27・3ふたりの王子
「フェリクス。私はお前を信じる」ムスタファは静かに、だけれど力強い声音で言った。「頼みがある。父王を裏切り、私を助けてほしい」
「ムスタファ様!?」
ヨナスは驚きの声を上げ、フェリクスは虚を衝かれたような顔で瞬いた。
「私は」とムスタファ。「自身のこと、彼女のこと、国民のことと、やらねばならないことが多くある。だがひとりでこなせることではないし、信頼できる仲間もヨナスと彼女しかいない。フェリクスが力を貸してくれれば大いに助かる。だがそれはお前に父王を裏切らせることになるし、それに対して私が対処できることは何もない。お前の善意を私が一方的に享受するだけだ。それでも、仲間になってほしいと頼みたい」
「……なるほど」フェリクスは呟き、うつむいた。「なるほど、なるほど」
「殿下?」
ツェルナーが主の顔を覗きこむ。
しばらくして顔を上げたチャラ王子は、
「私という存在を、父に搾取されるかムスタファに搾取されるかということならば、私は喜んで君の手を取ろう」
晴れ晴れとした顔でそう言って、右手を差し出した。光の加減だろうか、その目が潤んでいるように見える。
「心の底から感謝する」
ムスタファがフェリクスの手を取り、ふたりは固く握手した。
木崎に信頼できる友人が増えた。素直に嬉しい。ヨナスさんもそんな表情だ。
「それで私に何をさせたいのだ」とフェリクス。
「お前たちが探している魔族の王は、私の母だ」
突然の告白。
「ムスタファ様!」ヨナスが椅子から飛び上がる。
それを木崎は片手で制した。
「私はフェリクスとツェルナーを信用すると決めたのだ」
一方で異国の主従はポカンとしている。
「魔族の王はもういない。だがその血を受け継ぐ私ならいる。連れて帰国すれば、お前は父王に認められるかもしれない」とムスタファ。
毅然とした横顔は自信に満ち溢れて美しかった。フェリクスが柔らかな笑みを浮かべる。
「私は君の手を取った。翻意はしない。だから『裏切り』か」
うなずくムスタファ。
「他言せぬと誓おう」そう言ったフェリクスは傍らの従者を見た。
「私も誓いましょう」とツェルナー。
「私も母のことを知ったのはつい最近、偶然にだ。数百年前に人間に捕まった母が何故突然現れ父と結婚したのか、どこにいたのか、何一つ分からない。だが少しでも多くの事実を知りたい。私の生死に関わる」
「生死?」
「人間ならざるモノとして討伐される可能性がある」
フェリクスは推し量るようにムスタファを見つめ、だけれど口にした言葉は
「そうか」の一言だった。
「対策を幾つか検討していたのだが」とムスタファは一度ヨナスさんを見た。きっとふたりで話し合っていたのだろう。「それをやってもらいたい」
「具体的には」
「ひとつは伝説と歴史のすり合わせだ。実際に母が連れてこられた年代の国史を見れば分かることがあるかもしれない」
「留学先の歴史くらい頭に入っている」とフェリクス。「だがより深く学ぶのも、留学生らしくて良いだろう」
それから、とムスタファはどんどん話を進めた。
ファディーラ様が捕らわれていた場所を探すこと。フェリクス側も捜索していたなら、絞りこめるはず。
それから魔法府に保管されていない、恐らくは王族が秘密裏に所蔵しているだろう攻撃関係の魔法書を見つけること。
話を聞いたフェリクスは腕を組んで椅子の背にもたれた。
「こちらの王族は魔族の王を捕らえていることを忘れ去っている、と私は習った。そこはどう思う」
「分からないが、知っている人間は確実にいる。私はフーラウムではないかと考えている。母を城に連れてきたのは、彼のようだ」
ふむ、とフェリクス。「それから王族が秘匿している魔法書。存在するとしても、これも忘れ去られているだろう。正しく伝わっているなら、バルナバスがあれほど研究を重ねる必要がないはずだ。彼は自分の魔力量に合った強い術にするため、基本書を元に自ら改良している」
そうか、と考えこむムスタファ。
フェリクスの説を採ると、ムスタファの魔力をフーラウムが封印した説が崩れる。
「まあ良い、任せろ。今までやる気はなかったが、怪しい場所は幾つか分かっている」
「そうなのか」とムスタファ。
「この城は増改築をしているからな。うちの代々の密偵は探し当てられなかったが、私が見つけてみせよう」
「やはりやる気はなかったのですか……」ツェルナーが呆れ口調で呟く。
「巻き込まれたお前は気の毒だと思うが――」
「あなたも巻き込まれているでしょう」
主の言葉を遮った従者を、フェリクスは見開いた目で見た。
「自分の意志で魔族の王を探しに来たのではないのですから」ツェルナーは重ねて言い、「だから自分の意志で剣に政治にと全力を注ぎ始めたムスタファ殿下に、惹かれたのでしょう?」
「……そうなのか?」
「そうですよ」
フェリクスがムスタファを見る。
「だそうだ!」
「お前に絡まれて迷惑をしていたがな」
声を上げて笑うフェリクス。
「すぐに私に感謝するようになる。私自身有能で役に立つし、何より人脈もある。ついでに密偵活動のおかげで、付き合いを控えるべき人間も分かるぞ」
それから彼は私を見て笑みを浮かべた。
「これからは仲間だ。警戒は解いてくれるな」
「それとこれは別だ」すかさず答えたのは木崎だ。「お前の女グセは信用できない」
「人聞きの悪い。改めてよろしく、マリエット」
チャラい王子が笑みを浮かべる。いつもの軽薄なものではなく匂いたつような色気がある。まさかこれが、ゲームにおける女たらし枠である彼の、本領だろうか。
不覚にもトキメキながら、ぺこりと頭を下げる。
「なに赤面してるんだ、喪女が」
となりに座る男から小突かれる。さっきまでの悠然とした麗しき王子はどこに消えたのだ。
「ようやくマリエットの琴線に触れたかな」とフェリクスがいつもの軽薄口調で言えば、
「やめなさい」とツェルナーさんが諌める。
「取り敢えず、食事にしましょう」とヨナスさん。
卓上の昼食に誰も手をつけていない。
ムスタファがそうだなとうなずき、食事が始まった。
みんなで細かい話を打ち合わせている。私といえば体が重く、会話に加わる気力が湧かない。長い話の間、気を張っていたせいか怠さが増してしまった。リンゴのジュースをちびちび飲みながら、適当にうなずく。
「宮本」
ふと気づくと木崎のムスタファが私の顔を覗き見ていた。
「大丈夫か」
「うん」
「食べてない」
「食欲はないかな」両手で握りしめていたグラスを卓に置く。「でも大丈夫」
「本当にか?」とフェリクス。「あの手のものは摂取しただけでも体力を消費するぞ?」
もう一度、大丈夫と答えようとしたけどその前に抱き上げられた。ムスタファに。
デジャブか!
「大丈夫だってば」
「宮本が食べないなんて、おかしいだろうが」
木崎はそう言ってスタスタと続き部屋に向かう。
「休みだろ。ここで寝とけ」
王子の豪奢な寝台に、意外にも丁寧に下ろされる。
「こんなところを誰かに見つかったら――」
「鍵を掛けとくに決まってる」
「着替えが……」
「え、手伝ってほしいのか?」
バサリとコンフォーターを掛けられる。
「お休み」
ムスタファはくるりと背を向ける。
「……木崎」
「黙って寝てろって」
「そうじゃなくて」
もそもそと服の間に手を入れる。振り向いた彼にそれを差し出した。
「これ」
掌の上にはホタテのお守りがふたつ。
「何?」
「ひとつはカルラの。もうひとつは木崎の」
「……」
「騎士のお守りではちょっと意味合いが違うけど、万が一討伐なんてことになっても勝てるようにと思って」
ムスタファがまじまじと私を見ている。
「もしかして木崎は験担ぎはしないタイプ?」
「……いや。めちゃくちゃする。ありがとな」
「うん」
木崎はお守りをひとつ手にした。
「じゃあ、ベッドを借りるね」
残ったお守りを枕元に置き、瞼を閉じる。
「……あと、信頼できる人が増えて良かった……」
ふかふかの布団に重い体が沈みこんでいく。
額にひんやりとした手が触れ、優しく撫でられているような気がした。




