28・2突然の別れ②
派手な赤毛の青年を前にして、
「ええと」と戸惑い顔のカルラ。
「フェリクスですよ、姫。隣国の第五王子、留学生」
「そうだわ!」と姫。「バルナバスお兄さまのお友だち」
笑みを浮かべた軽薄王子は恭しい態度で腰を折った。
「ムスタファお兄さまとも友達ですよ。楽しそうな追いかけっこでしたね。ここまで捕まらずに逃げ切るとは、なかなかに素晴らしい」
とたんにカルラの顔が輝く。
「そうでしょう! カルラは走るのが得意なのよ。マリーにお花を見せてあげたかったの」
「お優しい。私も一緒に拝見したいのですが、いかがでしょう」
「いいわ」
カルラはせがんで乳母に抱っこをしてもらうと、花ばなを指差し、
「これはカルラのラベンダー。あれはヒナギク、ジキタリス」
と誇らしげに名前をあげる。
「お母さまに教えてもらったのよ。だからカルラはシュヴァに教えてあげているの。シュヴァはね、何回教えてもすぐに忘れてしまうから」
「フェリクスは一度で覚えてみせましょう」
二十一歳の青年と五歳の幼女は会話が弾んでいる。どんな年齢が相手でも談笑できるのは、さすがだ。
「マリー、聞いている?」
とカルラが私を見る。
「聞いておりますよ」
「王子と王女に挟まれて気後れしているのでしょう。気にせずおいで」
とフェリクスが私の腰に手を回した。
「だめ」とカルラ。「マリーはムスタファお兄さまのコイビトなのよ」
「違います。パウリーネ様は誤解なさっているのです」訂正する私。
「そうなの。それならフェル王子、マリーをよろしくね」
「畏まりました、姫」
わざとらしい恭しさで礼をして、再び私の腰に腕を回すフェリクス。
「下手を打ったね」と囁いてくる。
「やめて下さい」とこちらも小声で抗議する。
「傷心の君を慰めたいのだよ」とフェリクスが通常の声で言う。
「マリー、やっぱり元気がないの?」カルラが心配げな顔になる。
「元気ですよ」
「彼女の友人が侍女を退職して、城を出て行ったのです。淋しくて消沈していますね」
「それならカルラがたくさん遊んであげるから、元気を出して!」
カルラの可愛さにほっこりする。
彼女の案内で楽しく散策したいのに、フェリクスが離してくれない。手をつねってやろうとしたけど、先んじて腕は捕られてしまった。余計に密着してしまうので諦めた。
「シュヴァルツ隊長に見られたくないから、お願いします」と頼んでみたら
「ムスタファと言ったなら離してあげたけどね」と返された。
意味不明だ。
王子と私のそんな静かな攻防を、侍女ふたりは気がついているのに知らないふりをしている。
美しい庭園を全然楽しめない。せっかくカルラが私を癒してくれようとしたのに。
ここはもう、王女の面前だからとか、相手は王子だからと遠慮をしている場合ではない。
足を止めると、
「カルラ様。失礼を致します」
と断りを入れてから、チャラ王子を見た。
「フェリクス殿下!」
「あ、ムスタファお兄さま!」
私が呼び掛けるのと同時にカルラが声を上げた。
「お兄さまもお花を見に来たの!」
ぴょんと乳母の腕の中から飛び降りてカルラが駆けて行った先に、ムスタファとヨナスさんがいた。
「そう」
と木崎みゼロ、冷たい美貌を崩すことなくムスタファが言う。
「姫様がまた激しい追いかけっこをしていると聞いて、様子が気になったようですよ」
ヨナスさんが笑顔で補足する。
「そうなの。カルラは追いかけっこが得意だもの。捕まらないんだから!」
兄妹が会話をしている隙に、再び小声で
離して下さいとフェリクスに頼む。だけどチャラ王子は
「よく聞こえない」
と顔を寄せてきた。
こんなの、また木崎にバカにされる。
突き飛ばそうか。それしかないか。
ぐっと力を込めた瞬間、
「分かったよ」
その言葉と共に、ようやく解放される。
「では皆で楽しく散策としよう」
フェリクスは胡散臭い笑顔でそう言って、ムスタファの元へ行く。
「良いとこで邪魔が入ってしまった」との軽薄な声がしたが、ムスタファの返事は聞こえなかった。
代わりに冷たい視線が私に向けられる。
だって、と言い訳をしたい。
私も離してもらえるよう、努力はしたのだ。だけどダメだったのだ。
ムスタファはすぐに妹を見て、せがまれるままに抱き上げた。
嬉しそうに花の話をするカルラ。
屈託のない妹に、兄の顔が柔らかくなった。
◇◇
その日の夕方、カールハインツに廊下で偶然出会った。先日外出でお世話になったばかりだからルーチェが退職したことを伝え、ついでにレオンの話をして、なんとか好感度が上がらないかと考えていると、またフェリクスに会ってしまった。今度はツェルナーさんも一緒だ。
「やあ、マリエット。昼間ぶり」
するりと腰に回る手。
「つねったら、もっと際どいことをするから覚悟をするように」
それからチャラ王子はカールハインツを見て、
「彼女はもらってゆくよ」と言って、見かけによらない力で私を無理やり引き寄せ歩く。
「やめて下さい。まだ話が――」
「私と話そう」
「いい加減、怒りますよ。嫌だと言っているじゃないですか」
「君が彼を諦めるなら、やめると約束しよう」
「理不尽だわ」
「私からすれば彼が君に好かれていることが理不尽だ。私のほうが余程まともな男だぞ」
どうでしょう、とツェルナーさんの呟きが聞こえた。
フェリクスがぐいと顔を寄せる。反対側にのけ反るが更に寄って来て、
「それでルーチェのことは何か分かったかい?」
と囁かれた。
顔を見ると、軽薄さはない。
「……いいえ。何も」
「私もだ」
密偵仲間がいて情報通のフェリクス。彼でも分からないのか。
というか本当に気に掛けてくれていたのか。庭園でのセリフはその場限りのものだと思っていた。
今朝、木崎に話したときは『残念だな』の一言で終わりだった。
「もう少し探ってみる。私には城に戻すことはできないが、何かしら力になることならば出来るだろう」
更に囁かれる言葉。
チャラ王子を見ると、穏やかな表情だった。信頼できそうな。
「ありがとうございます」と小声で返す。
「それじゃ、私の部屋に遊びにおいで」突然、普通の声に戻るフェリクス。
「お断りします」
「仕方ない。ではまた」
あっさりと彼は離れて、ツェルナーさんと共に去って行く。もしや昼間もこの話をしたかったのだろうか?
いや、まさか。侍女や乳母がすぐそばにいた。あれはきっと下心。
こういう時は、いつもならルーチェに愚痴った。もう会えないのだろうか。
彼女は私の初めての友達なのに。
◇◇
侍女の食堂で夕食をひとり、もそもそと食べる。近頃は意地悪するメンバーは決まっていて、他の人とは距離があるけど当たり障りのない関係。見習いになったばかりの頃に比べれば、平和な状況だ。
先日、『足りないからおかわり!』と言ってみたら、すかさずロッテンブルクさんが、
「マリエットは沢山食べなさい。王宮が食事を与えていないと誤解されたら困ります」
と言ってくれたので、私だけ量が少ないとかパンが消えるとかはなくなった。
あの時はルーチェさんが吹き出して笑ってくれたの。
嫌な雰囲気の中での食事より、今のほうが余程……。
私の前の空席に誰かが座った。目を上げると、あまり話したことのない静かな印象の侍女だった。年は二十代半ばくらいだろうか。彼女には意地悪をされたことはない。
「これをあげるわ」
彼女はそう言って、デザートのアップルパイを私の前に置いた。
「淋しいだろうけど、元気を出して」
それじゃ、と彼女はすぐに立ち上がり去って行った。
それからカルラの専属侍女ふたりが来て、彼女たちもアップルパイを置いて行った。
私を案じてくれる人は結構いたらしい。
鼻がずびずびとうるさかったけど、もらったパイはことのほか美味しかった。




