30・1温室デート
パウリーネ王妃の温室。
外から中の様子は窺えない。硝子張りではあるのだけど、その硝子に沿うように背の高い植物が繁っているので、見通せないのだ。
その入り口の前に、ムスタファ王子と私。パウリーネとロッテンブルクさん。ふた組で向かい合っている。上級魔術師の姿はないけれど、どういう仕組みなのか、すでに私たちふたり分の魔法のロックは解除されているという。
にこにこ顔の王妃と、反対に心配そうな侍女頭。私は戸惑いの表情……に見えるよう、女優魂を発揮中。
「私は本当に嬉しいの」と笑顔のパウリーネ。「ムスタファさんが私を頼ってくれたのだもの」
ムスタファは無表情でうなずく。
「張り切って軽食も用意させてしまったわ。遠慮なく、ふたりでゆっくり憩ってね」
「いえ、あの……」私はわざとらしくオロオロとする。
「いいのよ、マリエット。今日の仕事はもうおしまい」
いや、まだ正午を回ったぐらいですけど!
「来客があるので、程々で切り上げます。義母上、今回はありがとうございます」
では、とムスタファは早々に話を切り上げたい様子を隠しもせずに(という演技だ)、私の手を取った。
「外からは誰も入れないから、心配なくね」とパウリーネ。
何の心配だ、という顔をロッテンブルクさんがしている。それはそうだろう。私に興味がなかったはずのムスタファがデートをしようとしていて、私はそのことに困惑しているのだ。
彼女まで騙すのは心苦しいけれど、パウリーネの侍女である以上、この件の目的は明かせない。
「ムスタファ殿下」侍女頭が呼び掛ける。「マリエットを……よろしくお願いします」
温室デートで『よろしく』って。まるで母親みたいなセリフではないだろうか。くすぐったい。というか、心配してもらえて嬉しい。
ムスタファはもったいつけて、うむとうなずいている。
再度、では、と言ってムスタファは硝子の扉を開けた。中からほの暖かい空気と草花の匂いが流れてくる。思っていたより暑くないらしい。フェリクス調べによると、常春の地域を模しているそうだ。
振り返り、ロッテンブルクさんに
「行ってきます」
と挨拶をする。彼女は不安そうな顔で、
「気をつけて」と答えた。
「あら、危ないことなんて何もないわ、温室だもの」
パウリーネが楽しそうにコロコロ笑う。
これだけ見たら可愛い人なのに。実の息子を王太子にするために腹黒い企みをしているとは、到底思えない。もしかしたら企みとも思っていなくて、実の息子ラブなだけの軽い気持ちなのかもしれない。そのほうが彼女らしい。
そんなパウリーネにも頭を下げてから、温室の中に入った。
背後で閉められる扉。振り返るとパウリーネが笑みを浮かべていた。
一方でムスタファは私の手を引っ張りながら、細く曲がりくねった小道をずんずん進む。すぐに外が見えなくなる。
と、彼は足を止め、空いた手で胸元のカメオをいじった。石が外れて、下から小さな鏡が現れる。これに温室内を映して、フェリクスが後で魔法で見る。彼はリアルタイムで見る魔法も使えるのだけど、温室に魔法に反応する術が掛けられている可能性があるので、今回は使わないらしい。
鏡を露にしたムスタファは、周りをぐるりと見渡した。
「外の庭では見たことのないものばかりだな」
「そうね」
というか外と違って、前世でも見覚えのないものばかりのような気がする。
ムスタファはこの調査のために、付け焼き刃的に薬草の勉強をしたのだけど、それでも知らない植物ばかりだという。
そんな多種の草花が、野山であるかのように植えられている。薬草を育てる温室らしからぬ規則性のなさだけど、そうすることで貴重なものがどれか分からないようにしているのではないだろうか。
「普通に綺麗だな。デートに最適」
「『私、そんなつもりでは』」
王子の言葉にそう答えると、ムスタファの木崎はにんまりとした。
「行こう」
と、再び手を引っ張られる。
万が一パウリーネが様子を見に来たときに備えて、他人に聞かれても問題ない会話しか交わさないことにしている。それと――
繋がれた手をちらりと見る。
これも、それ用の対策らしい。
ムスタファとは何度か手を握り握られしたけれど、繋いで歩くのは初めてだ。いかにもデートらしくて、誤判定されないか心配になる。
彼の手はほっそりとしていて、なのに内側はマメや硬くなった皮膚があって、アンバランスだ。雰囲気的に体温は低そうなのに、意外にも温かい。
「一回りするのに、どれくらいでしたっけ」
「小道をゆっくり歩いて三十分」
だよね。それで今日の仕事は終わりでいいって、パウリーネはどういう計算をしているのだ。寒気がする。
「その話し方はやめろ。気色悪い」とムスタファ。
「だって」
聞かれても問題ない会話をする筈だ。
「構わないだろ、そのぐらい」
だけどなあ。改まった口調なら仕事感があると思うのだ。いつも通りだと、緊張感がない。
というか、手繋ぎデート感しかない。
「大丈夫かな」ゲーム的に。
「心配しすぎ。お、変わってる花。見てみろよ」
ムスタファが指差すほうを見る。確かに。
……これって、やっぱりデートじゃない?
小道から外れることは難しい。植物エリアに入ったら、確実に何かを踏むので跡が残ってしまう。そうなると道から見える範囲の目視しかできなくて、調査といえるほどのことは何もできない。
もっともこれはフェリクスの想定内で、温室の中を見られるだけで大収穫なのだと力説していた。
花や葉っぱを見ながら、おかしなところ、例えば秘密の扉とか地下への降り口とかがないかを探す。だけど不審なところは全くない。
と、何かが引っ掛かった。何だろう、と辺りを見る。すぐに分かった。
「スズラン」
「ん?」とムスタファ。
「あそこ」
小道から離れただいぶ向こうにスズランが群生している。手前に背の高めの花があり見にくいけれど、確かにスズランだ。
「どうして、あるのだろう。他は見たことがないものばかりなのに」
ううんと唸っていたムスタファは、
「……いや、外にはないのかもな」と言った。「この前の花の園で、カルラとフェリクスが話していた。今度植えなきゃとかなんとか」
そんなことを話していたっけ。覚えがない。
「お前を驚かせるとか、そんな話だったような」
私を驚かせる?
「もしかして、カルラは私がスズランが好きと話したのを覚えているのかな」
ムスタファが私を見た。
「好きなのか?」
「そう。初めて会った日に好きな花はと聞かれて答えたの。五歳児が覚えているものかな」
「幼児を馬鹿にするなよ。好きな相手の好きなものは、ちゃんと覚えているもんだ」
「そうなんだ」
私の好きな花を覚えていて、元気がないことを心配もしてくれて、励まそうとスズランを植えようとしてくれるカルラ。
「可愛いがすぎる」
「姫としては規格外なんだろうがな。ああいうお転婆は、いい」
ムスタファが親のような顔をしている。
「いずれ本当に近衛になるかもね」
「なれるだろ。あいつは身体能力が高いし、シュヴァルツはなんだかんだ言いつつ、王家至上主義だからカルラに逆らえない。カルラが入隊できる年齢になるころには奴が総隊長に就いてるはずだし、請われたら拒めないんじゃねえの」
「そうか」
それは良い話だ。
何より総隊長のカールハインツ。格好いいの最上級はなんだろう。尊死のレベルすらも越えていることは間違いない。
――と。カールハインツ。総隊長。何かが気になる。なんだろう。
「妄想中か? にやけてんじゃねえよ」
木崎に軽く小突かれて、形になりかけていたもやもやが霧散する。まあ、いい。たいしたことではないから、覚えてないのだ。
「カールハインツのお兄さんも、スズランが好きだったんだって。初めてした雑談がその話だったの。ゲームにはない展開だったし、感激したな」
「そう。だが宮本は俺とデート中だぞ。他の男の話なんて、してんじゃねえよ」
ムスタファを見る。ふざけた顔はしていない。
「溺愛っぽいセリフを言うのが、ブームなの?」と小声で尋ねる。
「そういう体で、ここに入ったんだろ」
こちらも小声。
そうだけど。
そうなんだけどさ。
なんというか、落ち着かない。
再び歩き始める。
「宮本さ」とムスタファ。「シュヴァルツ攻略はどうするんだ。終わるまで一旦止めるのか、継続するのか」
「えーと、継続?」
「何で疑問形なんだよ」
「気持ちだけ、な気がするから。ルートを外れているし、何をすればいいか分からないもん。今まで通りに接するのが関の山」
「喪女だもんな 」
「うるさい」
「俺は協力はしないから」
「え?」
周囲を見るのをやめて、ムスタファの顔を見る。
「何で?」
「こっちこそ、『何で?』だよ。前に協力していたのは、俺とバルナバス以外のルートになってほしかったから。もう俺に決まったんだから、しねえよ。宮本があいつを好きなのは勝手だけど、俺は賛成できねえし」
これって他人に聞かれてもオーケーな会話かな、なんていう疑問が湧いてくる。
でも、そうか。木崎が手助けしてくれていたのは、ルート選択のため。もう、彼的にはする必要ない。
「分かった。今までありがと。自分だけで何とかする」
きゅっと、繋いだ手に力が込められた。
「喪女の宮本がどうするか、見ものだな。最初に啖呵を切ったくせに、俺とルーチェの手を借りても、ぐだぐだ」
「敗因はゲームを意識し過ぎて、初盤に猫をかぶっていたからだと思うの。後半の好感度の伸びを考えたら、もっと私を出して良かったんじゃないかと思う」
「分析が正しくても、実行に移せるかが問題だからな。抱きかかえられただけで腰抜かすヘタレだろ?」
「あれは!」
木崎が予告なくカールハインツに私を渡したからじゃないか。そもそも、イヤだと言ったのに。でも。
「……貴重な体験をさせてもらえました。嬉しかったです。ありがとう」
ムスタファが吹き出す。
「何で急に敬語なんだよ。……あ」
小道を曲がると、急に開けた。狭いながらも長椅子一脚とテーブルがあり、確かにパウリーネが言ったように軽食が用意されていた。
フェリクス情報によると、王妃は時たま、ごく親しい友人とだけここでお茶会をするらしい。椅子のサイズからみると、本人をいれて三人が限度だ。
「どうする。食べるか? ワインもあるな」
ムスタファは手を放して、卓に近づく。
「これだな」
と、彼が指差したのは、見覚えのあるピスタチオののったチョコ。それがお皿に1ダースほどある。
実は今朝方、パウリーネからムスタファにメモが届き、
『この前と同じものを用意しておいたわ!』
と書かれていたのだそうだ。
「他なら大丈夫だろ」と木崎。
それに私たちはツェルナーさんに、媚薬が効かなくなる術をかけてもらっている。
安全な筈だし、『デート』としてここに入りこんだ以上、多少は食べたほうがいいかもしれない。
「少しだけ」
そう答えるとムスタファが戻ってきて、また私の手をとった。長椅子の元に導き、座らせる。
人付き合いが嫌いでも、中身が木崎でも、女性をエスコートできるらしい。
何とも言えない、変な気分だ。
そつのない王子っぷりを垣間見せたムスタファは、ワインをデキャンタからグラスに注ぎ、香りを嗅いでから口に含んだ。
急に通ぶり始めた、と思ったのは一瞬だけで、すぐに彼は
「問題ないな」と言って、もうひとつのグラスにもワインを注ぐ。
どうやら毒味をしてくれたらしい。
差し出されたそれを取る。
「悔しいけど、モテてた理由が分かるよ」
「ん?」
「自然に優しいもんね」
しかもこういう時の木崎は、恩着せがましく『毒味してやったぞ』とか『注いでやったぞ』とかは言わない。
紫色の瞳が私を見る。
「……なに? 宮本も俺に惚れちゃうか?」
「それはない」
「つまんねえヤツ」
ふいと視線を外しムスタファは、
「お、好物がある」
なんて言いながら、骨付きチキンを手で取りかぶりつく。
「ちょっと!」
あるよ、とナイフとフォークを急いで差し出す。
『たまにはワイルドに食いたいじゃん』
多分、そんなことをもぐもぐしながら言うムスタファは、月の王とは思えない、ひどい顔をしていた。
◇◇
温室で一時間程度を過ごし外に出ると、扉脇に侍女がひとり、椅子に腰かけて待っていた。私たちを見ると驚いた顔をして、
「もうおしまいですか」
と訊く。彼女はパウリーネが、ロッテンブルクさんの次に重用している侍女だ。
「十分、楽しんだ。素晴らしい温室だったと義母に伝えておけ」
王子の顔をしたムスタファが言う。
「畏まりました」
と答える彼女は、どうしてなのか不思議そうな顔をしていた。




