33・6怪談話のような①
ムスタファの髪の手入れを終えると寝酒セットをテーブルに移す。昨晩より時間は早い。今夜のムスタファは晩餐を終えると早々に戻ってきた。綾瀬から聞いた話を私にしたいからとのことだ。
今日、ムスタファは外出、私はカルラとの遊び時間と予定の違いがあったせいで、朝以外にゆっくり話す時間はとれなかった。
レオンの旅の本当の目的はかつて王宮の侍女をしていた叔母に会うことだったそうだ。彼女からファディーラ様について聞いてきたものの、あまり気分が良くない内容らしい。
ムスタファは話の内容について何も言ってないけれど綾瀬自身がそう話していたし、ヨナスさんも下がる前に『ムスタファ様を頼みます』といつもより丁寧な口調で言ってきた。
当のムスタファは普段通りの顔をし身を乗り出して、ふたつのグラスにワインを注いでいる。ただ、おつまみが常より一層豪華になっている。暗い気分を晴らす景気付けというところだろうか。今日一日沈んでいるような素振りはなかったけれど、また平気なフリをしていただけかもしれない。
私が向かいの席に座ると、片手にグラスを持った中身木崎の王子は
「シールド魔法成功、おめでとな」
と言ってワインを飲んだ。
あれ、と豊富なおつまみを見る。チーズにクラッカー、フルーツ。どれも種類が多い。もしかしてこれは私へのお祝いなのだろうか。
「ありがと」
むずがゆくなりながらも、素直に礼を言う。
「ツェルナーが褒めるのは珍しいと、フェリクスが悔しがっていた」
「そうなんだ」
彼には、安定したきれいな術だったと褒められた。私は昨日のようなビギナーズラックかもしれないと思ったけど、それを差し引いても良かったらしい。
「というかツェルナーさんはフェリクスだけに当たりが強いんじゃないかな。私には終始優しいよ」
「……あいつまでオトしたのか」
「どうしてみんなその発想になるわけ? 綾瀬にも言われたよ。ちがうし、ツェルナーさんに失礼だよ」
ムスタファは顔を反らしてグラスに口をつける。
「……ヒロインパワー的な」ぼそりと木崎。
「魔法が上手く進んでいるのはそうだろうけど」
「それは努力だろ。いや、意地か。フェリクスに謝っておいたぞ。ツェルナーを雨の中、付き合わせたこと」
「ありがとう」
本当なら私が詫びるべきなのだけど、今日は彼ともタイミングが悪かったようで一度も顔を合わせていない。
「付き添いなんて必要ないと思っていたけど、ツェルナーさんには助かるよ。カールハインツは自分でも言っていたけど、魔法を教えることに慣れていないもんね。できればツェルナーさんに、他国の人がダメだというならオイゲンさんに代わってもらいたい」
「いいのか?」
「そりゃ気持ち的にはカールハインツだけど、私は一刻も早く術を使えるようになりたいからね」
ムスタファが、ううんと唸る。
「俺が嫉妬に駆られたフリをしたら、パウリーネは変更してくれるか?」
「ゲーム的にはアウトでしかないよね。どっちを優先すべきか難しい」
「決まってる、魔法だ」
木崎はズバッと言いきると「カルラまで心配しているんだぞ。あの融通の利かない堅物アホが余計なことを言うから」と吐き捨てた。
魔法指導の場をおとなしく去ったカルラだったけれど、私のことが心配でならなかったらしい。異母兄の元にやって来て、守ってあげてと頼んでくれたのだ。ちょうど私もその場にいたのだけど、心底不安そうな顔をしたカルラに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ちなみにその時のムスタファの返事は、
「任せろ。兄は魔法は使えないが、絶対に彼女を守る」
という断言で、聞いているこちらが恥ずかしくなった。
カルラが去ったとたんに、ヤツは前世でよく見た木崎の表情になって
「舌が腐る」
と言ったけど。
そしてすかさずヨナスさんが、
「あなたは茶化さないと、本音も言えないのですか」
と勘違いツッコミを入れていた……。
「カールハインツも、姫君が侍女見習い風情をあんなに心配するとは思わなかったんだよ」
「まあ、そうかもな」
もっとも乳母が言うにはカルラにとっての私は侍女ではなくて、『はじめてのお友だち』という感覚らしい。木崎に話したら絶対に、『精神年齢が一緒なんだ』と笑われるから言わない。
カルラの話が続き、ムスタファはレオンから聞いた話をしたくないのだろうかと気になり始めたころ、彼は
「まずい。余計な話で時間を食った」
と軽い調子で言った。気が重い話題という雰囲気ではない。
「母親のことだが、基本情報は今までに聞いたものと同じ。裏付けが取れたと言えるな」
ファディーラを連れてきたのはフーラウムで、当初のふたりは相思相愛。フーラウムは王族から離籍するつもりだったが兄が思い止まらせ、ファディーラを侯爵家の養女にした。彼女はやけに古めかしい話し方をして貴族の所作を知らなかったために、王子妃にふさわしい教育を受けた。
ふたりの蜜月はムスタファが生まれる前に破綻して、フーラウムは彼女に騙されたと主張し妻を避けるようになった。
ファディーラと侍女であったパウリーネの仲は良好。
それらを早口にムスタファは説明した。そして、
「ここからが新しい情報だ」と言って、いったんワインを飲む。
私も心構えをする。
「まずファディーラが城に現れたとき、著しく衰弱していたそうだ」
「衰弱?」
そうとムスタファ。
彼女は歩けないほど弱っていて、食事も重湯のようなものしか受け付けなかったという。だから重病人なのではと城の人々は怖がった。それをフーラウムが献身的に世話をして回復させたのだそうだ。
「それから」とムスタファが続ける。「ベルジュロン公爵夫人の話によるとファディーラは素性不明が理由で侍女たちに敬遠されていたとのこととだったが、違ったらしい。気味が悪かったそうだ」
気味が悪いとは嫌な表現だ。綾瀬やヨナスさんが気にしていたのはこのことだろうか。ムスタファはいつもどおりの様子だけど。
「美貌と佇まいがどこか人間離れをしていたうえに、何故か昼間は寝てばかり。無理に起きていると必ず体調を崩す。しかも異様に他人を敬遠して、侍女たちには絶対に身体にさわらせなかったそうだ」
「……気味悪がるほどのことではないと思うけど」
ムスタファが首を横に振る。
「綾瀬の叔母も、決定的な何かがあった訳ではない、雰囲気だと話していたそうだ。王宮に現れた当初は、他人を敬遠というよりは怖がっているような様相だったし、フーラウムも神経質に彼女を守っていたらしい。そういうことが相まって、もしかしたら人ではないのではと侍女の間では、まことしやかに囁かれていたそうだ」
もっとも妬みによる根も葉もない噂と捉える向きも多かったそうだ。
「城の生活に慣れたファディーラは侍女たちにも優しくて、上手くやっていたらしい。この辺りが彼女の最盛期だな。パウリーネが専属になって、父との仲も良い。妊娠も皆に喜ばれていた」
うんとうなずきながら、最後の一言にほっとする。
「問題は彼女が死んだときだ。綾瀬はまるで怪談だと言った」
「怪談?」
「そう。宮本は怖い話は平気か。ダメなら抱き締めながら話してやる」
木崎がにやにやとしているのが、薄暗い中でもわかる。私だっていつも言い負かされてばかりではないのだ。
「平気だけど木崎がやりたいのならすれば? 溺愛ルートごっこがそんなに楽しい?」
でも、と言った直後に思い直す。ムスタファは軽口を挟まないとやりきれない心情なのかもしれない。
迷いは一瞬。
立ち上がると彼のとなりに座り直した。




