31・〔幕間〕傷心異国の王子
異国の王子、フェリクスのお話です。
いつもなら晩餐のあとはバルナバスや来客たちと楽しい時間を過ごすのだが、今日ばかりはそんな気分になれずに自室に戻った。
ツェルナーが私の上着を脱がし、
「お飲みになりますか」
と尋ねてくる。見透かされていて腹立たしい気持ちもあるが、かといって私の胸中を分かってくれているのは彼だけという事実もある。
ああと答えて長椅子に座る。ひじ掛けに腕をのせて頬杖をつき目を閉じた。
トクトクとグラスに酒が注がれる音。他に聞こえるものはない。静かな夜だ。
コトリとテーブルが鳴る。だけれどそれに手を伸ばす気が起きなかった。
ツェルナーは何も言わず気配も消して、静かに控えている。
「……今日のは堪えた」
どれほど経ったか、胸の裡を言葉にした。
はい、と静かな返事がある。
「私は思っていた以上にマリエットが好きだったようだ」
以前から彼女とムスタファとの間には入れないとは思っていた。だけど今日のふたりは、それをより一層確たるものにしたのだった。
彼らの話は理解しかねるものではあったけれど、言葉に、視線に、お互いへの強い信頼があった。
私ならマリエットがなんと言おうが、ヒュッポネンの防御魔法というものをかけさせただろう。我を忘れるほどの心配をして駆けつけたなら、自分が信じる最上の安全策で守りたいと思うものではないか。
「諦めたくはない。今日のことでますます彼女を好きになった」
「無理に諦める必要はないでしょう。気持ちの整理というものは、理性よりも時のほうが有効なものです」
ツェルナーの言葉を考える。
それから目を開き、不運な従者の姿を探した。やや離れた場所から私を見ている。
彼は二十六歳だ。次男とはいえ侯爵家の生まれなのだ、普通ならばとうに結婚しているはず。それなのに未婚で婚約者もいない。彼の妹が起こした事件のせいだろうが、私の従者になってからも浮いた話のひとつもない。
「そういえば、お前の恋愛話を聞いたことがないな」
そう言うと、
「お聞かせできるようなことがありませんから」
との答えが返ってきた。
「初恋もまだなのか」
「私の初恋の相手はだいぶ以前に結婚して、子供もおりますよ」
「そうか」
ツェルナーの恋。いまいち想像できない。今しがた気がついたが、好みの女性の話すらもした覚えがない。
「それはどんな女性だ」
「……素晴らしいひとでしたよ」
明らかに話したくない様子だ。いつも澄まして不遜ですらあるツェルナーでも、恋で辛い思いをしたことがあるらしい。急に同士のような気持ちが湧く。
「今はどうなのだ。気になる女性はいるのか」
「おりません」
「応援するぞ」
「私は結婚はできませんから、恋愛はいたしません」
「妹君のことは、もう数年も前のことではないか。結婚できるように私が取り計らう」
「ありがとうございます」
ツェルナーが笑みを浮かべる。
が、それは上辺だけのものに見える。
「ふむ。私は自分の恋の傷心を、お前で楽しいものにすり替えようとしているのかな」
従者の表情が崩れる。今度は間違いなく、本心からの笑顔だ。
「あなたはご自身の分析までも完璧です」
「またマリエットが難儀と同情してくれるかな」
「ええ、きっと」
ツェルナーから視線を外すと、卓上のグラスが目に入った。手を伸ばして取る。口に運び、動きをとめる。
「お前も飲むといい。いや、やけ酒に付き合ってくれ」
かしこまりましたとの柔らかい声。
マリエットとムスタファに当てられて沼に沈んでいるような気分だが、それに付き合ってくれる者がいることは幸いだ。
ツェルナーが入れたお気に入りの酒に口をつけた。




