31・5溺愛ルートは用意万端
「君はまだ外出着ではないか。察するに帰着したところで報告を受け、惑乱のままにここへやって来たのだろう。ツェルナー、お茶の用意を。隣で話そう」
柔和な表情のフェリクスがした提案を、ムスタファの木崎はにべもなく断った。『すまないが』と前置きはしたものの、『話は私たちでする』と言って。
「仲間に入れてくれたのではなかったのか」
ムスタファにそう告げたチャラ王子は淋しそうに見えた。
さすがの木崎も感じるところがあったのか、
「ではここで話すが、質問には答えられないぞ」と譲歩して、私を見た。
「すぐにヒュッポネンに依頼する」
「断る」
私、即答。ムスタファの目が険しくなる。
「バカなのか? お前は状況を理解していない」
「してるよ」
「していない。今回も今朝も、怪我がなかったのは偶然にすぎねえんだぞ」
「分かってるってば」
「もしロッツェがいなくて、もし熱湯でなくて硫酸だったら?」
厳しい口調で告げられた言葉に、衝撃を受けた。硫酸?
「この世界には魔法があるんだよ。俺たちが想定してない使い方で攻撃されたら、防ぎようがねえだろうが。そこまでちゃんと考えたのかよ」
「硫酸は考えなかった」
「魔法で離れた場所から突き飛ばされたら? 警戒するヒマもねえんだぞ。ゲームになかったからといって、やられねえとは限らない」
「……そうだね」
「俺は守ってやることも治してやることもできないんだ。始終側にいる訳にもいかないし――」
「木崎に守ってもらおうなんて思っていないよ。木崎じゃなくても、他の誰でも」
遮ってそう言うと、ムスタファの口が強く引き結ばれた。
「だから私はシールドを張る防御魔法を習う。ロッテンブルクさんにはお願いをした。時間はかかっちゃうかもしれないけど、それが一番の有効策でしょ?」
侍女見習いの私に、仕事とは関係のない自分のための魔法なんてものを、誰が教えるのか。私の就業時間内なのか外なのか。教えるほうはボランティアか業務か。
前列がない上に、オイゲンさんが使った瞬間的なシールド出現はかなり難しい魔法だそうで、生活魔法しかやったことのない者が習得できるとは考えられないという。だから私の要望にみんな戸惑っていた。
だけどまずはチャレンジということが決まった。今までに二度も理不尽な目に遭い、ケガを負っているからだ。あとは王妃に許可を貰えるかどうか。
ムスタファが目を見張っている。
「有効なのは確かだが、使えるようになるのか」
「いけるよ。ゲームにはなかったけど、私、ヒロインだから」
ぐっとキメ顔をしてやる。
「魔力は一般より強いし、努力は実になるタイプらしいの。前に特殊な魔法が使えるのを見せたでしょ?」
金属の形態を変えるやつだ。木崎がああとうなずく。
「あの時、ちょっと嘘をついたの。木崎のプライドをあまり刺激したら悪いと思って。最初は言ったとおりに小物サイズしか出来なかった。だけど練習を重ねてもう少し大きい物もいける」
ベルジュロン邸の銀のカトラリー。軽い気持ちで練習に使い、元に戻せなくなった。それを何とかしたいと頑張ったのだ。残念ながらあそこにいる間には間に合わなかったが、今なら戻せる。
ヨナスさんの指摘で不安になり練習をやめてしまったけど、続けていたら鍋サイズだって変化させられるようになっていたかもしれない。
「だから、やれば出来るはず。カールハインツ好みの淑やかな娘からは遠ざかっちゃうけど、私だってケガをしたくない」
なにより自分で自分の身を守ることができたら、みんなの心配はなくなるし、ムスタファにあんな顔をさせなくても済む。カールハインツのタイプの侍女でいるより、そちらのほうがいい。
しばらくフリーズしていた木崎は
「……俺より魔法が使えるなんてムカつく」と言った。「さっさと習得して、アホなヤツらを鼻で笑ってやれ」
「もちろん」
「でも」と声がかかる。ヨナスさんだ。「それまでの間は? 一朝一夕に身に付くものではないでしょう? まずはヒュッポネン様に……」
「遠慮します」
「いらん」
ムスタファと私の声が重なった。
「第一、上級魔術師の力なんて借りたら、火に油です」と私。
「こいつがそんなことを良しとするヤツではないのを忘れていた」と木崎。
「忘れんな」ぺしりとツッコミを王子に入れてやる。
「その代わり」とムスタファが綺麗な顔を近づけてきた。「間抜けてケガでもしてみろ。夜伽させるからな」
「冗談じゃない!」
「嫌ならどんな手を使ってでも、暴力から全力で逃げろ。後処理はする」
「……うん」
「俺を後悔させないでくれよ」
もう一度うんと答えて、やっぱり中身は木崎じゃないのではと思った。
「つい先程まで」とヨナスさん。「ムスタファ様はあなたを専属にして、部屋も近くに変えさせるつもりだったんですよ」
「そんなの確実に溺愛ルートじゃない!」
「背に腹は代えられないだろ」
「木崎、ゲームに操られているんじゃないの? 最近変だよ」
ふふっと笑う声がして、フェリクスがいることを思い出した。彼らしくもない静かさだったから、存在を忘れていた。
「『変』ね。それは大変だ」
「うるさいぞ、フェリクス」
「酷いな。口も挟まずおとなしくしていたではないか」
王子ふたりが言い争っていると、となりに続く扉が開いてツェルナーさんが顔を出した。いつの間にか移動していたらしい。
「お話は一段落つきましたか。でしたらお茶のご用意ができております。皆様、どうぞ」
従者の言葉にフェリクスが笑みを浮かべる。
「最近『変』なムスタファには、以前出した特別なものを用意した。冷静になるといい」
それから彼はぷっとわざとらしく吹き出して、ムスタファにお前なあ、と突っかかれていた。
どうやら知らない間に、だいぶ仲良くなったらしい。
綾瀬以外に友達ができて良かったね。
◇◇
その晩、ロッテンブルクさんに呼び出されて正式な辞令をいただいた。
マリエット・ダルレは明日より第一王子ムスタファの専属。直属上司はヨナス・シュリンゲンジーフ。ただし二日に一回の第三王女カルラの遊び相手は継続。
部屋は彼の居室のとなりに移動。
防御魔法はシュヴァルツ近衛隊長が直々に指導。
呆然とする私と、困惑顔の侍女頭。
「……ムスタファ殿下のご指示でしょうか」
ようやくそれだけを尋ねると、彼女はいいえと答えた。
「パウリーネ妃殿下からのお達しです。ムスタファ様の大切な子を守らなければと、仰っています」
いやいやいや!
これで私を守れたとしても、世界が破滅に近付きます!
そう叫びたい衝動をぐっとこらえて、
「ちょっと受けかねるな、なんて思うのですが……」と恐る恐る発言してみる。
だけれどロッテンブルクさんは、
「諦めましょう。パウリーネ様は良かれと思っていらっしゃいます」
と言って、珍しくもため息をついたのだった。
 




