32・2専属侍女初日②
断りもなくやって来たフェリクス。軽薄な笑みを浮かべながら、
「朝からいちゃつくな。妬けてしまうではないか」なんて言う。
おはようございますと挨拶する私にムスタファが、
「勝手に入るな」と被せてくる。
「君だって昨日は私の書斎に勝手に入ろうとしたではないか。それに扉を開けておくのが悪い」
フェリクスはニヤニヤしながらムスタファのはす向かいに立ち、
「君はマリエットを気遣って、密室に二人きりだと思われないようにしているのだろう。優しい男だ」と言った。
「マナーではないか」とムスタファ。
そうだったんだ。木崎が私に、しかも侍女見習いに配慮するとは思えなくて、風通しのためだと考えていた。
「邪魔をされるのが嫌ならば、閉めておけばいいものを」ニヤニヤ軽薄王子。「結局彼女は君の専属になっているしな。羨ましい」
「悔しがれ」とムスタファ。また溺愛路線を思わせるセリフだ。
「魔道具の在庫確認のときだけでいいから、マリエットは手伝いに来てくれないだろうか」
急に挟まれた真面目なセリフ。
「構わないが、高くつくぞ」
「お金を取る気?」ツッコむ私。
「まさか。労力だ」
何故かフェリクスは私を見て、
「ムスタファは君を手放したくないから大変だ」なんて言う。「部屋も隣に移ったのだろう? もし彼に襲われたら私の元へ逃げておいで。こういう紳士ぶった男こそ、思いを拗らせて何を仕出かすか分からない」
フェリクスの物言いに、思わず知らず手が止まる。それから吹き出してしまった。
「ないです、そんなこと」
「そうかな」
フェリクスは私の元に来ると、ひょいと手をとった。
またかと思い手を引こうとしたが、それよりも早くフェリクスの腕を掴む手があった。ムスタファが振り返り、チャラ王子を見上げている。
「おやおや、やはり男の嫉妬は厄介だ」
フェリクスは笑顔をムスタファに向けて、私の手は離した。
「殿下。そうではないと何度も申し上げていますよね。これ以上、周囲に誤解が広まると本当にまずいのです。ご冗談はお止め下さい」
「そうか。心に留めておこう」
チャラ王子は軽薄な口調と笑みでそう言って、ムスタファの隣に座った。
「いやはや、君たちの仲はおもしろい。深い信頼で結ばれているかと思えば、深い断絶もある」
「フェリクス」
ムスタファが静かに名を呼ぶ。
木崎もいい加減、からかわれるのが面倒になっているのではないだろうか。
「彼女と私にはマリエット、ムスタファとして生まれる前に、別の人間として生きていたときの記憶がある」
続いた言葉にびっくりして、再び手が止まる。
「国も時代も社会通念もまるで異なる所で、その時の名前が宮本、木崎だった。俺たちには俺たちの関係がある」
果たしてフェリクスはどう反応するだろう。ドキドキしながら、ムスタファに向けられた横顔を見る。と、彼は私を見た。それからまたムスタファを。
「夢物語か」ようやく出た言葉はそれだった。
信じてはもらえないかと、がっくりする。
「だが」とフェリクスは続けた。「同じく夢物語と思っていた魔王の話が事実だった。世の中には私の常識では測れないことが多くあるのだろう。それに、その話を信じたほうが、君たちの間柄に納得がいく。人嫌いでろくに城の外に出なかったムスタファが、いつどこで孤児院育ちのマリエットと出会ったのか、不思議だったのだ」
「信じてくれるのですか」
フェリクスが私を見る。
「その方が説明がつくことが多い」
確かヨナスさんもそんな事を言っていた。
「ありがとうございます」
にこりとしたフェリクスはムスタファに視線を向けた。
「このことをツェルナーに話してもよいだろうか。彼が信頼できることは私が保証する」
「構わない」
私もうなずく。
「良かった。ありがとう。それで打ち明けてくれた真意は、だから自分たちの間を邪魔するなという牽制かな」
フェリクスがまた曲解をしている。
「だがそれは君の都合だ」と、こちらが反論する間をなく続けた彼は、私を見た。「マリエット。もしかしたら、きちんと伝えていなかったかもしれない。私は君が好きだ」
見上げてくる目は真剣で、緑色の瞳の美しさに戸惑った。
これはきっとおふざけではない。唐突すぎるけれど、真面目な告白なのだ。フェリクスルートではないのに。
しっかり答えなければ失礼だ。きゅっと心臓が縮み上がる気がする。
「ごめんなさい」やっと絞り出した声がかすれていた。
「分かっている。君は私を意識していない。だけどこの先もそうだとは限らない。私の努力次第かもしれないからな。君も心して口説かれてくれ」
「絆されるなよ、喪女」と木崎が私が答えるより先に口を挟む。
「君もマリエットと私の関係に口出ししないでくれるかな」フェリクスはそう言ったが、その口調は柔らかかった。
「そういう事だから、専属となった彼女の仕事についての話し合いには私も参加する。ムスタファのスケジュールからいって、この後にその時間ではないか?」
「……密偵っていうのは恐ろしく気持ち悪いな」木崎が若干引いている。
ふたりはまた取るに足りない言い争いを始めて、その様子はほのぼのとしたものだった。
突然向けられた本気にすくんだ気持ちが徐々に和らぐ。ムスタファの髪を丁寧に梳かしながら、モテるってあんまり楽しくないのだと思った。
おまけ小話
◇従者は頼られる◇
(ムスタファの従者、ヨナスのお話です)
侍従長にムスタファ様は、昨晩は普段と変わらない夜を過ごし今朝も通常通り、と報告をした。侍従長は頷いただけで何も言わず、報告への労いだけ口にした。
一礼して彼の仕事部屋を出る。と、
「いたいた」
そんな声を上げて、ヘルマンが小走りに寄って来た。
「何かあったか」
「ええ。ムスタファ殿下に急ぎの拝謁伺いが出ています」
ヘルマンが書類を渡してくる。
「ヨナスさんにお願いをしていいですか。今は髪の手入れ中でしょう。部屋に伺うと殿下は不機嫌になるから」
「悪いな」
ムスタファ様の従者として、謝っておく。
「いえ、幸せそうにしている分には微笑ましいのですよ」と、ヘルマン。「今までがアレでしたからね。よくぞ恋に落としてくれた、マリエットよありがとうって気持ちです」
思わずぷっと吹き出す。
「ただね。私だってお二人の世界を邪魔したい訳ではないのに、明らかに殺意のこもった目をするから参ります」
「あれは多分、無自覚だから許してやってくれ」
「あの目がですか」
髪の手入れは、する方される方の距離が近い。それにマリエットの手つきは優しく丁寧だ。例えそれが仕事なのだとしても、ムスタファ様は大切に扱われている気持ちになるだろう。普段は意地を張り合っているからこそ、あの時間は彼の至福のひとときなのだ。
私はそう考えている。
「ムスタファ様も初恋にどうしていいのか分からないのだろう。広い心で見守ってあげてほしい」
「甘酸っぱいですねえ」
楽しそうに表情を弛めるヘルマン。
「マリエットは全く気づいていなくて、ムスタファ様のひとり相撲だけどね」
「やっぱり塩味だ」
確かにと頷きつつ、
「早く、吐き出したくなる程の甘さだけになってくれるといいのだが」と言うと、ヘルマンは
「激しく同意」と賛成してくれたのだった。




