激昂したそうだ。
悪いのはツェルナー。聖職者を惑わす悪魔。それが彼らの見解だった。
この時の彼は十九歳で司教は四十八歳。一般的に考えれば青年を惑わしているのは、思慮分別がある年齢のはずの中年男のほうだ。
しかし憤激した大聖堂側は一方的にアイヒホルン家を非難し破門するとまで言ったのだが、両者ともひとつだけ一致する考えがあったそうだ。同性で駆け落ちという不道徳な恥を世間に知られたくない、ということだ。
そこで司教と駆け落ちをしたのはリーゼルとし、リーゼルはツェルナーとして大聖堂での奉仕をすることになったという。
彼女は当時十六歳で婚約者がいたけれど、彼にすら事実を伝えることは許されず、真実を知る者はアイヒホルン家と大聖堂側を合わせて数人ほどだそうだ。
しかしながら大聖堂側は偽ツェルナーの贖罪奉仕だけでは怒りが収まらず、司教とリーゼルの駆け落ちを国王に伝え、不敬虔なアイヒホルン家に罰をと迫った。教会といさかいを起こしたくなかった国王は一家の言い分も聞かずに断罪して公の場への出入りを禁じたのだった。
ところが四年ほど経ったころ。王宮からリーゼル扮するツェルナーの元に使者がやって来た。曰く、魔法レベルが高いゆえ、第五王子の従者に特別登用を認めてやる、ありがたく思うように――。
要するにフェリクスの従者が皆逃げ出して困り果てていた王宮が、魔力が高い上に絶対に断れない格好のカモを見つけて、強制的に召し上げたのだという。
「これに慌てふためいたのが父と大聖堂側です」
ツェルナー改めてリーゼルさんが淡々と身の上を話す。
「それまでの私はツェルナーの扮装はしていましたけど、基本は人目につかないよう行動して本人ではないことを隠していました。だけど王子の従者となるとそうもいきません。すぐに女だと分かってしまう。そこで私を魔法でツェルナーにすることになったのです」
「そんな事ができるのですか」
この世界の魔法は生活魔法が一般的なのだ。他人に変身するだなんて、まるで絵空事に思える。
「……正確はには魔法ではありません。可能ではあるのですが、持続性に不安がありました。だからより強固な呪いを、父と大司教がふたりで協力して私にかけたのです」
その魔法も呪いも複製元にしたい人物の体の一部があれば、簡単に瓜二つにできるらしい。彼女の母国では乳歯が抜けたらトゥースボックスで保管する風習があり、ツェルナーの一部は用意ができた。
この呪い等は、大聖堂の図書室に隠された禁書に載っていて、それを知っていた大司教が提案した。彼女の父は魔力が高く、呪いを掛けられるだけの能力を持っていた。
そうして完璧にツェルナーとなったリーゼルはフェリクスの従者となったのだった――。
「それが一刻ほど前、突然姿が戻ったのです。原因は分かりません。アイヒホルン家は三年間も王家を騙してきました。このことを知られる訳にはいかないのです」
話し終えたリーゼルは悲しげに見えた。
三年の間の心労とか、婚約者のこととか、胸が潰れそうな話だ。七年も兄として生きてきたなんて。
「大変でしたね」
私はそう声をかけることしかできなかったけど、リーゼルさんはありがとうと微笑んでくれた。
「とにかく二、三日様子見をしたいのですが従者部屋にいてはすぐにみつかるし、城を出てしまうと都合が悪くて」
呪いをかけた父親に何かあった可能性が高く、もし実家から手紙が届いたらと考えると城内にとどまっていたいのだそうだ。
それに彼女の給金は城下の銀行に預けてあるのだけど、当然ツェルナーとしてだ。女性のリーゼルが引き出しに行っても渡してもらえないかもしれない。となると城外で暮らす資金もない。
「ですから少しの間だけ、こちらに匿っていただきたいのです」
お願いしますと頭を深く下げるリーゼルさん。
「頭を上げて下さい。事情は分かりましたから、匿うのは構いません。ただ、フェリクス殿下に打ち明けたほうが良いと思います。あの方は味方になってくれるでしょう?」
フェリクスとツェルナーさんの間には強固な信頼関係がある。私にはそう見えている。
それなのにどうして彼女がフェリクスからも隠れようとするのか、分からない。
リーゼルさんは頭を上げたものの、視線は下げたままだった。
「無論、味方になってくれるでしょう。ですが殿下には知られたくありません」
「何か理由があるのですか」
「……話したくありません。無理をお願いしているのに、すみませんが」
「いえ、私こそ踏み込んだことを尋ねて失礼しました。ただ、フェリクス殿下が置き手紙で納得するとは思えなくて。あなたが突然いなくなったらきっと驚く……」ちょっと違う気がする。困る、でもない。困惑? 違う。「……心配すると思います」
きゅっとリーゼルさんの口が強く結ばれた。
「とりあえず今夜は休みましょうか」
立ち上がってベッドを見る。枕がひとつしかないけれど、ふたりで寝られる幅はある。
「私は床で構いませんから」
かけられた声に驚いてリーゼルさんを見る。
「あなたのベッドを借りるわけにはいきません。ムスタファ殿下に申し訳が立た……」
「ツェルナーさんは、私があなたを床に寝させて平然としている人間だと思っているのですか」
思わずツェルナーと呼んでしまった。
はっとしたリーゼルさんは、
「そうですね」と弱々しい笑みを見せた。「私としたことが、そんなことも分からなくなるほど平常心ではなかったようです」
「リーゼルさん」
「お言葉に甘えさせていただきます。しっかり休んで、明日には平静を取り戻します」
「それがいいと思います」
「朝になったらツェルナーに戻っているのが一番良いのですが」
果たしてそうなのだろうか。
リーゼルさんにとっての最善は?
それにフェリクスは?
ふと昨日、地下の探検から戻ったフェリクスに向けたツェルナーさんの顔を思い出した。
――そうか。きっと彼女はフェリクスが好きなのだ。




