28・3顔も見せない
フェリクスとのことを、また頭ごなしに批判されるのだろうか。
そう考えると気が重い。
ルーチェがいなくなって二日目。
ついでにレオンが旅立って四日目。あの大型犬がいないだけで毎日が静かになったと一抹の寂しさに感じていたのに、ルーチェまで。
そろそろルート選択だろうから、なりふり構わず気合いを入れてカールハインツに接しないといけないのだけど。
行きたくない気持ちを押し殺して、ムスタファ王子の部屋の前に立つ。開け放したままの扉から、ヨナスさんといつもの場所に座った王子が見えた。木崎みがないと、手の届かない雲の上の人に見える。
ヨナスさんが素早く私に気付き、お早うと声を掛けてきた。ムスタファは一瞥もしない。
回れ右をしたいけど仕事だからそうもいかず、侍女見習いらしく入室して挨拶をする。いつも通りに出て行こうとするヨナスさんに懸命に視線で、『行かないで!』と訴えたけど通じなかったようだ。
ふたりきりの室内に、重苦しい沈黙が降りる。
なんで木崎は喋らないのだ。
そのことにモヤモヤしたり、苛々したり。木崎に感情を乱されていることに腹が立ったり。
心の内がどんな風でも仕事は丁寧に。常にそう唱えていないと、手つきが雑になってしまいそうだった。
フェリクスのことどころか、一言も言葉を交わさないまま、髪の手入れは終了。道具を片付けていると、背後で
「あれじゃ四股五股と噂されても当然だな。腰を抱かれて、庭園デートじゃ」
と声がした。振り返るとムスタファは手入れの時と変わらないまま、こちらに背を向けて座っている。顔は見えない。
いくら軽薄だろうがフェリクスは賓客扱いで訪れている隣国の王子で、私はしがない侍女見習い。突き飛ばすなんて暴力行為はできないし、口で言って聞いてくれることもない。こんなこと何回も話してきたのに、また咎められる。
「いい加減しっかりしろ。男にだらしがない女にしか見えねえぞ」
「……木崎に迷惑はかけていない」
「は? 開き直んな。アドバイスしてやってるんだろ」
「ただ貶されているだけにしか聞こえない」
「事実を言っているだけだ」
ムスタファの声に明確な苛立ちがにじむ。
「見てて不快なんだよ。お前のは無神経で天然な男たらしでしかねえじゃん」
「……私に至らないところはあるかもしれない。だけど――」
ムスタファの、振り返りすらしない後頭部を見る。
「フェリクスは優しい。そんな刺々しい言葉は使わない。昨日はルーチェさんが突然辞めてしまって、私はものすごくショックだった。気を抜くと涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえてたんだよ。そんな私をフェリクスは気遣ってくれたの。嬉しかったよ。木崎は? 『ふうん』の一言だけじゃない」
「……」
木崎からの返事はない。
「ここ数日、カールハインツの攻略の邪魔にならないようにしてくれてるのは、助かっているよ。だけど――」
『だけど』なんだろう?
自分で話しておきながら、その先に何を言いたかったのかがわからなくなってしまった。
「――私のことは放っておいてくれるかな。ルート選択が近々にあると思うから、木崎の嫌味を聞いている場合じゃないの」
道具を片し終えると、侍女見習いらしく丁寧に挨拶をしてムスタファの部屋を出た。
何だかすごく、泣きそうだ。
◇◇
今日のカールハインツ隊は夜勤明けで、午前中に退勤する。私はムスタファの部屋を辞したら、こっそり仕事を抜け出して彼に会いに行こうかと考えていた。
でも、やめにした。
……さぼるような侍女見習いをカールハインツは好きではないだろうし。
しょんぼり気分で廊下を歩いていると背後から小走りする足音が聞こえ、
「マリエット!」
と呼び掛けられた。ヨナスさんだった。
ちょっとこちらにと、ひとけのない部屋に連れて行かれる。
扉は閉めず、だけどそこから最も遠い窓際まで進んだ。
相対したヨナスさんは困り顔だ。
「……何でしょう」
「ムスタファ様はこのところ、ずっと苛立っている。君が隊長たちと街へ行く前から。理由を私に話してはくれない。というか、そんなことはないとかわされてしまう」
……だったら、何だと言うのだ。私に辛辣なのは、八つ当たり?
「温室の話は聞いたか」
温室?
いいえと答えると、ヨナスさんはやっぱりと呟いた。
「君の『物語』。もしかして今は大事な局面にあったりするだろうか」
「ええ。どうして分かったのですか」
「勘」
「はあ」
よく分からない。
「それはどんな局面だ?」
ヨナスさんは真剣な表情だ。
「彼は関係ないですよ、ご心配なさらないで」
安心してもらおうと、柔らかい口調になるように告げたけれど、彼は表情を変えずに、
「君は」と尋ねた。
「何も危なくないです」
「そうじゃない。教えてくれ」
ヨナスさんにも関係ないでしょうと思いはしたけど、あまりに真剣なのでどう説明すればよいかをしばらく考えて。
「私と誰との恋愛物語が進むのか、という岐路です」
そう答えた。
「なるほど」ヨナスさんは得心したようだ。「ムスタファ様は『関係ない』のだな。ありがとう、マリエット」
「はい」
「シュヴァルツ隊長との物語を望んでいるのだろう?」
「そうなるといいのですが」
「結果が出たら、教えてくれるか。温室の件も関わってくる」
「それは何なのですか?」
「私の口からは言えない。悪い話ではない」
ヨナスさんがぐいと顔を私の耳元に近づけた。
「『探す』関連」
低い声でそう囁かれる。『探す』が強調されていた。もしやファディーラ様の件か。
「分かりました」と答える。
それとルート選択にどんな関連があるのかは分からないけど。
「引き留めて悪かった」
普段のヨナスさんに戻った。話はおしまいらしい。
一礼して去ろうとしたら、
「ムスタファ様の態度。腹が立つだろうが、許してあげてくれ。本来の彼は君のことを案じる優しさがある。知っているだろう?」
と言った。
「……分かっています。だけど私もそこまで寛容ではないのです」
今度こそ頭を下げて、ヨナスさんの元を離れた。
何で苛立っているのかは知らないけれど、私だってカールハインツのことでいっぱいで、余裕がないのだ。キツいことを言われても慈愛で返す、なんて不可能。
部屋を出ようとして、ふと思いつきヨナスさんを見た。
「彼の女性の好みを知っていますか?」
え、と意表を突かれた顔をするヨナスさん。
「可愛いしたたかな人です」
「なんだそれは?」
「狙った男性と恋仲になるために上手く可愛い女性を演じられる、計算高いタイプがいいらしいです。実際にそんな女の子と付き合っていたし」
「……」
「そんな令嬢に癒してもらえばいいんじゃないですかね。探してあげて下さい」
では、と部屋を出て廊下をずんずん歩く。
……私。何を言っているのだろう。
八つ当たりされているからって、ヨナスさんにまで八つ当たりで返すなんて。格好悪すぎじゃない。
◇◇
鳥の鳴き声がする。まだ部屋に朝日は差していない。ほんのり薄明るい程度だ。
いつもより早い時間に目が覚めてしまった。寝付くのは遅かったのに。
――仕事に行きたくない。
昨日のことがあるから、木崎に会いたくない。あの重苦しい空気も嫌だ。
うっかり二度寝でもしてしまいたい。
目をつむり、羊を数えてみる。
バカ木崎。さっさと可愛い婚約者でも作って、苛立ちを受け止めてもらえばいいのだ。いくら私が言いやすいからって、八つ当たりするな。人の恋愛に口出しするヒマがあるなら、間宮さんみたいなゆるふわ系を必死に探せばいいじゃないか。
ああ、ダメだ。また生産性のない思考に陥っている。
寝るのだ。二度寝してやるのだ。
ぎゅっとつむった瞼の奥が、力みすぎてチカチカする。
と。どこからか音楽が聞こえてきた。乙女ゲームの曲だ。まさか。
目を開け起き上がる。強くつむっていたせいで視界がぼやけている。
瞬きを繰り返しようやくクリアになると、目の前には各攻略対象のウィンドウが開いていた。
『あなたは誰と恋をする?』
そんな言葉と共に。




