30・〔幕間〕デート顛末を見守る従者
第一王子の従者、ヨナスのお話です
温室調査を終えて戻ってきたムスタファ様は、読めない表情をしていた。
「マリエットは?」と声を掛け、用意しておいた冷えたグラスに白ワインを注ぐ。
「仕事に戻った」
つまらなさそうな声音でそう言ったムスタファ様が、定位置に座る。
せっかくグラスをふたつ用意しておいたのに残念だ。
「温室はどうでしたか」
ワインを彼の前に起き、向かいに座る。
「興味深かった。見たことのないものばかりでな。ベレノは相当に腕の良い庭師なのだろう」
「なるほど」
「他に目につく要素はなかった」
「そうでしたか」
視線を外さずムスタファ様の言葉を待つ。と、彼はふいと視線を外した。
「ヨナスが期待しているようなことは、何もない」
「がっかりです」
「説明しただろう。今は何も出来ない、と」
「でも調査を装って、中ではずっと手を繋いでいたのでしょう? マリエットの反応は?」
「何もない」
ムスッとしたムスタファ様。
「あの鈍感に反応を期待するほうがバカなのだ」
「前途遼遠ですね」
「だから恋愛慣れしていない女は嫌いなのだ」
思わず苦笑がこぼれる。
「あなただって、恋愛的な意味合いで異性と手を繋ぐのは、今日が初めてでしょう」
前世を引き合いに反論してくると思ったムスタファ様は、うっすらと頬を赤らめ、悔しそうな顔をした。
これは結構、楽しみにしていたのではないだろうか。それで彼女が無反応というのは、なかなかにツラいものがある。
それにしても。いくらマリエットが鈍感でムスタファ様の恋心に気づけないのだとしても、彼は稀に見る美貌の王子なのだ。普通の感性ならば、手を繋ぐだけで舞い上がると思うのだが。
これは本当に前途が暗い。
失意のムスタファ様に追い討ちをかけたくないので、これ以上話題を続けることは諦めて立ち上がる。
「来客まで少し時間があります。お休みになりますか」
「いや」ワインを口に運んだムスタファ様は「書類を見る」
「今朝のものですか」
そう、とムスタファ様。かしこまりました、とそれを隣室に取りに行く。
そろそろ書類仕事をするための部屋を用意してもらうか、と考えながら。
◇◇
来客との面会を終えてムスタファ様とふたり、私室に戻ると間を置かず侍女頭がやって来た。待ち構えていたのかもしれない。
定位置に座ったムスタファ様の斜め前に、美しい姿勢で立つ彼女の表情は硬い。挨拶を済ませた侍女頭は早々に、
「マリエットとデートとは、どういうことでしょうか」と糾弾を始めた。「以前あなたは、彼女を気に入ってなどいないと断言なさいました。お心に変化がございましたか」
「いいや」
冷静に返答するムスタファ様。その表情は無だ。
「皆が、私が彼女を好きなのだと断定する。そんな事はないと答えても、自覚がないだけだと返される。挙げ句にふたりきりでデートでもすれば、己の心が分かると言われてな。それで此度のことを計画したのだ」
侍女頭が私を見たので、頷く。
来客に会う直前にムスタファ様が、突然対外的にはこの理由にしようと言い出したのだ。ちなみにデートを勧めたのは私という設定だ。
このこじつけの理由がマリエットの体面を慮ったものなのか、異性として意識されない自分のプライドを守るためのものなのか、私には分からない。どちらもが正解なのかもしれない。
「私は」と侍女頭。「彼女が困惑しているように見えました」
「きちんと説明していなかった。明日の朝、意図を伝えよう」
それに対し、納得したかのような返事をした侍女頭。だが恐らくは、信じていないのではないだろうか。
と、ムスタファ様は目を伏せた。これはまだ何か言うなと思った矢先に、
「……以後、彼女を困らせることはないから、そういう事にしておいてくれ」
と彼は告げた。侍女頭が驚いて、僅かに瞠目している。
「特に義母だ。何を考えているのか、媚薬を使わせようとする」
「まさか!」
余程びっくりしたのだろう、彼女らしからぬ声を上げた。そうだろうとは思っていたが、やはり知らなかったらしい。
「本当だ。今日で二回目だ。またこのようなことをされても困る。ゆえに今回のことは私が自分の気持ちを確かめるものだったが、結果、そのような相手ではないと確信しただけだったということにする」
「承知いたしました」と侍女頭。
ようやく目を上げたムスタファ様が侍女頭を見た。
「ロッテンブルクはまるでマリエットの保護者のようだが、他の侍女にもそうなのか」
そのようなことはありませんよ、と心中で私が答える。
「贔屓目にしている自覚はあります。みなを平等にしなければならない立場ですのに未熟で申し訳ありませんが、やはりやる気のある者には肩入れしてしまいます」
それは致し方ないことだ。彼女だって、自分を慕い尊敬してくれる侍女のほうが嬉しいだろう。
「マリエットは絶大な信頼を寄せているな」
「ありがたいことです」
侍女頭の硬い表情が弛む。
「彼女にレオン・トイファーを勧めるのはやめてほしい。あなたの言葉は彼女に重く響く」
ムスタファ様の、僅かに感情が滲み出た声。真っ直ぐな眼差し。彼女を『あなた』と呼び、敬意まで表した。なるほど、侍女頭に設定の嘘を明かした目的はこれだ。
いつだったかムスタファ様は彼女とレオンについて話した。あの時彼は、自分で尋ねたのに不快な表情をした。面白くない、というよりは、悔しいという心持ちではなかろうか。いや、不安を感じたのかもしれない。マリエットは侍女頭が大好きだから。
あの表情を彼女は見逃さなかったに違いないし、その意味するところを察したのではないかと思ったものだった。
果たして侍女頭は、完璧な仕草で
「畏まりました」
と最上級の礼をしたのだった。




