31・4フェリクスの書斎にて
聴取が終わり、私は今日は終日ツェルナーさんの手伝いをすると決まった。フェリクスだけでなくツェルナーさんまでほくほく顔だ。嬉しい。
嬉しいのだけど、少しばかりカールハインツの兄のことが気になった。
優秀で、恐らくは周りに好かれていた兄。彼が見つかりるまでは結婚しないと願掛けしているカールハインツ。その副官もまた、心に傷を負ったままのようだ。
それならカールハインツのハピエンルートで、何らかの展開があってもよかったのではないだろうか。お兄さんが帰って来て、涙の再会とか。
だけど実際は総隊長への昇進。十分に素敵、というか私にとっては鼻血もののご褒美だけど、本人的には兄のことが解決するほうが嬉しいだろう。
書斎に三人で戻り、魔法道具リストを手にする。
が、それはするりと手の中から抜けた。
フェリクスだった。真顔で私を見ている。
「やはり先にお茶にしよう」
何故と尋ねる間もなく、彼は言葉を継いだ。
「話しただろう。私は密偵の訓練を受けた、と。表情を読むのは得意だ。作業は君の気がかりを解決してからにする。令嬢たちのことか? それともムスタファか」
「難儀な特技ですね」
そう言うとフェリクスは目を見張り、ツェルナーさんは
「案外、優しい人なのですよ。放っておけないのですからね」と笑った。
「そちらも気になりますけど」と話を戻す。「今気になっていたのは、シュヴァルツ隊長のお兄様のことです」
「ああ、行方不明の」とフェリクス。
はっとした。
「もしや殿下の情報網では、何か分かっていることがありますか」
「いや、ない。事件があったのは、前任者の頃だしな」
それはそうか。八年も前のことだ。彼らの目的との関連もないだろうし。
「シュヴァルツは本当にやめておけ」と真面目な顔のフェリクス。「君ではどうやっても太刀打ちできない。私では駄目だというのなら、せめてムスタファにするべきだ」
なんだ、その譲歩は。またルート選択の影響だろうか。
「それもナシです。お互いに」
そう答えると、主従は揃ってため息をついた。
何なんだ。ツェルナーさんもゲームの影響を受けているのだろうか。
「そんなことを言っているうちに、彼が婚約しても知らないぞ。第一王子で即位する可能性もあり、近頃では有能だと評判も高まっている。静観していた層が娘と結婚させようと動き始めている」
「そんな話があるのですか」
全くの初耳だ。
「当然のことだろう? 彼は二十歳だ。婚約者がいないことがおかしいのだよ」
そうか。ここはゲームの世界という頭があったから、攻略対象たちが未婚なのも婚約者もいないのも当然のように受け入れていたけど、既に違うことが多く起きている。ムスタファがエンド前に婚約ということだってあるかもしれない。
……ということは、めでたくバッドエンドだ。
層とやらの中に木崎好みのあざと可愛い令嬢がいれば、バッチリではないか。
だけど。
ムスタファが結婚したら夜に話し合うことは出来なくなるから、お酒は飲めなくなる。
それは悲しい。
「嫌ならそう本人に伝えないと」
何故か親切口調のフェリクスを見上げる。
「嫌ではないですよ。不便になるとは思いますけど」
またしてもため息の二重奏。
「まあ、いいけどな」ひょいと手を取られ、チュッとキスを落とされる。「私はそのほうがチャンスがある」
「ありません」とツェルナーさん。「私が追い出されてしまいます。マリエットへのおさわりは禁止ですよ」
うるさいなあと言いながらもフェリクスは従者に従って、手を離してくれた。
リストを受け取り、作業を再開する。
◇◇
フェリクス主従とおやつまで一緒にいただき、在庫チェックがそろそろ終わるという夕方。
廊下に通じる扉がガタンと音を立てた。誰かがノックもせずに開けようとしたらしいが、施錠に阻まれたのだ。
「ムスタファかな」とフェリクス。
ツェルナーさんが手早く木箱を元通りにして扉の元に行く。開けるとそこにはまさしくムスタファがいた。表情が強ばっている。挨拶もなくツカツカと私の元に歩いてきて、じっと見下ろす。
「お帰り。ケガはないよ」
居心地の悪さと気まずさを感じつつ、普通に話しかける。
しばらくの間無言だったムスタファの木崎は深く長い息を吐いた。
「ヒュッポネンに例の魔法をかけさせる」
ようやくの第一声はそれだった。
例の魔法?
「まさか危険に反応して攻撃とかするやつ?」
「そう」
一日毎にかけなければならない面倒なやつだ。それに攻撃は余計にまずいだろう。
「私もそうすべきだと思います」と、後から来たヨナスさんが言う。「今回は光らなかったのです」
「そうなの?」
胸元を見る。服に隠れて見えないけど、そこにはサファイアがある。今のところ私は光を見ていない。光が服を通さないのか見逃したのか、分からない。
「光らなかった原因が命の危険ではなかった、あなたが危険を感じなかった、だとしたら」とヨナスさん。
「どのみち離れていたら、光っても意味がない」木崎が硬い表情のまま言う。「こう日に何度も危険な目に遭うのなら、これでは用が足りない」
だから、と急いた口調の木崎に、
「挨拶くらいしたらどうだ、ムスタファ。ここは私の部屋だ」
とフェリクスが声を掛けた。
ムスタファの視線がゆっくり動く。そして。
「……彼女が世話になった。礼を言う」
「マリエットは君のものなのか」苦笑するフェリクス。
「彼女はモノではないと、前にも言ったと思うが」とムスタファ。「この機会に言っておく。こいつと私は対等だ。ただ、王宮の中ではそうもいかない。立場の強弱で言えば私が上で、お前と同じラインに立つのも彼女でなく私だ。それだけのこと」
ムスタファの横顔を見た。さえざえとして美しく、凛としている。
『対等』。木崎はそう思っていたのか。かつてを想起させる仕事の能力を認めていてはくれていても、私たちは王子と侍女見習いだ。血筋がどうあれ育ちの違いはマリアナ海溝並みに深く、一般的に見れば私は弱者で、実際彼の力を山ほど借りている。そこに対等なんて言葉は当てはまらないと感じていた。
「そうか。それは失敬した」
そう言うフェリクスの声にはチャラさも揶揄もなく、優しいものだった。




