31・6引っ越しの夜
どう考えても侍女見習いにふさわしくない豪奢な部屋を見回す。ムスタファやカルラのような広さではないし、与えられたのは寝室のみで、続き部屋はあるけど使えないそうだ。
とはいえこんな部屋はおかしい。ロッテンブルクさんのようなベテラン侍女並みだもの。しかもヨナスさんよりもムスタファの部屋に近い。
せめて部屋は今のままでと引き下がったのだけど、有能な侍女頭は重ねて諦めなさいと言った。彼女もパウリーネに意見をしてくれたのだそうだ。だけれど素晴らしい案だと思い込み喜んでいる彼女には、馬耳東風だったらしい。その様が目に浮かんでしまう……。
それからすぐにヨナスさんとヘルマンがやって来て、私物の移動が行われた。それを見ていた侍女たちの目の険しさといったら。どう考えても苛めがひどくなるだろう。
夕飯のときには何人かが『災難続きね』と声をかけてくれて少しは会話も弾んだのに、きっと振り出しに戻る。
ひとりになって部屋の中で呆然としていると廊下の扉が開き、木崎のムスタファが勝手に入ってきた。
「以前の部屋とは天と地の差だな」
「パウリーネ妃殿下、なんとかならない?」
「無理だった」と木崎。
ということは既に抗議をしてくれたのか。行動が早い。
「聞く耳を持ちやしない。媚薬チョコを山盛り用意するようなヤツだからな。外堀を埋めにかかっているんだろ」
媚薬チョコという言葉にはっとする。
寝台際の卓に蓋つきの器が置かれていた気がする。
そばに寄ると、やはりある。蓋を取る。
「とんでもねえな、パウリーネ」と木崎。
器の中にはチョコが山になっている。以前とは違う種類だけど、怪しさしかない。
「この部屋にあるものは一切、口をつけるなよ」
「もちろん」
そっと蓋を戻す。明日、処分しよう。
「だがな。どうして急に猛攻をかけてきているんだ。ゲームの影響か」
不思議そうな木崎に、ふとフェリクスの話を思い出した。
「ねえ、木崎。社交界では近頃、ムスタファ王子と婚約をなんて動きが活発だと聞いたけど」
「そりゃ、美貌の王子に有能さが加わったんだ。当然だな」
「気に入る人はいないの? 婚約しちゃえばハピエン回避だし、パウリーネ妃もこんなことはしないでしょう?」
「いねえよ」と答えたムスタファはじっと私を見た。
顔が近づいてくる、と思った次の瞬間。
ゴンという音と共に、額に激しい痛みが走る。
「何すんの!」
「頭突き」しれっとムスタファ。
頭がズキズキする。
「言ったよな、暴力から全力で逃げろって。全然ダメじゃねえか」
「意味がわからない」
そこに木崎が含まれると考えるはずがないじゃないか。
「常に警戒しろっていう、優しいアドバイスだろ。次に逃げられなかったら、夜伽だからな」
「ふざけるなっ! って、木崎だってそんなの嬉しくないでしょうに」
「俺の部屋に行くぞ。ここじゃ何もねえ」
ムスタファはそう言ってずんずん進む。
「頭が痛いんですけど」
「俺のほうがずっと痛い」
「自分で仕掛けたくせに。石頭」
「アホんだら喪女」
廊下に出て、すぐに王子の部屋に到着。便利ではある。お酒を飲むときに。
最初からそのつもりだったのか、卓上には飲みセットがすでに用意されていた。
「ヨナスが出してから下がった」とムスタファ。
座ってさくさくとお酒をふたつのグラスに注ぐ。その向かいに座り、いずれこんな晩もなくなるのかと考える。
ほらと差し出されたグラスを受け取る。
「最終手段は婚約だと考えている」
ムスタファがそう言う。
「一応、昔から婚約者候補はいるんだ。隣国の王女でもちろん、政略だ。ただし七つも年下」
七つ、と計算をする。
「十三歳!」
「そう。元々、そんな子供と結婚なんてと思っていたけど、前世の記憶がよみがえってからは嫌を通り越して、恐怖レベル。だってこっちは三十歳の記憶があるんだぞ。向こうは小学校を出たばかり」
「完全に犯罪だわ」
「この婚約話には色々と理由があるんだがな。パウリーネはずっと熱心に勧めてきていた。それが何で今さら宮本に変えたのか。推測はできるが、唐突感はある」
ふむふむ。
「逆にパウリーネ以外、父親や大臣たちはまだこの婚約を推しているから、ハピエン回避ができなさそうならこの婚約をする」
「……木崎はそれでいいの?」
「勿論、エンド後に婚約解消する」
「そんな簡単にはいかないでしょ。国家間の話だもの」
「関係ねえよ」
「相手の姫を巻き込むのも申し訳ないし」
「別に。俺は望む結果のためには手段を選ばない」
「そうだった」
すっかり忘れていた。木崎はそういうヤツだった。
「どのみち最終手段だ。婚約なんてしねえよ」
「そっか」
それなら飲み会は続く。良かった。良質なお酒が飲めるのは、ここだけだもの。
「それにしても」と木崎。「パウリーネは何を考えているんだか。今や宮本の後ろにはエルノー公爵がいる。老齢で跡継ぎもいないベルジュロン公爵夫人より強力な後ろ楯だ。お前がエルノー家の養女に入れば、王子の妻としての体裁も整っちまう。
エルノーには政治的な権力がないから、隣国の王女や大臣を務めている貴族よりはマシという考えなんだとは思うが、ここまでお前と俺をデキさせようっていうのが、極端に思えるんだよな。
やっぱりゲームのせいなのか?」
「木崎の婚約者候補とバルナバスを結婚させたいとかは?」
「ないとは言い切れないが、いまひとつ説得力に欠ける。政治的に必要な結婚ではあっても、旨みはない。フェリクス情報だけど。俺はまだ知識が足りないから」
「そうか。フェリクスとはそういう話もしているんだ。今日も仲が良さそうだったもんね」
「どこがだよ」
「友達が増えて良かったじゃない」
ムスタファは王子らしくない態度で鼻を鳴らした。でもツェルナーさんだって、『フェリクス殿下に腹を割って話せるお友達ができて嬉しい』と喜んでいたんだから。
「ひとつ気になることがあるの」
「何だ」
「シールド魔法の指導がカールハインツなの」
聞いてる、とムスタファ。
「ロッテンブルクさんたちと話していたときは、ヒラの近衛兵が妥当だろうということだった。それがどうしてカールハインツになるのかな。嬉しいけど、彼は隊長だよ。おかしいよね」
「そんなの、煽り要員だろ」
「煽り要員?」
「俺を妬かせるため。パウリーネは、お前がカールハインツに騒いでいるのを鍛練場で見て知っている。で、俺のことは奥手で女が苦手だと思っているからな」
「そうか、ムスタファ王子が私に好意があるっていう噂を信じているからか。本当はそんなことはないのにね」
とはいえ温室デートもしちゃったし、そりゃ信じるか。しかし。
「やったね、棚ぼただ」
カールハインツとの直接的な関係ができたのだ。魔法をがんばっていれば、真面目な娘との好印象を与えられるじゃないか。なんて幸運なのだろう。
「あの堅物にとって、お前は見習い侍女から王子の愛人にランクアップだがな」
「うっ」
そこは痛い。
「向こうはパウリーネの意図を知らない。指導がヒラ近衛じゃなくて隊長ってのは、お前が特別だからって解釈になるだろうし」
「うううっ」
「扱いは丁重に、節度と距離を持って」
からかい口調のムスタファ。
木崎の言うとおり、どこまでも外堀を埋められているのだ。頭を抱えたくなる。
「これ、完全に溺愛ルートの路線を引かれているよね。妃殿下、実は何かのキーパーソンかな」
ううんと唸る木崎。
「俺の母親の侍女をしていたからな。完全な白だとは思ってねえけど、世界が破滅して困るのは自分たちだ」
「そうなんだよね」
「無論、用心はするがな」
うんと答えつつ、今晩のところは完全にパウリーネのペースだと考える。
「これがゲームに関係なければ、宮本には得が多いだろ。良い面を考えろ。夜中に勉強しないで済むようにしてやる。仕事なんかの割り振りは明日、ヨナスと三人で決めるからな」
「うん、聞いた」
「こき使ってやるから、覚悟しておけ」
いつもいそいそとお酒を注いでくれる木崎なのに、と内心おかしくなる。散々マウントをとっておきながら、対等だと思っていたとか。
「何をにやついているんだ」と木崎。「俺に顎で使われるのが、そんなに嬉しいか」
「そうだね。木崎の天の邪鬼っぷりがつぶさに見られると思うと楽しみ」
「どういう意味だよ」
「そのまんま」
そのままくだらないやり取りを続け、気付いたら気持ちが軽くなっていた。辞令を聞いたときは不安でいっぱいだったのに。
日常生活を変わりなく行うって、大事らしい。それだけで平静を取り戻せる。
お酒がなくなった頃合いでお開きとなった。
歩いて数秒の自室に帰ろうとしたら、王子はわざわざ廊下に出て私が部屋に入るまでを見ていた。
心配をかけなくて済むように、私は絶対にシールド魔法を修得するのだ。




