32・3専属侍女初日③
「ところで」とフェリクスが振り向く。「前回の生では、ふたりはどんな関係だったのだ」
「同じ職場で働くライバルです」
「納得だ!」
チャラ王子は何故か嬉しそうな顔をして、ムスタファの肩を叩いている。うるさそうに振り払う木崎。仲良しだなあ。
「それでその時の彼はどんな風だった」
「自分にも他人にも厳しくて、めちゃくちゃ嫌なヤツでしたよ。仕事は誰よりもできましたけど」
ふうん、とフェリクスはニヤニヤ顔でムスタファの顔を覗きこんでいる。
「それから殿下以上の女の子好き。恋人をとっかえひっかえ」
「宮本、余計だぞ!」木崎の鋭い声が飛ぶ。
フェリクスのほうは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてから、爆笑した。
「そうか、そうか。全て理解できた」
「そのアホ女は適齢期を過ぎても仕事しか生き甲斐のないようなヤツだったから、アホなんだ」
木崎め、アホを二回も重ねた。
「なるほど、好意に対して劇的に鈍いのは今に始まったことではないのだな」
まだ笑っているフェリクスが目尻を拭いながら言う。
「鈍いって、私がですか?」
「そうだよ」
「そうだっ」
ふたりの王子の声が重なり、フェリクスは再び大笑いする。
自分のことを思い返してみる。心当たりはひとつある。
「レオンは気付かなくても仕方ないと思うのです」
「ここに来て、近衛君か」とフェリクス。
「すみません、殿下のことでしたか」
「……そうだ」にこりとした彼は正面を向き直り、「これは苦労するな」と言ったのだった。
髪の手入れが終わり、道具を寝室のキャビネットに片付ける。そもそもはムスタファの身支度は全てこちらでやっていたらしい。髪だけ居室を使っているのはムスタファなりの私への配慮なのだと、準備をしていたときにヨナスさんがこっそり教えてくれた。
人が入ってくる気配に振り向くと、当のムスタファだった。
「宮本」
「何?」
「手」
「手?」
自分の両手を見つめる。ひび割れでもあって、ムスタファの髪を引っ掻けたりしただろうか。毎日仕事前にチェックしているのだけど。
と、その手を包み込むように握られた。
すぐ目前。息する音も聞こえそうな間際に立つムスタファ。困惑して見上げると、真顔で私を見下ろしている。親指で掌をゆっくりなぞられる。
「木崎?」
「……よく分からねえけど、こうしなきゃいけない気がする。ゲームのせいだな」
「しっかりしてよ!」
だけど手は離れない。こちらから振り切ろうとしても、がっつり握られている。
「全力で抗って!」
「宮本がフェリクスに触られなければ、ゲームも俺にこんなことをさせないんじゃねえの」
「私のせい!?」
「あいつに距離を詰められなきゃいいだろ」
「だって髪を梳かしていたんだよ」
「俺に限っては仕事よりフェリクス回避を優先しろ。あと、綾瀬な。あいつも手が早い」
掌を撫でる動きは止まらない。くすぐったい、というかぞわぞわする。
「分かった。分かったから、木崎!」
すっとムスタファの手が離れる。
「すげえ赤面」
「悪いか。免疫がないって言ったよね」
鼓動が早い。いくら中身が木崎とはいえ、ムスタファはイケメンなんだ。こんな接触は心臓に悪すぎる。
「気を付けろよ。フェリクスにされたことは俺もするみたいだから」
「なんでムスタファルートになったとたんに」
「知らねえよ」
ふいとムスタファが離れる。と、コホンと咳払いがして、見ると隣部屋との境にヨナスさんが立っていた。いつからそこにいたのだ!
「ムスタファ様。打ち合わせの前にシュヴァルツ隊長からマリエットの指導についての拝謁願いが出ています。いかがなさいますか」
「今すぐ」
部屋を出ていく気配を背中で感じながら、キャビネットの引き出しに手入れを終えた櫛を入れしまった。
まだ胸がドキドキしている。ムスタファルートは予想外に罠だらけらしい。
居室に戻ると、先ほどと変わらない位置に座ったままのフェリクスが半身をひねってこちらを見ていた。
「いちゃいちゃは妬けると言っただろう。ムスタファには手を握らせてずるい」
「覗きか、変態」とムスタファ。フェリクスのとなりに座っている。
「マリエットの叫び声が聞こえたぞ。むっつりめ」
むっつり? 木崎が?
おかしくて吹き出す。
ムスタファはすごい勢いでチャラ王子に顔を向け、
「誰がむっつりだ、訂正しろ!」と迫っている。
「仲良しですね」とヨナスさんに声をかけると彼もうなずいて、
「ツェルナーには目くそ鼻くそと評されたそうだ」
と言う。
「お前も余計だ、ヨナス」とムスタファ。
そこへ開け放したままの扉からノック音がして、
「申し訳ありません。こちらに……」とツェルナーさんが顔を出した。「あ、いた」
「見つかった」と肩をすくめるフェリクス。
「またあなたは、邪魔をして。うちの主が空気を読めずに申し訳ありません」
平身低頭のツェルナーさん。
昨日と同じメンバーが揃い、ふたりの従者とお茶の用意をすることになった。ムスタファ専属も楽しそうではあると思うのだ。
ただしこれ以上の誤解と溺愛ルートへのフリはいらない。
それにしても木崎だ。私だって一応はヒロインなのに、手を握っても表情ひとつ変えないのだから。
いや、そのほうがゲームに対抗するには良いのだろうか。
ちらりと目をやると、王子たちはひそひそ話をしながら、小学生男子みたいにじゃれあっていた。




