30・〔幕間〕第二王子の私室にて
第二王子バルナバスのお話です
「信じられないわ。一体どういう事かしら」
母が苛々と私の部屋の中を歩き回っている。
昼間、彼女の秘密の温室をムスタファに貸したのだ。母があそこに他人だけを入れるなぞ初めて――と庭師ベレノが驚いていた。そう、彼女がそんな思いきったことを敢行したのは、ひとえにムスタファの目的がマリエットとデートだったからだ。
なんとかふたりを共に朝を迎えるような仲にさせたい母は、自分の秘密とそれとを天秤にかけ、崖から飛び降りるぐらいの気持ちで前者を選んだ。
というのも先日巧妙にしかけた――母の談だ、媚薬の企みが失敗した。あまつさえ、それが原因なのかどうかふたりは仲違いをしたらしかった。
底なしの不機嫌さを隠そうともしないムスタファは、それはそれで面白かったが母は焦っていた。
そこにデートに使いたいから貸してと言われれば、貸すほかないだろう。勿論今回も媚薬を添えて。
だけどまたそれは失敗したようだ。ふたりは何事も進展することはなく、デートを終えた。あくまで推測に過ぎないが。
「彼は媚薬を使うのが、どうしても嫌なのでしょう」
「そうね、チョコはひとつも減っていなかった。だけどおかしいわ」
「奥手なくせに潔癖でもあるのですよ、きっと」
「ムスタファはね。そう思ったから念のため、あの場に媚薬効果の魔法を掛けたの!」
きっと眉を吊り上げている母の顔を見る。
「温室に入ったら、誰もが発情するレベルよ」
「……えげつない魔法ですね。そんなものがあるのですか」
「そう。ベレノで試したら大変なことになったから、ちゃんと効果は出ているの。それなのにふたりには効かなかった!」
なるほど、それは母が苛立つのも分かる。
……ベレノがその後どうなったのかは興味がないこともないが、とばっちりを受けて気の毒なことだ。
「ムスタファたちは、あらかじめ予防魔法をかけていたということですか」
「でしょうね」
「母上、警戒されてしまいましたね」
「問題はそこじゃないわ! 彼らに魔法を掛けたヤツがいるのよ!」
「ムスタファには不可能ですね。マリエットは未知数ですが、今までの彼女を見る限り、無理でしょう。となると、ヨナス?」
「いいえ、彼に出来るとは思えない。フェリクスはどう?」
「彼は対人間の魔法は得意ではない筈です」
「治癒が凄いのに?」
「あれは他人に利用される魔法でしょう? それが嫌で、他の対人間系は真面目に学ばなかったと話していましたよ」
それが事実なら、と声に出さないで付け足す。気の置けない友人同士と思っていたのに彼は治癒魔法が使えることを私に何年も隠し、それなのにどこの馬の骨とも分からないマリエットには惜しみ無く使った。
……私はショックだったのだ。なのにフェリクスは言い訳すらしなかった。いつもの軽薄な顔をして、
「私のトップシークレットがばれてしまったな」
なんてヘラヘラしていたのだ……。
「ヒュッポネンでは?」
「彼ではないわ。昨日は休みで今日の午前中は丸々新人向けに教鞭を取っていたから」
「では他の上級魔術師ですね。兄と親しい者が彼以外にいるとは思えませんが」
「そうなのよ」と母は不満そうな顔をしている。
「でもいいわ、別の手を考えましょう」
「急いて警戒されたらまずいですよ。計画では私が二十歳のときに、でしょう?」
「あと三年も待てないの!」
「ここまで待ったのにですか?」
「そうよ」と母。「あなただってムスタファの評判がうなぎ登りで不安なのでしょう?」
「そうですが」
視線を落とす。
兄のことは嫌いではない。だけどずっと、私はムスタファより全てにおいて勝っていると思っていた。人嫌いで偏屈な異母兄。生気がなく、何のために生きているのか不思議になるほどだった。どうしてあの異母兄より後に生まれたというだけで、より優れ、父の愛情を受けている私が王になれないのかと、不満だった。
宮廷に出入りする貴族の多くは、両親の長年の努力によって彼らに同調する者だし、第二王子派だ。
だけど近頃、長年の独裁に綻びが出て来ている様子がある。そこにムスタファの変化がタイミング良く起こってしまった。
「計画は前倒し。その為にまずは、ムスタファとマリエットをくっつけるのよ!」
母は叫ぶとにこりと可愛らしく笑って、
「引き続き協力してね」
と言ったのだった。




