29・2『選んだのは』
髪の手入れが終わるとムスタファは即、私の部屋に向かった。王子が侍女の部屋に行くなんてまずいと思うのだけど、木崎に言わせるとエルノー公爵から贈られた品々を確認するという大義名分があるのだそうだ。
実際、偶然出会ったロッテンブルクさんに王子がそう説明したら、一応の納得をしてくれた。
幸い時間帯的に侍女たちはみな出払っていて、誰にも見られることなく自室に入ることができた。が。
「ねえじゃん、ウィンドウ」と木崎。
「いや、出てるよ」
起床時と変わらない様子で、部屋いっぱいに広がっている。というか木崎は自分も見えると思っていたのか。各攻略対象のステイタスを見られるのは私だけだし木崎も知っていることだから、当然見られないと考えていると思っていた。
「そうか。宮本しか見れねえんだった」
「忘れてたの?」
悪いか、 と珍しく照れ顔をしたムスタファはぐるりと部屋を見回した。
「すごいな、服が溢れてる」
「ルーチェさんがくれたの。急な出立で、荷造りの時間がないからって」
「ということは、何かしら金に困って実家が呼び戻した訳ではねえな」
「多分。だけど手紙の返事は書けないかもしれないと言っていたから、事情は複雑なんだと思う。今、フェリクスが探ってくれているの」
「……へえ。フェリクスのはどの辺に出てるんだ?」
なんでそんなことをと思いつつ、ここ、と示す。
「それからムスタファはここ。見せられないのが惜しいよ。どの攻略対象もキャラにあった表情をしているのだけど、ムスタファは儚げなの。木崎に一番遠い雰囲気だよね」
「失敬な。俺は月の王だぞ。で、どうやって選択するんだ?」
「タップでいいんじゃないかな?」
「なら、さっさとしろ」
全てのウィンドウを最後にもう一度見る。もしかしたら見逃しがあって、選べる相手が他にもいるのではないかとの期待をこめて。起床時にも散々見たけど、最後の最後の確認だ。
「今更躊躇するな」
掛けられた声に振り向くと、ムスタファは腕を組んで仁王立ちをしていた。何でそんなに偉そうなのだ。いや、監督気取りなのか?
「無難にフェリクスを選んで、シュヴァルツとの結婚と引き換えに世界を破滅から救おうっていうのか? 自己犠牲なんてくだらねえ。ヒロインはお前だぞ? 自分も世界もハピエンにするぐらい、宮本ならできるだろ?」
「何なの、その煽りは」苦笑がこぼれる。「……本当のところ前世の私は、意地とプライドで踏ん張っていただけだよ。ましてや前世の記憶がよみがえる前の私なんて」
自意識だけが高い、平々凡々な娘でしかなかった。木崎みたいに溢れるような自信がある人間じゃない。
「踏ん張れるだけで十分だろ。でも、俺がついて来たのは正解だな」
ムスタファはそう言って私の手首を掴むと「この辺か?」と自分のウィンドウが出ていると思わしき場所に引っ張った。
「木崎。自分でやる」
ムスタファの紫の目が私を見た。
「バカにしないで。自分の選択に責任を持てないほど意気地無しではないよ」
「そうだな」
これがムスタファと世界にとって正しい選択なのかは分からないけど、木崎は任せろと言ってくれたのだ。自分自身に迷いはあっても、木崎の言葉は信じられる。
ムスタファの名前に手を伸ばす。
触れないけど大丈夫かな、そんな疑問を抱いたのは一瞬だった。
覚えのある音楽が流れ、彼以外のウィンドウが消えた。そして『選んだのはムスタファとの恋』との文字が現れた。
また仁王立ちしている攻略対象を見る。
「選んだ」
「よし。誤判定されないよう、気合い入れてかかるか」
「木崎は元がフェリクスと同じタイプなんだから、しっかりしてよね。しかも超絶イケメンだし。こっちは悔しいけど免疫がないのだから、適正な距離感を考えて」
「『超絶イケメン』」ムスタファがにやける。「いいな。いくらでも褒めろ」
「重要なのはそこじゃない」
「分かってる」
「全く」
「で、啖呵を切ったばかりで何だが、俺はお前をデートに誘わないといけない」
「……は?」
『デート』って聞こえたけど、気のせいだろうか。ムスタファは真面目な顔をしていて、ふざけている気配はない。
「俺がフェリクスに頼んだことを覚えているか」と木崎。
ファディーラ様の捕らわれていた場所探しと、国史の再確認のことだろう。もちろんと答える。
「その関連でパウリーネの温室に入りたいらしい。だがガードが固い。一方で彼女は俺とお前をくっつけたい」
……確か。媚薬騒ぎのときにフェリクスがそんな話をしていたような気がする。動揺が収まっていなかったから、うろ覚えだけどバルナバスがどうとか、そんな話だった。
「それを利用して、俺とお前で中を確認するのが目的だ」とムスタファ。「ゲームのことがあるからな。お前と相談してから、とはフェリクスに話してある」
「誤判定案件だよね」
「させねえよ」
ムスタファは卓に浅く腰かける。それはテーブルです、目の前に椅子があるよね、とツッコむ。面倒だから心の中だけで。
それから、木崎はよくそうやっていたなと余計なことを思い出す。
「対策として、『温室に入るときになって、不安になったお前がルーチェを連れてきて三人で入る』って考えていたんだが。他に友達はいるか? いねえよな」
「先に答えるな。いないけど」
思い浮かぶのは綾瀬やテオ、せいぜいがカルラの侍女たちぐらいだ。
「他はフェリクスに乱入させるぐらいしか思いついてない」とムスタファ。「だが、パウリーネには悪手だろう。とりあえず、そういうことだから」
「どういうことよ」
「これは調査だって心構えをしっかりしておけよ。『超絶イケメンのムスタファ様と温室デート』って、浮かれんな」
「浮かれる要素なんて微塵もないでしょ」
「なら安心だ」
あれ、とムスタファの顔を改めて見る。木崎らしくない返しだ。
美しい顔には特段、何の表情もなくて木崎みも感じられない。
「夜、俺の部屋に集合な。幾つか話しておきたいことがあるから」
「了解」
ムスタファは、ん、といういつもの返事をした。それを聞いて、やけにほっとしたのだった。




