27・〔幕間〕従者は見抜く
従者ヨナスのお話です。
「行かなくてよいのか」
マリエットを抱えて寝室に消えたムスタファ様を視線で追っていたフェリクス王子が、尋ねてきた。
「野暮ではありませんから」
澄まして答える。
「あなたの質問が野暮です」
ツェルナーが主に辛辣な目を向ける。
「分かりやすくて可愛いではないか。ムスタファは」
先程までの感動は泡と消え、普段の様子に戻ったフェリクス王子が悪い顔をして笑う。
「近衛の青年、バルナバス、シュヴァルツときて、ようやくだ」
彼はマリエットを抱きかかえて運んだ人間を言いたいようだ。
確かにそれもあるだろう。
マリエットがふわふわな髪型を直してしまったことも、フェリクス王子の流し目に彼女が赤面したことも、シュヴァルツ隊長にお守りをもらっていたことも、全て気に食わないに違いない。
だけど一番は、媚薬のせいだ。
マリエットに渡して隊長に食べさせようと考えたのは事実だろう。だけどそれだけではない。きっと、彼女に食べさせたい下心もあったのだ。
だから私にもはっきり説明をしておかなかった。
多分ムスタファ様も、己に差した魔を分かっている。
尋ねたところで認めはしないだろうけど。
マリエットに関してだけは、あの人の思考が理解できない。
「あなたは慎みなさい」ツェルナーがまたも主を諌める。「どこから見ても望みはないのだから、きっぱり諦める。ちょっかいを出さない」
「主に対して厳しすぎるぞ」
「厳しい駄目出しをしなくて済む主になって下されば、問題解決です」
フェリクス王子が私を見て肩を竦める。
このふたりは知れば知るほどやり取りがおかしい。彼らなりの信頼関係があるのだろう。
異国の主従の実のない会話を聞くとはなしに聞いていると、ムスタファ様が戻ってきた。
「マリエットは大丈夫そうですか」
「もう寝た。余程キツかったんだな」
そう答えるムスタファ様の口元が僅かに弛んでいる。これは良いことがあったらしい。
足取りは軽やかで、キザキ味増し増しで長椅子に腰かける。
「廊下側の扉には鍵をかけた。この後の外出は、ヨナスはここに残ってくれ」
「それは君が困るだろう」軽薄王子が軽薄な表情で言う。「案ずるな、私がここで留守を預かろう」
「飢えた犬の前に骨付き肉を置くようなものです」
ぴしゃりとツェルナー。
「……今日のお前は一段と容赦がないな」
そうフェリクス王子が言うと、ツェルナーはばつが悪そうな表情をした。
「申し訳ありません。私も肩の荷が下りて、浮かれているようです」
「それなら大いに浮かれるといい」
「実家への影響が心配だが」とムスタファ様が言う。
「仕方ありません。父が私を人身御供にしたことが悪かったのです。諦めてもらいましょう」
そう従者が言えば、主が
「人身御供は酷くないか」と返す。
「いえ、殿下に仕えることではありません。我が家は色々とありましたから」
ああ、と頷くフェリクス。
ツェルナーの実家は訳ありで、ゆえに密偵王子の従者になることを断れなかった、というところだろうか。詮索するつもりはないが。
「そうだ」
とムスタファ様が立ち上がり、小皿にパンやフルーツを盛る。それから飲み物を片手に、
「目覚めたら必要だろう」
と寝室に向かった。
「甲斐甲斐しい王子だ」とフェリクス王子。
「大事な『仲間』ですから」と私。
「いつまでそう嘯いているつもりなのだか」
「本気で自覚がないのかと思うことが時々あります」
「あれでか!」
「マリエットも分かっていませんしね」
「やはり私にもチャンスはあるな」フェリクス王子がにやりとする。「もっと攻めよう」
「やめなさい」とツェルナー。
折よく戻ってきたムスタファ様が、話が聞こえていたのだろう、険しい目で恋敵を見ている。
「あいつは困っているぞ」
「いや、もうひと押しだ」とフェリクス王子。「だが分が悪いな。王妃が媚薬まで持ち出して義理の息子と恋仲にするよう企むのでは」
と、グラスに伸ばしかけていた手を止めて、ムスタファ様は何やら考えている。
「どうかしました」
私の問いかけに、ムスタファ様は目を上げる。
「チョコを押し付けてきたときパウリーネは、宮本が私を異性として意識していないと分かっていた」
「おかしいですね。彼女は散々、あなた方は恋仲だと周りに吹聴している」
「そう。人の話を聞かないお花畑な頭なのだと思っていたが、違うと分かった上でのことだったのだ」
「彼女の内面は見た目のような呑気者ではないぞ。ああ見えて強欲で強かだ」フェリクス王子が言う。
「先程オーギュストの見立てを話していたな」
頷くフェリクス王子。
「私も同じ考えだ。バルナバスは近頃異母兄の評価が上がっていることに焦燥している。そんな兄が身元不確かな侍女と結婚すると言い出してくれれば評判は下がり、大助かり。実際に結婚すれば次期国王夫妻に相応しくないと主張できる。息子好きなパウリーネも当然同じ考えのはず」
ムスタファ様が私を見る。
「あり得るか」
「あり得るでしょう」
実際のマリエットは王族の血筋だ。確たる証拠はないようだが、先代エルノー公爵が出生届や関係者の証言程度は揃えているらしい。このことが彼女たちに知られたら、ややこしいことになりそうだ。
「王妃には注意するのだぞ」とフェリクス王子。
そうする、とムスタファ様も素直に頷く。
「ムスタファは信頼できる者がヨナスとマリエットのみとのことだが、オーギュストをお薦めする。同世代の中なら最も良識派だ。今日の会合でも一緒になるのではないか?」
「ああ。彼には公的な部分で力を借りたいと思っている」
ムスタファ様は午後、有識者による経済会議に参加する。それにオーギュスト・エルノーも出席するよう、彼が依頼した。
どう考えてもムスタファ様はキャパオーバーなのだ。任せられるものは頼ったほうが良いし、幸いにして信用できそうな者もみつかった。
「それがいい」
と賛同したフェリクス王子がエルノー親子の人物像を話す。それから彼らに関係する有益な人達について。
その内容も分析力も、今までの軽薄な人間との印象を覆すものだった。ムスタファ様も感心した様子で相槌を打っている。
「しかしあの近衛、トイファーも親しいのではないか? 何故仲間に名前を上げない。嫉妬か」
ニヤリとした顔で問う軽薄王子。先程の評価を自ら地に落としたいのだろうか。
「レオンは信用している。だが近衛だ」
「そうだなシュヴァルツに心酔しているようだし」
ふむふむと頷くフェリクス王子。聡いのだろう、万が一討伐となったときのムスタファ様の危惧を分かっているようだ。
「そうだ、友として忠告するが、マリエットにシュヴァルツは絶対に良くない。彼は伯爵家を継ぐ身だからいずれは結婚せねばならない。その時にお飾りの妻に選ばれてみろ。マリエットには地獄だ。彼女が大切な『仲間』だと言うなら、目を覚ましてやるのも仲間として必要なことだろう?」
「……伝えておく」
消極的な返事にフェリクス王子は肩をすくめ、
「やはり私に惚れてもらうしかないな」
と言い、今回はツェルナーは諌めなかった。
「それより、母が捕らえられていた場所の候補はどこだ」
ムスタファ様が尋ねる。私も気になっていたのだ。
「あくまでそれが城内だった場合の候補だが、うちの密偵の歴史によれば城外の可能性は低い」とフェリクス王子。「昔から怪しまれているのは、魔族の……君の母君が連れ去られた年代に既にあった建物部分だ。特に礼拝堂が最有力候補だ」
礼拝堂か。ムスタファ様が幼少期にお気に入りの場所だったらしい。確かにあそこは他と違う雰囲気がある。
「候補ではないが、不審なのはパウリーネの温室。常に魔法による施錠がしてあり、彼女と専属庭師以外が入るには、その都度魔術師に解錠させなければならない。若返りの元になる植物を育てているからのようだが、それにしても厳重すぎる」
「だから入りたがったのか」
そう、とフェリクス王子。
以前彼がマリエットの怪我を治したときに、彼はそれを要求した。
「私でも解錠はできるが、解錠した者が誰か分かるような術も掛けられていてな」
「確かに厳重すぎるな」
「一度中を確認したいのだ。入ったことのある夫人たちの話では、珍しい植物が多くあるだけで、特段変わったところはないそうだがな」
何やら考えこんだムスタファ様。しばらくして。
「私がマリエットとふたりきりでデートを楽しみたいと頼んだら、パウリーネはどう出るだろう」
「逆手に取るのか」ニヤリとするフェリクス王子。「やってみてくれ」
「すぐには難しいかもしれない。彼女と相談する」
「急がないさ」
フェリクス王子は私に意味ありげな笑みを向けた。
何を言いたいのかは不明だが、面白くなったと考えているのかもしれない。でなければ私に、しっかり煽れよと念押ししたいのか。
この人はムスタファ様とマリエットを恋仲にしたいのか、何なのか。自分だって彼女に夢中だと公言しているのに。
もしかしたらフェリクス王子は、単なるお人好しなのかもしれない。




