33・5帰ってきたレオン
「ツェルナーさんもすっかり濡れてしまって。すみません」
「ではお詫び代わりに、次回の魔道具在庫チェックを頑張ってもらいましょうか」
「あれは勉強になるから詫びになりません」
「おや、マリエットはそんなこともしているのか。ムスタファ殿下はご存知か」
魔法指導を終えカールハインツと別れ、城内をツェルナーさんとヘルマンと話しながら歩いていると。前から綾瀬のレオンがやって来た。私に気づいて満面の笑みを浮かべる。
「彼はわんこ系ですよね」とツェルナーさんが小声で言う。
「やっぱりそう思いますか。私もよく耳としっぽが見えるんです」
ふふっと笑うツェルナーさんは、人懐っこい雰囲気だ。フェリクスと一緒のときは厳しそうな印象だけど、実は話しやすい人なのかもしれない。
小走りでやって来たレオンに
「お帰りなさい」と言うと
「会いたかった!」と抱きつかれそうになった。
私がさっと飛び退くのと、ツェルナーさんが手を出してレオンを制するのが同時だった。
綾瀬が不満そうにツェルナーさんを見る。
「すみません。マリエットが困ると思って、つい」とツェルナーさん。
「……まさかあなたも彼女に恋したとか言いませんよね」
「言いませんよ」
「ちなみに彼女に抱きついたら、私が殿下に報告する」とヘルマン。
「止めて下さい。怒られるのは私なんですから」
私がそう抗議をすると、三人は押し黙り剣呑な目を向けてきた。なぜだと思いすぐにはっとする。
「怒られるって、気のない相手には毅然とした態度を取れということでですよ。変な意味ではなくて」
「マリエット。それはただの嫉妬。君に責任転嫁することで誤魔化しているだけ」
とヘルマン。うなずくツェルナーさん。
「ちがいます」
綾瀬なら嫉妬なんかじゃないと分かると思い彼を見たが、口をへの字にして不機嫌な顔をしていた。
「聞きましたよ。ムスタファ殿下の専属になったって」とレオン。「それから彼のルートだとも。僕があなたに手出ししたら、彼も強制力で同じ事をしてしまうって」
「そうなの。だから気を付けてね」
「酷い話だ。――まあ、いい。びしょ濡れですね。話したいことは山ほどあるのですが、風邪を引いたらいけないから我慢します。昼食のあとに時間は取れますか?」
「少しなら取れる。けど――」自分が言おうとしていることに、胸の奥がきゅっと痛くなる。「ルーチェさんがもういない。一週間前に退職して故郷に帰ってしまったの」
レオンが目をまばたく。
「……どうして」
「分からないの。のっぴきならない事情があるみたいだけど、教えてもらっていない。ロッテンブルクさんも知らないそうよ」
「そう。残念だな」レオンが目を伏せる。「彼女にもお土産を買ってきたのに」
「実家に送ってあげて。きっと喜ぶから」
「いや、半生タイプのドライフルーツなんですよ。日持ちがあまりしないから、送るのはちょっと心配ですね」
「そっか」
「彼女がマリエットには消えものがいいって教えてくれたから、お揃いで選んだのに。残念だ」
レオンは本当に残念そうで、その姿はルーチェがいなくなって淋しい私の無聊を慰めてくれた。
「ありがとう。彼女への手紙に、あなたがすごく残念がっていると書くわ」
「ええ。待っているから、いつでも戻ってきてと書いて下さい」
「それは余計に悲しませてしまうと思う。辞めたくなくて号泣していたの。きっと相当深刻な理由があるのよ」
「……号泣」と呟いたレオンは「僕が力になれることはあるだろうか」と言う。
「噂だけどな」とヘルマンが周りを見回し声を潜めた。「急な退職はパウリーネ妃殿下の侍女に多い」
「彼女は違います」
「でもお気に入りでよくそばに呼んでいたとか」
そういえば彼女は王妃の代わりにお針子仕事をしていた。
ヘルマンは再び周りを見て、更に声量を下げた。
「陛下が少しでも興味を持つと妃殿下が辞めさせるという噂だ」
だけど国王夫妻はあんなに相思相愛ではないか。そう思ったけれど、ルーチェの退職を巡る噂には国王を誘惑したというバカげたものもあった。
「それは私も耳にしましたが、あくまで根拠のない噂です」とツェルナーさんが言った。
「ああ、噂だ」とヘルマン。「だけどもしそれが真実の理由ならば、彼女は絶対に戻れない。気の毒だが、近衛兵としては当たり障りのない手紙を書くにとどめておいたほうがいい」
そうか。ヘルマンの話はレオンの立場を考えてのものだったのだ。近衛総隊は大所帯で城の警備もしているけれど、最も重要な仕事は王と王妃を守ることだ。王妃の不興を買うわけにはいかない。レオンは剣術稽古をしたりとムスタファと親しくしているから、ヘルマンは気遣って教えてくれたのだろう。
レオンは無言で頭を下げる。
「じゃあマリエット。昼食のあとに会いに行くよ」
綾瀬は笑みを浮かべていつも通りの声で言った。
「分かった。お土産を楽しみにしているわね」
彼の笑みが一瞬崩れて、淋しそうな顔になる。が、そのまま彼は私たちが来たほうに去っていった。近衛府に向かうのかもしれない。
「それで」とヘルマン。「どうして彼は君に敬語を使うのだい?」
「ええと。そういう癖だって聞いてます」
「へえ。変わった癖だ。噂にたがわず、彼は君にぞっこんって感じだな」
ツェルナーさんがうなずく。
「なんとか諦めてもらいたいのですけど」
「ムスタファ殿下と本当に交際すれば問題解決だ」と真顔のヘルマン。
大きく首を縦に振るツェルナーさん。
それは木崎と私ではありえない。しかも万が一そんなことになったら世界が滅びるのだ。
そう説明しても、信じてはもらえないのだろう。
「他の案でお願いします」とだけ言う。
それにしても、どうしてゲームはこんなにムスタファと私をくっつけようとするのだろう。もしかして世界の破滅を望んでいるのだろうか。
◇◇
着替えをするため自分の部屋に戻り、タンスを開ける。中にはルーチェからもらった服がたっぷり入っている。その一枚を手にとって少し考え、結局戻した。まだ彼女の服は一度も着ていない。多分だけど私は、着てしまったらルーチェが二度と戻って来ないと認めてしまう気がしてイヤなのだ。
ただの思い込みだし、もらった服を着なければ彼女の好意をムダにするとも分かっている。だけど気持ちの整理はまだつかない。
ましてや噂が本当だとしたら、彼女はとばっちりを受けただけだ。もちろん噂なんて当てにならない。ならないけれど……。
ルーチェがあれほど号泣したのだ。退職が理不尽な理由ゆえだったのは明らかだ。
頭を横に振って疑念を払う。パウリーネのことをロッテンブルクさんは信じている。王妃はちょっと思い込みは強いけど、道理が立たないなことなんてしないはずだ……。




