29・1ルート選択
ムスタファの部屋へ向かう。昨日に引き続き、気が重い。複雑でもある。私の気持ちと裏腹に爽やかな天気であることが恨めしい。
そもそも木崎は私と顔を合わせたいだろうか。
八つ当たりに八つ当たりで返されて、余計に苛立っているのではないだろうか。
そんなに何が神経を逆撫でしているのか、知らないけれど。
今日も扉は開いたままでそっと中を覗くと、いつもの場所に木崎はいなかった。こちらに背を向け窓の前に立っている。外に気になるものでもあるのだろうか。
「マリエット」
髪のお手入れセットを整えていたヨナスさんが私に気づく。声には安堵の色が見えた。
「それでは私は別の仕事をしてきますから」と定番のセリフを口にして、ヨナスさんがこちらにやって来る。すれ違いざまに
「頼むよ」
と肩を叩かれる。
ここまではいつもの定番ルーティーン。そのあと彼は、扉を閉めた。それはその日次第で、ヨナスさんの気分によるものなのかどうなのか、尋ねたことがないから分からない。ただ今日に限っていえば、閉じてもらいたくはなかった。
「お早うございます」
とムスタファの背中に挨拶をして、手入れセットの元に行く。
「……宮本」
珍しくおずおずとした調子で名前を呼ばれる。木崎を見ると、彼は変わらず外を向いていた。
「何でしょう」
私は侍女見習いという姿勢を崩さない。
「……その。昨日は悪かった。八つ当たりだった。すまん」
告げられた言葉に耳を疑った。すまん? 木崎が八つ当たりだったと、自分の非を認めるの?
慣れないことに、胸の奥がもぞもぞする。
「……うん。私も態度が悪かった。ごめん」
「いや、俺が煽ったから。できれば俺が言ったことは忘れてくれ」
「結構、傷ついた」
「……なら」ようやくムスタファが私を見た。変な表情だ。「一発殴って、チャラにしてもらえるか」
「オッケー」
ふいとムスタファは窓前を離れて、近くの燭台を手にした。私の元にやって来て、真顔でそれを差し出す。
「ん」
「これで殴れっていうの!」
「だってお前の手じゃケガをするだろ」
「私を殺人犯にする気?」
「そう簡単に死なないだろ」
「死ぬよ!」
それなら、とムスタファは部屋を見回す。
「いいよ、もう。出世払いのあれこれを無しにしてくれれば」
「あ? それは払えよ。散々飲み食いしやがって」
いつもの口調にいつもの表情。いつもの木崎だ。
良かった。手をグーにして、肩を小突いてやる。
「じゃ、髪をやろうか」
「ああ。……ルーチェは残念だったな」
「うん。実家の都合らしいけど、本人は納得できていないみたいなの。だから余計にショックで」
「そうか」
「だけどカルラがね――」
と、一昨日の顛末を話す。
「それであいつは必死に逃げていたのか」
「可愛いよね。王宮イチの癒しだわ」
話しながら、ムスタファは定位置に座り、私は仕事を始める。
「今日もいっぱい、ほっこりさせてもらわなきゃ」
「激しいほっこりだな」
美しい銀髪に丁寧にオイルを馴染ませながら、他愛もない話をする。何日ぶりだろう。
「それで木崎は何の八つ当たりだったの?」
「ああ」急にトーンの下がった声。「社交でちょっとな。宮本の知らない貴族だよ」
「ふうん」
予防線を張られた。私には話したくないということらしい。ただの腹立ちなら、愚痴を言ってくるだろう。
またかと淋しくなるが、仕方ない。
「……それより宮本」
「何?」
「シュヴァルツの攻略は上手くいっているのか。そろそろなんだろ」
朝に見たものが脳裏によみがえる。
「ダメだった」
手を止めずに答える。
十二個の攻略対象のウィンドウ。選択できるものは明るく輝き、不可能なものは暗く、『Failure』の文字が顔に重なっていた。カールハインツは、『Failure』だった。
「ルート選択したのか!」
叫び声と共に、ムスタファが勢いよく振り返る。
「それはまだ。ほら、前を向いてよ」
ムスタファが姿勢を直すのを待ってから、説明をする。
今朝、ルート選択表示が出たこと。タイマーがあり、恐らく今夜零時が選択の期限であること。カールハインツは……
「好感度が5になっていたの。すごくない?」
「……頑張ったな」
「だけど親密度は1だった」
「差が大きいな。俺のせいか。完全に誤解をしているんだろ?」
「何とも言えないよ。他の攻略対象たちに比べれば、ずっと多く会話しているし、会ってもいる。カールハインツより全然会話してなくても親密度が高い攻略対象もいるから、何がどう影響したのか分からないね」
カールハインツは選択できない。
不思議なことに、それほどショックを受けなかった。ルーチェのことのほうが余程ダメージが大きい。
きっと無理だろうと予測していたからかもしれない。好感度が予想外に高いことが嬉しいから、やりきった感があるのかもしれない。
いずれにしろゲーム終了後に再び攻略すればいいのだ。その時に頑張ればいい。
「落ち着いてるな」
「ダメだろうなとは思っていたからね」
「それなら、どうするんだ。選択できるのは俺とフェリクスか」
「あと、テオね。攻略していないのに好感度親密度とも《5:5》だった。見習い仲間として仲良くやっていたからだろうね」
「……誰を選ぶ」
「フェリクス。テオはまだ十四歳だもの。選んだせいでテオの人生に影響が出たら、可哀想じゃない」
前世なら中学生の年齢だ。彼を選ぶことはない。となれば一択なのだけど、フェリクスのウィンドウに手を伸ばしたところで躊躇してしまい、まだ選択していない。
カールハインツを選べなかったらフェリクスにするしかないと、覚悟は決めていたのに。
フェリクスの好感度と親密度も《5:5》で、前回とほとんど変わっていない。親密度がひとつ増えただけ。少しだけ肩透かしを食らった気分だ。
いや、最初から彼の好意が大きすぎたのがおかしいのだ。ゲームでは今が中盤で、選択可の場合でも《5:5》が一般的。でなければ後半の楽しみがなくなってしまう。
オイルまみれの手を拭い、櫛を取る。ムスタファの顔は見えない。毛先から少しずつ梳かしていく。
ムスタファの数値は、やっぱりゲームの判定が狂ってしまったのだろう、少し、いや、かなりおかしかった。
突然、ムスタファがくるりと振り向いた。
「ちょっと。急に動かないでって、何回言えば分かってくれるのかな」
今回はまだ、手にとった毛先を梳かしていただけだからいいけれど。
「ヨナスさんが保ってきた美髪を私がダメにするわけにはいかないんだから」
「宮本」
掛けられた声がやけに真剣で。毛先から目を離しムスタファを見たら、やはり真剣な顔をしていた。
「俺を選択しろ」
「……何を言っているの!」
そんな危険は避ける。木崎も私も最初からそれだけは一致していたことではないか。
「フェリクスじゃ、お前の意志がどうだろうとハピエンに持ち込まれる」
「それは……」
私も考えたけど。
「あいつ、本気でお前を狙っているぞ。ツェルナーも認めていた。喪女のお前じゃ流され流されで、落とされる。現に絆されかかっているじゃねえか」
私、絆されかかっていたっけ?
そんな記憶はないけど。
「俺なら」
ぱしりと手首を掴まれる。
「お前の事情は分かっている。宮本を溺愛なんて絶対にしない。お前と俺がハピエンなんてあり得ないだろ」
「だけどゲームの判定がおかしいじゃない。誤ってハピエン認定されたら取り返しがつかないよ」
「そうはさせない」
「だって! 既に好感度、親密度が《10:7》なんだよ!」
それを見たとき、見間違いだと思った。何度も何度も見返した。好感度カンストなんて。
ムスタファが顔を歪める。
「親密度があとふたつ上がったら、ハピエンなの。まだゲーム中盤なのに、こんな数値はおかしいんだよ」
胸がドキドキする。
「……だとしても。ゲーム終了前にこっぴどくフッてやる」
「そんなのが有効かどうか分からないよ。危険すぎる」
「フェリクスと結婚したいのか?」
「まさか」
「俺なら。シュヴァルツを諦めなくて済む」
「そうだけど」
鼓動が激しすぎて、胸が痛い。
万が一のときはフェリクスを選択すると覚悟をしていたのに、今朝の私にはできなかった。
すっとムスタファが立ち上がった。
「行くぞ」
「どこに」
「お前の部屋。今すぐ選択しろ」
ゲームのウィンドウは私の部屋に出たままになっている。ここに来る前にも確認したから、まだあるだろう。でも。
腕を引っ張られるが、行きたくない。というか選択をしたくない。
「絶対に溺愛ルートなんて回避してみせる」
ムスタファは強い眼差しで私を見据えている。
「安心しろよ。俺は有言実行、ここぞというとき必ず決める第一のエース。よく知っているだろ?」
「……知っているよ」
「よし、行くぞ」
「私、ムスタファルートをプレイしたことがないの」
ん?とムスタファ。
「この先、どれがゲームの出来事か判別つかないし、正しい選択肢も分からない」
「そんなの問題じゃねえよ。木崎サマを信じろ」
行くぞと再び腕を引かれる。
「木崎」
「往生際が悪い」
「これ」と腕を持ち上げる。「こういうのがゲーム判定を狂わせているんじゃないかと思う。そうじゃなくても噂が立ってしまうし」
「……そうだな」
ムスタファは手を離してくれた。
「それと髪を終えてからにしよう。ムスタファには綺麗でいてほしい」
「……終わったら、行くからな」
「分かったよ」
ムスタファルートを選んでいいのか、不安しかないけれど。
でも。だけど。
木崎が溺愛ルートを回避すると言うのなら、絶対にそうするだろうという安心感はある。
ゲームの判定はおかしいけど、木崎ならもしかしたら数値を下げるぐらいのことをやってみせるかもしれない。
再び腰かけたムスタファの後頭部に向かって、
「目指せ、バッドエンドだね」
と言う。
「任せろ。最高の、最低な結末を迎えてみせる」
「頼んだ!」
月光のように美しい髪をすくい、櫛を入れた。




