33・1信用問題①
今朝は久しぶりの曇り空だ。薄暗く湿気が多い。
「雨のときはどこで魔法指導を受けるんだ」
と目前に座るムスタファが尋ねる。普段通りの髪の手入れ時間。完璧王子はこんな天気でも髪がボワボワにならないらしい。いつもどおりに絹糸のよう。
櫛を通しながら、
「決めていないけど、騎士に雨とか風とか関係あるかな。普通に外なんじゃない?」と答える。
「不可」
即答だ。なぜ木崎が決める。
「どうして?」
「風邪をひかれると面倒」
なんだその理由は。ワガママ王子め。
「雨に濡れたマリエットはきっと色っぽいからでしょう」
そんな声と共に、ヨナスさんが部屋に入って来た。いつもなら手入れが終わる頃まで戻ってこないので珍しいことだけど、その手には銀の盆があり一通の手紙がのっているから、それが急ぎのものなのだろう。
「……ヨナスまで溺愛ルート路線だ」と木崎。
「本当に。強敵だね」
「レオン・トイファー様からです」
ヨナスさんは何もツッコまずにかしこまって言う。
「帰って来たか。開けてくれ」
ムスタファがそう言うと、ヨナスさんはお菓子が入っているものとは別のキャビネットに行き、ペーパーナイフを取り出す。
「旅立ってええと、……今日で八日目か。向こうでゆっくりしなかったのかな」
「見合いを断るなら居づらいだろう」
そうか。目的は親戚のお見舞いだけど、それもセッティングされているという話だった。ギクシャクして早く帰ってきたというのは十分ありえる。
綾瀬はまだルーチェが退職したことを知らない。きっと驚くだろう。いつだって話が弾んでいるように見えた。
結局フェリクス調べでも彼女が去った理由は分からなかったし、私が綾瀬に説明できることは何もない。
ヨナスさんが銀の盆に封筒と便箋をのせて戻ってきた。それを手に取るムスタファ。
「……昨晩遅くに帰着したって」
「遅く?」とヨナスさん。「まだ有給はあるのに、急いだのでしょうか」
それから彼は、貴族たちは基本的に夜間に旅行から帰ることは避けるのだと教えてくれた。それというのは、一泊の宿泊費をケチっているように捉えられてしまうかららしい。貴族の見栄は面倒だ。
「至急、話したいことがあるそうだ」とムスタファ。
今日の彼の予定はと、考える。かなり詰まっているから私的な話となると夜になってしまうのではないだろうか。
「マリエットがあなたの専属になったことを聞いたのでしょうか」とヨナスさん。「彼なら大至急案件でしょうから」
「いや、違うようだ」とムスタファは便箋をヨナスさんに見せ、なにやら指さしている。
ふふっと笑うヨナスさん。
「どうかしたの?」
「『追伸。僕のマリエットに手出ししていませんよね? 少しでも関係が進展していたら怒りますからね』だってさ」呆れ口調の木崎。「何が『僕のマリエット』だ」
「騒がしくなるね」
憤慨しているレオンを想像したらありありと光景が浮かんできて、顔が弛んだ。また賑やかな日々が始まることが嫌ではない。綾瀬の口説きは困るけど、いれば楽しい。
「急ぎとなりますと、短時間にはなりますが午前に面会を入れましょう」
ヨナスさんの言葉にうむと頷くムスタファ。
そんな余裕があったかなと考える。
その疑問が顔に出ていたのか有能な従者は、多少ならば削れる予定があるのですよと教えてくれた。
ちなみに拝謁伺いを出されてしまうと、レオンの場合はダメらしい。伺いは公式な申込だから彼の身分では余程のことがない限り、割り込みができないそうだ。
ムスタファの剣術に付き合っているのに。
覚えておくようにと言ったヨナスさんは、主と幾つかのやり取りをするとに調整とやらに向かった。
「拝謁伺いでなくていいの?」
「友人としてのことなら必要ない。綾瀬にそう言ってある。職務関連だとシュヴァルツがうるさいから伺いのほうがいいがな。というかあの堅物がゴリゴリに真面目すぎるんだよ」
「そこが彼の良いところ。みんながみんなユルかったら近衛としてはマズイじゃない」
「そうだけどな」
「実際にそれで出世してるし部下にも慕われているよね」
「ロッツェの的確なサポートもいいって話だな」
「確かに昨日、それを感じた」
近衛広場で話したことを思い返す。
もしかしたら消えた親友に代わって、その弟を見守ろうと考えているのかもしれない。雰囲気と違って食えないひとのようだけど、カールハインツとそのお兄さんのことは大事にしていそうだった。
「ああ、実はお前が試されてたこと?」
「そう」
それから、いずれカールハインツが総隊長になったら副はやっぱりオイゲンさんだろうねとか、黒騎士の総隊長はカッコいいとか、彼のハピエンルートではエンディングでその姿が見られるなんて話をしていたら。
「なんでアイツは総隊長に昇進するんだ?」と木崎が尋ねた。
「ええと……」
なんでだっけと考え、すぐに息を飲んだ。顔から血の気が引く。なんでこんな大事なことを忘れていたのだろう。
ムスタファが「どうした」と振り返る。
「……ごめん。スコンと忘れてた」
彼は立ち上がったと思うと、開け放された扉を閉めに行った。さすが察しがいい。




