31・1デートの波紋①
第一王子とのデートの噂は侍女界隈にはすっかり行き渡ったようで、今朝は久しぶりにあからさまな意地悪を受けた。オーソドックスな突き飛ばし。
朝食に向かうために階段を下りていたら、後ろから来た侍女がぶつかってきたのだ。結構な勢いだったけど、前世は運動が得意だったことが幸いして、数段を落ちただけで済んだ。
もしかつての私だったら、頭から転げ落ちていただろう。
最近にはなかったことだから、すっかり気を抜いていた。本来このゲームでは、かなりひどい目に遭うのだった。
それから間もなくして青ざめたヨナスさんがやって来て、奇しくも防犯グッズの性能の良さが証明された。それから、危険が去ると光がおさまることも分かった。
丁度良いテストになりましたねと笑ったら、笑えないと返されてしまったけど。
食堂ではあまり話したことのない若い侍女が三人ほど連れだってやって来て、
「ムスタファ殿下とデートをしたって本当?」
と訊いてきた。
「はい。まわりに焚き付けられて、とりあえずデートというものをしてみようと考えたそうですよ。でも、なにひとつ良さが分からなかったと仰っていました」
木崎が話していた表向き口実にちょっとばかりアレンジを加えて真顔で説明すると、彼女たちは何故かがっかり顔になった。
ゴシップとしてはつまらない、ということのようだ。
嫉妬したり噂の種を探したり、皆さん忙しいことだ。ルーチェがいたら笑ってくれるのだろうけど、いないのでひとりで心の中だけで笑い飛ばす。
でもこれではきっとダメなのだ。他に会話ができる人を探さないと。
◇◇
二日に一度のカルラと遊ぶ仕事は、私にとっても楽しい時間だ。剣術ごっこをやり過ぎると乳母の目が険しくなって『ほどほどに』との叱責が飛ぶけど、最近はかなり寛容になって回数が減っている。もっとも、諦めているだけかもしれない。
午前中は些細な意地悪を幾つかされたけど、これからは、カルラとの癒しのひととき。
浮かれ気分で彼女の部屋に向かっていたら、その手前の角でカールハインツに出くわした。四日ぶりだ。ムスタファルートに入ったせいなのか、見かけることもなくて淋しかった。しかも前回はルーチェの退職の話をしているときに、フェリクスに拉致られたのだった。
ルート選択をしてからは初対面だし、前回の印象は悪いかもしれないし、ムスタファとのデートの噂を耳にしているかもしれないしと、頭の中はぐるぐると思考が回っていたけど、普通に挨拶を交わせた。グッジョブ私。
「これからカルラ姫との時間だそうだな」
そう言うカールハインツは普段通りだ。
「はい。楽しみです」
と、堅物騎士の顔にわずかだが笑みが浮かんだ。
「姫もワクワクしていた。乳母が話していたがな、お前が姫の相手をするようになってから、彼女が癇癪を起こすことが減ったそうだ」
それは嬉しい。
「我が儘は変わらないがな。俺は昼食に付き合わされたところだ」
五歳児の姫君と、畏まった騎士の食事。カールハインツが王家第一なのだとしても、本質は優しい人なのだとほっこりする。この世界の上流階級では、幼児と大人が共に食事をすることはないのだ。
「お喜びになったでしょう。ですが姫様と一緒では人参を残せませんね」
「何のことだ」
素知らぬ顔をする堅物騎士。存外可愛いところがある。
と、彼は思い付いたような表情になった。
「記章は姫の誕生日に間に合いそうか」
「はい。その節はありがとうございました」
「そうか。俺もプレゼントを期待されているようだ。何が良いのか、とんと分からん」
「『一緒に遊ぶ券』などはいかがですか。絶対に喜びます」
「一緒に遊ぶ……?」と戸惑いを見せるカールハインツ。「そんなものがプレゼントと言えるのか」
「カルラ様は隊長のことがだ……大好きですから」
カルラの話なのに、『好き』という言葉に緊張をして、噛んでしまった。
「そういえば、お前は騎士のお守りを持っているか?」
「は、はい。肌身離さず」
失くしたとは言いづらく、咄嗟に嘘を言ってしまった。実際に持っているのは、ヨナスさんが用意してくれた別物だ。
「そう、姫の誕生日が楽しみだ」と言って、カールハインツは去って行った。
私はあなたの誕生日も楽しみです、と思い、はっとした。ゲームでは攻略がうまく進んでいれば、ラスト近くに祝える展開が出てくる。もしやムスタファの誕生日も、同じようにゲーム期間中にあるのだろうか。
別に祝ってあげたい訳ではないけど。そこはまあ、腐れ縁だし。どうしてか、色々と良くしてもらっている気がするし。
いや、待って。誕生日なんて絶対にゲーム展開か。下手にお祝いなんてしたら危ないかもしれない。誤判定を防ぐためには知らんぷりでやり過ごすのが正解だろう……。
どことなくすっきりしない問題は後回しにして、気持ちを切り替えてカルラの部屋に入る。
すると彼女は私を待ち構えていたらしくて、わっと叫んで物陰から飛び出してきた。
「驚いた?」と頬を上気させたカルラ。
「ええ、びっくりしてしまいました」
笑って答えて、彼女が手にしているものに気づいた。
「これ、マリーにあげる!」
差し出されたのは、スズランの鉢植え。
「外にたくさん植えたかったの。でもベレノがダメと言うの」眉を下げるカルラ。「ええと、シュヴァのおじいさまが悲しくなっちゃうからみたい」
乳母を見ると彼女はカルラに見えないように口の前に指を一本立てていた。質問しないで、ということだろう。たまたま私は何故シュヴァルツ伯爵が悲しむのかを知っているけど、そうでなければ姫にどういうことかと尋ねたかもしれない。
「だから、これね」
と鉢植えを一生懸命に高く掲げるカルラは可愛くて、頭を撫でなでしたい衝動に駆られる。ぐっとこらえて片膝を床についてスカートをつまみ、頭を低く下げる。
「光栄でございます、姫様」
こんな礼の仕方はないけど、彼女の視線に合わせたかった。
鉢を受け取り、
「大切に育てます」と言うと、カルラは嬉しそうな満面の笑みを浮かべたのだった。
おまけ小話
(本編とは全く関係ありません)
◇ある朝のムスタファ◇
「味気ないですよね~」
自称『木崎先輩の弟ぶん』の綾瀬が、ひとの椅子に勝手にすわり、部長が置いていったチョコをつまみ上げる。
今日は二月十四日。バレンタインデー。
「昔は出社すると、机の上にチョコの山ができていたらしいですよ」と綾瀬。
その伝説は俺も聞いたことがある。現在では義理チョコ禁止令が出されていて、そんな光景を見ることはない。営業部に限っては新しい慣例ができており、何故か部長が部員全員にチョコを配る。うちは毎年ファミリーパックのブラック雷だ。ひとりひとつ。
ちなみに第二はアルフォーTo。第三はキット勝。
「ま、俺は関係ない」
義理はダメでも本命は禁じられていない。俺が彼女持ちだと分かっていながら、くれる女も多い。社の外ならば、自由だし。
「僕もお姉様方にみっつ貰いました」
へへっと自慢気な綾瀬。変わり者だけど、どうしてか年上の女には人気がある。可愛いらしい。
と、同期の藤野がやって来た。綾瀬の頭を丸めた書類で叩き、
「さっさと自分の部に帰れ。もうすぐ始業だぞ」
と言うと、綾瀬は
「僕と先輩の大事なひとときなんですからね」
と文句を言う。
それでも綾瀬は席を立ち、去って行く。
「聞いてくれよ」と声を潜めた藤野。
「おう、どうした」
「さっき彼女にチョコを渡したんだ」
『彼女』とはこいつが懸命にアピールしている宮本だ。好意を全面に出しているのに、宮本は喪女だからかまるで気づかない。
きっとまた、そんな話だろう。
「で?」と促す。
「有名店の五粒五千円だ」
「高っ」
「それを渡したら、なんて言われたと思う」
あの間抜けが言いそうなことを考える。
「『チョコが嫌いなの?』かな。お前がもらったやつを食べられなくて自分にくれたと勘違い」
「ブー。不正解。答えは、『藤野と友チョコの約束してたっけ?』だ」
吹き出す。「そう来たか!」
「『ごめん、忘れていたから今度倍返しするね』だとさ」
藤野は仏頂面だ。
しかしこいつには悪いが、さすが宮本。思考がぶっ飛んでいる。
「友チョコじゃねえって言えばいいじゃん」
「呆然としているうちに、去られた」
ぶふっとまた吹き出してしまう。それもいかにも宮本っぽい。
藤野は大きく息を吐いた。
「学生のときは男女問わず、大量に友チョコ交換をしていたんだろうな。俺のクラスで一番もらってたのは、女子だった」
「だからって俺たち来年は三十路だぞ」
「いいんだ。あの天然なところが可愛いから」
「いや、天然な三十路ってイタイだけだろ」
「俺はお前の好みのほうが悪趣味だと思う」
やいやい言い合っていると、
「そういう話は飲み屋でやれー」
と、課長が言いながら通り過ぎた。いつも時間ギリギリに出社する人だ。
藤野は、仕事すっかと切り替えて自分のデスクに向かう。
俺は椅子に座ろうとして、第二のほうを見た。
黒いパンツスーツに真っ黒な髪をひとつ結びにした女が、まだ始業前だっていうのに後輩に請われて企画書チェックをしている姿が見えた。
仕事はできるヤツなのに。
きっと友達に『恋人は仕事』とか言っているのだろう。鈍感アホだから。
突然、宮本が振り返った。目が合う。とたんに彼女は顔を歪め、嫌悪感丸出しな表情をした。お返しに中指を立ててやる。
「木崎っ!」と背後から飛んでくる部長の声。「社内で下品なことをするな」
すんません、と答え……
答え……
はっと目を開ける。
鳥の鳴き声が聞こえる。
一瞬どこにいるのか分からなかったが、自分のベッドで前世の夢を見ていたのだと気がついた。
すっかり忘れていたが、そんなこともあった。
確かにバレンタインに男がチョコを渡して告白っていうのは珍しいかもしれない。だが、だからといって友チョコなんて発想になってしまうのが宮本の宮本たるゆえんだ。
本当、鈍すぎる。筋金入りだ。
このときだけじゃない。藤野は散々空振っていた。
……あんな鈍感、全然好みじゃないのに。
何の因果なのか、自分で自分が不思議すぎる。
今世になっても変わらない喪女っぷりだし。
きっとあいつには、はっきり好きだと言わない限り、伝わらないのだろう。
◇おまけのおまけ◇
前世の木崎。同期の友人藤野のせいで、わりと頻繁に宮本観察。
観察すればするほど、『おかしな女』との思いを深くした木崎であった。




