29・〔幕間〕前夜、第一王子を諌める従者
第一王子の従者、ヨナスのお話です。
ムスタファ様の機嫌が、最低ラインを更新し続けている。媚薬チョコの日からずっと苛立っているのに、理由が何なのかを一切話してくれない。分かるのは、マリエットが原因というだけ。
それなのに昨日は最悪な場面に遭遇してしまった。彼女がフェリクス王子に腰を抱かれて庭園散策をしているところだ。もちろん周囲の状況をみれば、彼女が拒めなかったのは分かる。どんなに嫌だったとしても、カルラ王女の前で侍女見習いが騒ぎ立てることはできなかっただろう。
ムスタファ様だってそのぐらい分かるだろうに。嫉妬に駆られて機嫌は底なしに悪くなるばかり。お子様すぎる。いつまで『そうじゃない』と言い張るつもりなのだ。
今朝だってただ一言、『他の男を近寄らせないでほしい』と正直に言えばいいところを、ひねくれた表現でしか伝えられなくて墓穴を掘っていた。あそこまでいくと、嫌われたいと願っているとしか思えない。
――あまりに阿呆なムスタファ様が心配だったから、別の仕事に行ったふりをして廊下で盗み聞きをしていたのだ。だけど考えていた以上にあの人は愚かだった。彼女を傷つけ、自分も傷ついているのだから。
あれ以降、いつもにも増して不機嫌オーラを出しているムスタファ様に、ヘルマンたちも恐れをなして近寄りたがらない。皆口を揃えて、私になんとかしてくれと頼んでくる始末だ。
寝支度を終え、ベッドの中で書類に目を通しているムスタファ様の傍らに寝酒を置く。どうせ内容なぞ頭に入っていないのだ。長い間、ページが捲られていない。
「ムスタファ様」
「何だ」
「明日の髪の手入れは私がします。マリエットには朝一番で知らせますから」
じろり、と険しい目が向けられる。
「何故だ」
「私はあなたの従者です。あなたが誰かを傷つけるのなら、それを防がなくてはなりません」
ムスタファ様の口がへの字になる。
「自分の問題を隠すために他人を傷つける。二十歳の、それも王子という立場の者がすることではありません」
ムスタファ様は何も言わずに目を逸らした。自覚はあるらしい。
「媚薬入りチョコ。シュヴァルツ隊長に食べさせるとの考えが浮かんだのは本当でしょう。ですがマリエットにはそんなことはできないと、あなたならお分かりだったはず。なのに処分しなかった」
くしゃりと、紙が折れる音がした。
「ご自覚はありますよね。あなたはあれを、彼女に食べさせたい気持ちがあった」
ムスタファ様はうつ向いている。
「フェリクス王子も察しているようですし、気がついていないのはマリエットだけ。あなたがそんなことを望むとは、塵ほどにも考えていないのでしょうね。
どうしてあなたが自分のお気持ちをお認めにならないのか、何故そこまで頑ななのか、私には理解しかねます」
そう言うと、顔を下げたままのムスタファ様から、うめき声のようなものが聞こえた。
「……あり得ないんだよ」低く、やや震えた声。「ああいう女は好きじゃない。恋愛はよく分からないですなんて顔をして、男の気持ちも推し量らない。警戒しないで距離感バグらせておきながら、そのくせそういう雰囲気になると『全然考えてなかった』って焦るヤツ。脳ミソないのかよって思うだろ。それが可愛いって男も多いだろうけど、俺は嫌い。理性で恋愛できる女が好きなんだ」
ムスタファ様の口調がキザキになっている。
そういえば今朝、マリエットが言っていた。キザキの好みは可愛いくて強かな女性だ、と。
確かに彼女は恋愛に関しては強かではなさそうだ。だけど。
「そんなこと、好きになった相手が好みのタイプ、で構わないではありませんか」
単純明快、何故こじらせる必要があるのだ。
「八年。八年だぞ!」
そう声を上げたムスタファ様は、一瞬私と目を合わせ、またうつむいた。
「八年も犬猿の仲だった。お前には想像できないだろうが、宮本とは本気で、心底、周囲公認で険悪な仲だったんだ。今更……」
ますます項垂れるムスタファ様。
「……今更惚れたなんて、あり得ないだろ」
思わず、小さく息をついた。
ようやく認めた。
「何があり得ないのか、私にはとんと分かりません」
「八年だぞ!」ムスタファ様がまた私を見た。
「八年前のあなたは十二歳ですね。ちょうど私と出会った年です」
彼の顔から毒気が抜ける。
「あなたがキザキだったのは過去のこと。別の人間の話ではないですか。もう失われたものに拘って、今の自分を苦しませるのですか」
また目を逸らすムスタファ様。
「だって。あり得ないし、認めたくない。第一今更、どんな態度をとればいいんだ」
「素直にすればいいじゃないですか。良いお手本がふたりもいるでしょう?」
フェリクス王子にレオン・トイファー。
名前を出さなくても伝わったようで、ムスタファ様の眉間に皺が寄る。
「それに前はこんな風ではなかった。恋人が誰といても、腹は立っても嫉妬はしなかった」
「本気で好きじゃなかったからではないですか?」
「そんなことはない! ……多分」
いやいや私が聞いている、キザキだった時の女性付き合いが全て事実ならば、本気で好いた関係があったとは思えない。
「……それにあいつは、俺を恋愛対象だとこれっぽっちも思っていないし」
「そうですね。完全にノーマーク、って感じですからね。異性とすら思っていなさそうです」
「……ちょっとは、顔を赤らめてくれるときもあるぞ」
ここでは反論するのかと、おかしくなる。
「どうせあなたが、からかった時でしょう?」
返答がない。正解らしい。
「それにこんな一方的でしかない感情、完全な敗北じゃないか。あいつに負けるのも、負け自体も、死ぬほど嫌いだ」
「それなら勝てるよう、努力すればいいではないですか。努力、あなたは得意でしょう。あんなに見込みがないのに挫けない、フェリクス王子やレオンを見習ったらどうですか」
「だから今更どんな顔をして接すればいいのか、分からないんだ」
「で、マリエットをズタズタに傷つけるのですか? 知っていますか、そういうのを『馬鹿』というのです」
馬鹿を強調するなと呟いて、ムスタファ様はまた項垂れた。
「……あのふたり以上に、見込みなんてない。お前は知らないから言える。前世では、誰もがフォローしようがないほど嫌われていた。俺もそれで構わないと思っていた」
「つまりあなたは、実は嫌ってはいなかった、と」
「……そうは言ってない。性格は合わないし、考え方もまるで違った。仕事の能力は認めるけど、惚れるなんて絶対にあり得ないんだよ」
「それはもう、分かりました」
ため息が出る。
「伝える勇気がなくて関係を悪化させるだけなら、とにかく距離をとって下さい。明日から当面、彼女は来させません」
今度はムスタファ様がため息がつき、顔をあげた。
「どのみち、今は言えない。宮本は物語の大事な局面の最中だし、俺が告白して万が一魔王化したら、間違いなくあいつは気に病む」
「よく分かりませんが、『今』でなければ良いのですか」
確かレオンともそんな話をしていたはずだ。二ヶ月後ならば、とかなんとか。
うなずいたムスタファ様は顔を翳らせた。
「物語中に私とあいつが結ばれると、魔王化するんだ。だから終わるまでは、何も告げない」
「なるほど」
だけどそれはマリエットが他の男との恋物語を進めるのを黙ってみている、ということだ。
「ありがとう、ヨナス」
「何がでしょうか」
「お前と話して、腹が決まった。私はマリエットが好きだ。彼女にはまだ告げないが、他の男にも渡さない」
「そうですか!」
「明日はいつも通りだ」
かしこまりました、と丁寧に返答する。
良かった。ムスタファ様が前に一歩、進んでくれた。彼が思いをこじらせ、マリエットと仲違いをするのを見ているのは辛かった。
今夜は久しぶりにぐっすりと眠れるだろう。私も、ムスタファ様も。




