27・2フェリクスの秘密
熱は引いたけれど速い動悸はなかなか治まらなかったので、ヨナスさんが戻ってくるまで飲み物を飲みながら静かに待った。
実は気の回る木崎は、温かいほうがいいだろうとフェリクスに水を湯に変えさせて手ずからココアをいれてくれた。ちなみにこのココアはカルラ用に常備しているらしい。
ついでにムスタファの部屋を頻繁に訪ねる別の常連、お猫様が長椅子の下にいらっしゃった。ツェルナーさんが気付いた。猫の毛アレルギーなのだそうだ。今回は大切な話があり、くしゃみ連発になるとツラいだろうから、お猫様にはお帰りいただいた。
「それでデートはどうだったのだ」
フェリクスが珍しく落ち着いた表情で尋ねる。
「ただの買い物です。予定通りに済ませて終わりです」
「そうだ」と木崎が私を見た。「レオンは何か言っていたか。拝謁伺いが出ている」
「明日から家の用事で十日ほど休暇だって。隊長に正式な手順を踏めと言われて伺いを申請せざるをえなかったみたい」
「なんだ。余程のことかと思った」
ムスタファがほっとした顔をする。
「近衛君とは進展した?」とフェリクス。
いいえ、と答える。
実は別れ際、綾瀬に距離を詰められて耳に囁かれた。
「お願いだから、僕が戻るまで誰ともハピエンを迎えないで」と。
あんまり切なげな声だったので、
「まだその時期ではないから大丈夫」
と答えてしまった。こういうところが木崎の言う『気を持たせる』行動なのかもしれない。
だけどどんな返答だったら正解だったのだろう。
「これは何かあったな」
フェリクスの声に目を向ける。
「何もないです」
「君の『ない』という認識は、私たちの『ない』とは違うからな」そう言ったフェリクスは視線を転じた。「そういえばムスタファは時間は平気なのか。今日も予定が立て込んでいると聞いているが。私の話は長くなるぞ」
「皆でここで昼食にするか」とムスタファは言って私を見た。「まだ食べてないだろう?」
うなずく。だけど食欲はゼロだ。さっきの媚薬のせいで。
ツェルナーさんが侍従を呼んで、五人分の昼食をここに運ぶよう頼む。
「フルーツを多く」とムスタファが付け足す。
私の分かもしれない。悔しいけど木崎は伊達にモテてた訳じゃないと、今なら分かる。
「しんどいか?」と木崎。
「平気」
本当は体が重い。できれば背もたれに寄りかかりたい。だけど何やら落ち込んでいる様子の木崎の前で、そうはしたくなかった。
やがて大きな袋を抱えたヨナスさんが戻ってきて、その中身は私の下着類だった。続き部屋を借りて汗を拭き着替える。
こちらの部屋は寝室なのだが、サイドテーブルには分厚い本や書類が積まれ、隅には剣や縄跳び、ダンベルを模したものが置かれていた。
着替えを終えて元の部屋に戻ると、卓上には軽食が並べられ、傍らのワゴンにも山のように載っていた。
椅子に座るとムスタファが
「フェリクスの話を始めて平気か」と尋ねる。
ええと答えるとはす向かいに座った異国の王子は、
「君たちの仲の良さを見せつけるな」と柔らかな表情で言った。
「この人はこう見えて」とツェルナーさん。「ムスタファ殿下と友達になりたいし、マリエットのことは本気で好きなのです」
「お前の目的とやらをまずは聞かせてくれ」とムスタファ。
「荒唐無稽な話だ」とどこか諦観の表情のフェリクス。「私、というよりここ数十年の交換留学の目的は、バルシュミーデ一族が隠し持っている不死の妙薬の元を奪うことだ」
木崎と私、それからヨナスさんは驚き無言で顔を見合せた。
「遥かな昔に、人間を狩ることを楽しむ魔族というものが存在したらしい」
フェリクスがそう話すと、ヨナスさんがちらりとムスタファを見た。だがふたりとも何も言わない。
「その王を我が国の英雄が倒し、不死となった。どうしてなのかは分からないが、魔族の王によるものであることは確からしい」フェリクスはまるで信じていない顔で淡々と話す。
「やがて魔族も消えてその存在を人間たちが忘れた頃、英雄に関する碑が発掘され不死の伝説が明らかになった。人々は不死を望み、魔族の残党を探し始めた。そうして人間に隠れて生きていた新しい魔族の王をこの国の王子が発見し、魔力を奪い氷漬けにして国に連れ帰った」
『魔力を奪い』?
ヨナスさんの話では、ファディーラは氷漬けにされたことだけだった。
「だが彼らはどうやっても不死になる方法が分からなかった。魔族の王本人も知らないらしい。彼らはそれを知ろうと我が国に密偵を送りこんだりしたが、秘密が解き明かされることはなかった。
一方で我が国は、王を奪おうとこちらに密偵を送った。しかしどれだけ経っても魔族の王はみつからないし、不死になる者も現れない。この話を信じる人間はいなくなり、大使が形だけ密偵を兼ねるようになった。だが祖父は違った。より深くファイグリングの内部に潜り込めるよう、交換留学を始めたのだ」
ムスタファ、ヨナスさん、私の三人で再び顔を見合せた。
「馬鹿らしい話だろう?」とフェリクス。「だが祖父も父も魔族の王と不死の伝説を信じている。祖父なんて不死の英雄に会ったのだと強硬に主張していたらしくてな。私は魔力が高いことと五番目で使い道がない王子ということで、幼少期から密偵になることが決まっていて、その訓練を受けてきた」
悲しいことを、さらりと何でもない顔で言うチャラ王子。
「そのせいでひねくれてしまったようで、この性格です」ツェルナーが言う。「こんな王子の管理なんて出来ないと従者は皆逃げ出しました。私は引きこもりだったのに魔法に優れていたせいで陛下に目をつけられて、このとおりです」
「当然だろう。存在するとは思えない不死の妙薬の元を見つけない限り、私は帰国できない。ツェルナーも、だ。彼は日に一度母国に報告を入れている。実家の存続を盾に取られているから、役目は全うしなければならない」
そう言ったフェリクスの顔が翳った。
「もういいです。秘密を打ち明けたことがあちらに知られないよう、頑張りましょう」とツェルナー。
「無論、私たちは他言しない」
すかさずムスタファが言う。だけどフェリクスは首を横に振った。
「大使、他にも数人密偵はいる。ああ、そうだ」彼は私を見た。「ラードゥロもだ」
「自称泥棒の?」
そうとうなずく王子と従者。
「あいつは夜の城で、魔族の王が隠されていそうな場所を探す係だ。そのついでに王族の秘密も見つける。庭で密会している王子と侍女見習いなんかをな」
「そういうことか」とムスタファ。「お前がやけに情報通なのは……」
フェリクスはうなずいた。
「悪用はしていないぞ。城を追い出される訳にはいかないからな。こんな絵空事にしか思えない話をして、『だから信用してほしい』というのは虫のいい話だとは思う。だがこれが私の秘密で、事実なのだ」
普段は軽薄に見えるフェリクスが、淋しそうな顔をしている。
本当に信用してもらいたくて、だけど叶わないだろうと考えているのではないだろうか。
私はムスタファを見た。ヨナスさんも彼を見ている。
おまけ小話・媚薬チョコifバージョン
◇異国の王子と媚薬チョコ◇
(異国の王子フェリクスのお話です)
(寄せられたご感想を元にしています)
見た目は可愛い令嬢たちと別れてひとり、庭の小道を歩いていると、前方に緊張した面持ちのマリエットを見つけた。胸の前で何かを大事そうに持ち、視線の先には仕事終わりで副官と談笑するシュヴァルツの姿がある。
考えるまでもない。あの手の中のものをあの男に渡したいのだ。
忍び足でマリエットに近づくと、
「何をしているのだ?」
と声を掛けつつ、ひょいとその小さな肩を抱いた。
「ひっ!」と叫ぶマリエット。
カールハインツと副官が振り返るが、何事もなかったかのようにまた話に興じる。
可愛いマリエットはあからさまにがっくりする。
「それは何だ」
彼女の手の中には蓋つきの小さな器がある。それを取ると、中には一粒のチョコが入っていた。
「これを彼に?」
マリエットの口がへの字になる。
これは多分、いや絶対にムスタファと何かあってのことに違いない。
「ムスタファがこれを隊長に食べさせろと?」
マリエットの目が見開かれる。
「そのくらい誰でも分かる」
「……売り言葉をつい買ってしまって」しょんぼりした声。
あの馬鹿者は、何故こういうことをするのだろう。自分で自分を痛め付けることが好きなのだろうか。
「君からだなんて隊長にはもったいない」
チョコをひょいと取りパクリと食べる。
「ほら、これで渡すものはなくなってしまったから、ムスタファとの勝負は無効だ」
目を見張っている可愛いマリエットの額に口付ける。
――と。ドクリと心臓が大きく脈打った。
「……このチョコは何か入っているか?」
「普通のものと聞いてますけど。嫌いなものが入っていましたか?」
「……いや、珍しい味だよ。ではまた」
必死に笑顔を浮かべて、急いで彼女から離れる。
鼓動が早まり、良からぬ衝動が内から駆け上がってくる。
これは媚薬だ。
訓練を受けていたときに、耐性をつけるために摂取していたから分かる。だがこれの強さはあれらの比ではない。
マリエットのそばにいたら、何をしでかすか分からない。
垂れる脂汗を拭いながら、足早に城に入る。
「殿下」
声がしたかと思うと、腕を取られた。
「こちらに」
引っ張られて小部屋に押し入れられる。ツェルナーだった。
「水をもらって来ますから、それまで耐えて下さい」
首を振って答え、隅の椅子に転がりこんだ。
どれほど待ったのか、
「殿下」と耳慣れた声がした。
ようやく、だ。
ツェルナーが呪文を唱えて清めの水を作り、媚薬の効果を消し去ってくれる。
波が引くように、強い衝動は消え去った。
「全く。自業自得です。マリエットに無理やりちょっかいを出すから」
「良かったじゃないか、彼女が食べなくて」
ムスタファとの勝負に負けたくなくて、やけになった彼女が自分で食べていたら大変なことになっただろう。
「……主が愚かだと仕事が増えます」
従者が渋面になっている。
「助かった。ありがとう、ツェルナー」
「……美男が汗で台無しですよ」
出来る従者はハンカチを取り出して、顔の汗を拭ってくれる。
従者がツェルナーだから、安心して好き勝手ができるのだ。
と言ったら怒るだろうから、胸の内に留めておく。
大きく息を吐いて、されるがままに目を閉じた。
◇おまけのおまけ◇
(マリエットのお話です)
遠ざかるフェリクスの後ろ姿。
去り際の彼の表情が、どことなく焦っているように見えたのは気のせいかな。
「おい」
背後から声を掛けられて振り向くと、今度は我が国の第一王子だった。
少し前の、チョコとカールハインツに纏わるやり取りを思い出す。わざわざ様子を見に来たのだろうか。嫌なヤツだ。
「それ、返せ」とムスタファが手を出す。
「これ?」チョコの器を見る。
「中身が悪くなっているらしい」
「そうなの? もう……」
「食ったのか!?」
ムスタファの顔色が変わる。
「フェリクス殿下が。止める間もなくて。さっき」
彼が去った方を見る。
「だから変な反応だったのね。大丈夫かな」
「……フェリクスか」木崎はほっとしたように肩を落とした。「それなら問題ないだろ。どうせ普段と変わらない」
「どういうこと?」
「後で俺が謝る」
「というか、私がカールハインツに渡せていない前提で話してたよね?」
「実際に渡せてないじゃん」
ぐぬぬ。そうだけどさ。もう少し時間があったら渡していたかもしれないし!
ムスタファが私の手から器を取り上げ、途中で動きを止めた。それから額に触れる。
「……なんでこんなところにチョコがついているんだ」
「あ」
チョコを食べたあとのフェリクスにキスをされたっけ。
「あのタラシ、少しは懲りろ」
木崎はそう言って、ひとの額をごしごしと強く擦った。
不機嫌そうに見えるのは、きっと気のせいだ。




