28・1突然の別れ①
カールハインツからもらったお守りはなくなってしまった。翌日ヨナスさんとふたりで、ムスタファの部屋を刑事ドラマの鑑識かというくらい詳細かつ丁寧に探したけど、みつからなかった。
多分寝ているときに服の間から落ちて、メイドが気がつかずにシーツと一緒に持って行ってしまったのでは、ということだった。だけどメイドたちも見かけていないという。洗い物は沢山あるから、どこかに紛れてしまったのだろう。
ムスタファ王子の恐らく寝室で紛失したお守りが私のものだと知られるのはさすがに嫌なので、カールハインツには伝えていない。『カルラ姫とお揃い』というところがポイントだったから、ヨナスさんがこっそり新しいものをもらってきてくれた。
推しにもらったものを失くすなんて、我ながら信じられない間抜けさだ。悔しいやら悲しいやら。こんな風では好感度が上がるはずがない。
一方で木崎もずっと態度が微妙だ。不機嫌、というのではないけど口数が明らかに少なくて、軽口もない。
私の孤児院にお金の件で行ったときも、そう。往復の馬車の中は沈黙続き、院長たちとの面会も必要事項しか話さず瞬く間に終了。院内を見学したけど、案内は職員。質問も全て職員に。『私、いますよ、見えてます?』と聞きたくなるほどの態度だった。
月の王と讃えられる美貌のムスタファが王子然としていると、近寄りがたく冷淡な雰囲気がある。だから院長は、私があまり良くない状況に陥っているのではと勘違いな心配をしたぐらいだ。
そりゃ、言動を考えてとは言ったけど。極端すぎる。
……いや、私がわがままなのだ。木崎なりに考えてのことなのだろう。
「もうそろそろ、ルート選択だろ。ちゃんと攻略してるのか」
一度だけ、木崎にそう尋ねられたから。
やりにくい、と私が思うのがお門違いなのだ。
◇◇
夕食の席にルーチェがいなかった。
そのまま会うことはなく仕事を終えて自室に戻り、どうしたのだろうと思っていたら彼女が部屋にやって来た。
泣きそうな顔をしている。
「今日付けで退職したの。明日にはここを出るわ」
震える声で告げられたことに耳を疑った。
「どうして! 何故急に!」
昼食の席で会ったときには、そんな様子はなかった。
「……実家の都合」
彼女の声はますます震え、目にはみるみる涙が溜まった。
ぎゅっと抱き締められる。
「ごめんねマリエット。私、あなたが好きよ。仲良くなれて楽しかった」
「ルーチェさん!」
「荷造りが大変だから、服はあなたにあげる。使ってね」
「そんな。本当に明日?」
ルーチェは無言でうなずく。
「ミサンガ、大事にするから。マリエットは素敵な侍女になってね。あなたならなれるわ。王子妃もいいと思う。トイファー夫人も……似合いよね。彼が帰ってきたら、さよならと言っていたと伝えてね」
「きっと淋しがります」
「ありがとう」
それから彼女はわんわん泣いた。自分の意志での退職でないにしても、ちょっと激しすぎるのではというほどだった。余程のことがあったのかもしれない。
「手紙を書きます」
「……私は返事を書けないかもしれない」
「それでも送ります」
「……楽しみにしてるわ」
ひとしきりルーチェは泣いて少し落ち着くと、べそべそしながらも私に譲ってくれる服を運びこみ、最後に
「お休み。ごめんね」
と言った。
次の日の朝食に彼女は現れず、ロッテンブルクさんがルーチェは退職して早朝に発ったとみなに知らせた。侍女頭も急なことに驚いていて、どんな事情によるものかは全く分からないとのことだった。
侍女たちは彼女が何かやらかしたに違いないと、根拠のない噂話に興じている。
何がなんだか分からないまま、ルーチェはいなくなってしまった。
◇◇
侍女がひとり辞めても仕事は何も変わらない。今日はカルラと遊ぶ日で、最初はいつものように剣術ごっこをしていたのだけど、彼女が突然マリーと散歩に行くと駄々をこねた。
乳母や侍女たちが『では近衛を呼んで』なんて言っている間にカルラは駆け出し部屋から逃走。
慌てて追おうとした私を引き留めた乳母はため息まじりに、
「多分、あなたのせい」と言った。「意外でしょうけどカルラ様は人をよく見ているの。だから侍女の好き嫌いが激しいのよ。今日のあなたは元気がないと、カルラ様は気づいてる。楽しくなってほしくて散歩をしたいと言ったのだと思うわ」
「すみません、いつも通りにしているつもりなのですが」
「……ルーチェはたったひとりの友達だったものね」
乳母はぽんぽんと私の背を叩いた。優しい手つきだった。
「さあ、追いましょう」
先に出た侍女の後ろ姿を追う。
カルラと乳母の優しさに泣きそうだ。
廊下を駆ける私たちを見て、すれ違う人びとがカルラの去った方向を教えてくれる。
小さいのに足が早いので、すぐに見失ってしまう。
もうすぐ外に出る、という間際で侍女が彼女を捕まえて抱き上げた。じたばたと暴れるカルラ。
「イヤよ! 今日はマリーに捕まりたいの!」
侍女が私を見る。はあっとため息をついたかと思うと、彼女を下ろした。脱兎のごとく駆け出す王女。
「任せるわ」と侍女。
ありがとうございますと答えて私も走り出す。案外みんな良い人だ。
外に飛び出し、障害物競走でもしているかのように植木の下をくぐり、階段を飛び降り、噴水のへりに上るカルラ。あちこちを走り回り、私の手に捕まりそうになると
「まだダメ!」
と叫ぶ。
これでは散歩でなくて鬼ごっこだ。段々と追いかけることが楽しくなってきた。
それでもやがてやんちゃ姫の速度は落ちて、私に捕らえられた。
「捕まっちゃった!」
と言うカルラは息が上がっているけど、満面の笑みだ。
「マリーにこれを見せたかったの」
カルラが指差す。
ここは庭園の中の一隅で花の園と呼ばれている場所だ。人工的に整えられた他の庭園とは違って、イングリッシュガーデン風に多種雑多な花々が入り乱れ咲いている。中央にある噴水もわざと風化したように加工がしてあり、趣がある。
年長の王女たちもここは好きで散歩コースには必ず入っているのだけど、私はじっくり見たことがなかった。
「素敵な場所ですね」
「こっちよ、マリー!」
カルラのもみじのような手が私の手を握りしめて引っ張る。
「これ!」と彼女が示したのは、ラベンダーだった。「カルラがお母さまと植えたの。咲いたらシュヴァにあげようと思っていたけど、ここにあるほうが可愛いから、あげないで見てもらったの。マリーにも見せてあげる」
キラキラの瞳で私を見上げるやんちゃ姫。
しゃがんで視線を合わせる。
「マリエットは幸せ者です」そう言ってカルラの頭を撫でなでする。「カルラ様のお花、見させていただきますね」
「うん!」
なんてことのないラベンダーだけど、
「これほど素晴らしいお花は他にありませんね」
「うん! マリー、元気になった?」
「なりましたよ」
カルラは嬉しそうに笑う。
背後に気配を感じて振り返ると、息を切らせた乳母と侍女たちが追い付いたところだった。
「じゃあ、みんなで散歩ね」 とカルラ。
苦笑を浮かべる乳母たち。
と、ふわふわと揺れる赤いものが目に入った。
「楽しそうだ。姫、私もご一緒させていただけるでしょうか」
そんな声と共に、庭園の入り口である白蔓薔薇のアーチをフェリクスがくぐってやって来た。ひとりだ。




