25・3気遣いか駄賃か
前世を思い出して辛かったことが、ひとつある。両親の記憶だ。
うちはごく普通の家庭だった。父も母も普通。家族の在り方も普通。子供の頃は長期休みに旅行に行ったり、バーベキューをしたり。
思春期には反抗もしたし、三十路になったって親とケンカはしょっちゅうで。『誰かいい人はいないの? 孫と遊びたいんだけど』とズケズケ言う母を鬱陶しく思ったりもした。
ただのマリエットでしかなかった私には想像の産物でしかなかった父、母というものが、記憶を取り戻すことでいかに大きな存在なのかを知ってしまい、孤児であることの深い孤独に打ちのめされそうになってしまったのだ。
だからなるたけ、前世の両親のことは考えないようにした。
ひとり娘を亡くしたふたりへの、申し訳なさもある。どれ程悲嘆にくれているか、なんて考えたくもない。
そうして自分の奥底に閉じ込めていた数多のものが、公爵の最後の話を聞いたことによりついに爆発してしまった。
お母さんは私を大事に思ってくれていた。
嬉しいし、そんなお母さんに会えなくて悲しい淋しい。どうして死んでしまったんだという怒りもある。なんだか感情がぐしゃぐしゃなのだ。
それでも抑えていたものをひとしきり豪快に放ってしまうと、多少落ち着いてきた。
背と頭に回されている手。
――またムスタファの胸を借りてしまった。しかも幼児並みの大号泣。サロンには私たちの他に誰もいない。彼がみんなを先に帰らせた。
どうしよう。恥ずかしいし、絶対にひどい顔だ。
「もう! どうして私ばっかり情けないところを見られるのかな。腹が立つ」
照れ隠しに怒ってみる。
「しょうがない。お前と俺のレベル差だ」いつも通りの声が耳元から返ってきた。「それに喪女のお前にゃ、ありがたいシチュエーションだろ? シュヴァルツだとでも思っとけ」
「騎士だもん。もっと筋肉質で肩幅もある」
「どつくぞ。ひとが気にしていることをぬけぬけと言いやがって」
そう言いながらも、ムスタファの腕は動かない。木崎のくせに、気遣いが激しい。
「……お母さんに会いたかった」
「……そうだな。俺もだ」
今朝、偶然手に入れたというファディーラ様のスケッチを木崎に見せてもらった。良かったねと私は言ったけど、本当はほんの少しだけ、妬ましかった。
……ダメだ。また涙が出て来てしまった。止まらない。
「……ほんと、ムカつく」
ポスポスとムスタファを叩く。キレイな八つ当たり。
「今日のことは忘れてよね」
「嫌なことほど記憶に鮮明に残ってるよな」
「意地悪なヤツ」
「……インハイ出ました、決勝に残りましたって話するとさ、誰もが凄いって言うんだよ」
「ん?」
急になんの話だ。顔は見えないけど、声はちょっと暗い。
「でも俺が欲しかったのは、そんなんじゃねえ。『全国一位』の栄光だけ。ひたすら努力して努力して、周りが彼女とラブラブしてるのを横目に走ることにだけ打ち込んで、俺の全てを賭けたのに、結局二位にしかなれなかった」
二位? 凄い!
だけど、そういうことではないのだろう。
「悔しくて賞状は破っちまった。今思うとガキだ」
これはなんの話を聞かされているのだろう。まさか私だけが恥ずかしくないように、自分の情けないことを教えてくれているのだろうか。
「……あれ? 部活も彼女も両立させてたんじゃないの?」
「俺はそんなに器用じゃねえの。元々はひとつにのめり込むタイプだから。――ほら、これでおあいこだろ。賞状の件は顧問と親しか知らねえぞ」
やっぱり気遣いだったらしい。
木崎らしくないよ。調子が狂うじゃないか。
どう反応していいか分からずまた、ぽすんと叩いてやった。
背中に回された腕にほんの少しだけ力が入る。
「ていうかお前、俺が剣でフェリクスに惨敗しているのを見てるだろ。情けないところを知ってるじゃねえか」
「惨敗ではあったけど、あれは木崎の意地の強さを見せつけられたんじゃない。初めて、敵わないなと思った」
「へえ。素直」
また、腕に力が入った。
不思議なことに安心感がある。私は相当に参っているらしい。あれほど嫌った木崎の存在に助けられているなんて。
「両親は残念だったな」
耳元で静かに告げられた。
「……うん。覚悟してたけど、お母さんは生きてるって思いは捨てきれてなかったんだ」
「そうか」
「でも大切に思われてたかもしれないのは、嬉しい」
「『かもしれない』じゃないだろ。他にどうしようもなかったんだ」
「うん」
また涙がこみ上げてくる。
ムスタファが頭を撫でる。優しい手つきだ。
◇◇
気づくとサロンはだいぶ暗くなっていた。
「もう大丈夫。ありがとう」
そう言ってムスタファから離れようとしたら、強く引き寄せられた。ものすごく密着している!
「……この礼は高くつくぞ」
囁かれる声。
それから腕が解かれた。
薄暗がりでムスタファがいつもの嫌味な顔をしている。
「シュヴァルツとの面白ネタを隠さず提供しろよ」
「何よ、面白ネタって!」
心臓が恐ろしいほど早く脈打っている。
「ていうか私が喪女だって分かってるでしょ。やめてよ」
「あ? 駄賃だよ。俺だって楽しみがなきゃ弱ってる宮本の付き添いなんて、したくねえ」
「ぎゅっとするのが駄賃なの? 案外私を好きなんだ」
「んな訳ねえだろ。お前がワタワタするのを見るのが面白いの」
「性格悪い」
「酷い顔だな」
そう言いながらムスタファは勝手にひとの目の辺りに触れる。
「あとで冷やせ。これじゃヒロインじゃねえぞ」
「セクハラ王子」
「フェリクスと一緒にするな」
ムスタファは座り直して足を組む。長さを見せつけているのか。
「まあ、お前のおかげでエルノーは信用できそうだと分かった。いい収穫だ」
「感謝してよね。あ」ふと思い付く。「お母様のこと、公爵なら話してくれるんじゃない?」
うなずくムスタファ。
「前に一度訊いた。二、三回挨拶をしたくらいで、よく知らないって話だった。が、訊きなおす」
「今度は詳しく話してくれるかもね」
「だといいがな。問題は父親だな。能天気な愛妻家だとしか思っていなかったけど、違うのか。……ん?」
ムスタファが私を見る。
「お前が先代の孫娘ってことは、親戚になるのか」
「うわぁ。サイアク」
「俺のセリフだよ。何になるんだ?」
「ムスタファ王子は私の母親の従弟だよね。なんていう関係だろう。分からないから叔父さんでいいか」
はあっとため息の返事が返ってきた。これは文句を言われるぞ。
「関門は父親か。公爵はああ言っていたが、俺はお前がゲーム終了後に王族に入れるよう動くから」
木崎は思わぬセリフを口にした。
「必要ないよ。王族になりたいなんて微塵も思っていないから」
「権利の回復は必要だろう? 今のままじゃ祖父母の墓参りもできないし、母親の遺品――残ってるか分からねえけど、それも分けてもらえないんだぞ」
「……そんなこと、考えたこともなかった」
また、涙が溢れだす。
ムスタファの手が伸びてきて、頭をよしよししてくれる。
◇バレンタイン・イベント③◇
一度部屋に戻り、外出着を午後用の服に着替えてからチョコ配りを再開。楽しそうだからと、ルーチェが引き続き付き合ってくれることになった。
そうして最初に出会ったのは脱走したカルラだった。話している間に息を切らした乳母と侍女たちが追い付いて来た。それぞれにチョコを渡す。
やんちゃ王女は大喜びで、その場で食べようとして乳母に叱られた。頬をふくらませた、と思った次の瞬間、彼女は脱兎のごとく駆け出す。慌てて追いかける乳母たち。
「あのじゃじゃ馬に懐かれているって時点で、あなたの破格さが良く分かるわね」と呆れ半分のルーチェ。「私の予想。あなたが誰の専属になるか。次点がカルラ様」
「次点……。怖いので一番候補は聞かないでおきます」
「私の専属がいい」
背後からそんな声がして、跳び上がる。振り返るとバルナバスとオーギュストだった。
「兄上は奥手を拗らせているから自分の元へとは言えないだろう。カルラの元に行ったら、妹の野性味が悪化しそうだから母が止める。私の元に来るのが一番だぞ」
バルナバスはキラキラ笑顔で、なぜか片手をエスコートするかのように前に出している。
「……いえ、これ以上ご令嬢がたに睨まれたくないのでご勘弁を」
きらびやかな第一王子は声を上げて笑った。
「私が守ってやる」
困ったな。彼ってこんなキャラだったっけ。ちらりとオーギュストを見ると、彼はちょっとだけ肩をすくめた。
「で?」と王子。
「『で』とは?」
そう聞き返すと、王子の顔が翳った。
「……まさか私にはないのか」
彼の目は私が抱える紙袋を見ている。もしやバルナバスはチョコが欲しいのだろうか。彼の分はないのだけど。
再びオーギュストを見ると、口が『すまない』という形に動いていた。
仕方ない。多少は余分に買ってある。ひとつ取り出し、
「いつぞやは階段から落ちたところをお助けいただき、ありがとうございました。素晴らしい魔法に惚れ惚れいたしました。これはお礼です」
リップサービスつきでチョコを贈る。すると人気ナンバーワン攻略対象はバックに大輪の薔薇を背負いそうな笑顔を浮かべた。気のせいかダイヤモンドダストも舞っている。眩しい。
「マリエットは本当によく仕事に励んでいる。必死に頑張る健気なお前からは目が離せないし、助けたい気持ちが自然に湧き出るのだ」
キラッキラの笑顔は陽光溢れる初夏のよう。正統派王子の混じりけのない清廉さに、思わず目が眩みそうになる。仕事ぶりを褒めてくれるなんて、嬉しすぎる。
「いつでも力を貸すから、私を頼るといい。お前のためなら王子の特権をフルに使うぞ」
にこりとしたバルナバスは歯まで輝いていそうだ。
私のとなりでずっと黙っていたルーチェの、
「ステキ……!」と呟く声が聞こえた。
◇◇
すっかり目をとろんとさせたルーチェの、いかにバルナバスが素晴らしいかという力説を拝聴しつつ、建物を出た。パン職人見習いに会うためには外から厨房に行くほうがよいのだ。
そうして無事に彼(とプラスα)にチョコを渡し終えて来た小道を戻っていると、出会った。本命カールハインツに!
最推しがやや前を、こちらに背を向けて進んでいる。脳内によみがえるバレンタイン・イベントのご褒美。あれをリアルで堪能できる!
「どうしたの? 行ってしまうわよ」
ルーチェが私を見る。
緊張と歓喜で足が動かないし言葉も出ない。なんなら吐きそうだ。
「やだ、上がっているの?」ルーチェは私の状態に気づいたらしい。「そういうところはダメなんだから。しっかりしなさい!」
彼女は私の背を叩き、それから
「シュヴァルツ隊長!」と叫んだ。
麗しき黒騎士が振り返る。
「あわわわ」
「奇声が出てるわよ」
とルーチェにもう一度背中を叩かれ、手を引っ張られて進む。
「マリエットが用事があるのですけど、今、少しだけよろしいですか? すぐに済みますから」
ふとカールハインツが制服であることに気づいた。隊員は休みでも隊長は出勤らしい。だとしたら仕事の邪魔をしてはダメだ。あわあわしている場合じゃない。
震える手で紙袋からチョコをなんとか取り出して、ご尊顔を見ることができずにうつむいて差し出す。
「ひっ、日頃のお礼ですっ」
ちょっと噛んだ。手がぶるぶるしている。
「彼女、ようやく慰謝料を受け取れたんです」とルーチェが代わりに説明してくれる。「それでお世話になっている方々にお礼を用意して、配ることにしたみたいで。侍女侍従だけでなく、バルナバス殿下やカルラ殿下にも差し上げています」
「経緯は分かった。私は女性からのプレゼントは一律受け取らないことにしている」
あ、ゲームのセリフだ。
思いきって顔を上げる。カールハインツが私の手からチョコを取った。
「だから受け取ったことは、秘密にしてくれ。……ありがとう」
ややはにかんだ笑顔!
鼻血が吹き出る!
慌てて片手で鼻と口を隠して、ペコリと頭を下げる。ピコン!と音がしたけど見ることができない。ゲームと同じなら好感度がひとつアップだ。
視界の中で黒い編み上げブーツが踵を返して去って行く。足音が聞こえなくなるまで、そのまま動けなかった。
「行ったわよ」
ルーチェの声に頭を上げる。鼻血が出たと思ったのは気のせいだった。変わりに涙が出ていた。
「やだ、泣いているの? どれだけ好きなのよ」
「だって! 見ました? あの笑顔!」
「笑顔?」ルーチェが顔をしかめる。「普段よりは口角が上がっていたけど、笑顔?」
「あの恥ずかしそうで押さえがちな笑顔にぐっと来るではないですか!」
「……好みは人それぞれだものね」
何をおっしゃる。ここはカールハインツ担としては彼の素晴らしさを伝えなければ。
今度は私が彼のステキさを語り始めた。
◇◇
ルーチェの部屋前に帰りつく。
「ね、ムスタファ殿下にはこっそり渡すの? 特別な品?」
目をキラキラさせてルーチェが訊く。
「特別品はないですよ。万が一欲しがったら、考えます」
「つれないフリをしちゃって!」と笑う彼女。「今日はたくさん話をしたわね。みんなの反応もそれぞれだし、楽しかったわ」
それは良かった。最後で構わないからと言われて、まだ渡していなかったチョコを渡す。
「いつもも今日もありがとうございます。私も楽しかったです」
ルーチェは笑顔でそれを受け取って、
「こちらこそ、ありがとう。また買い物に行きましょうね」と言い、部屋に入って行った。
私も自室に帰り、円卓の上で空になった紙袋をたたんだ。
チョコはなくなってしまった。余分に買っておいたのに、予定外に欲しがるひとが多かった。
本当はムスタファにも渡すつもりだったのだけど。でもそれを今日にするか明日にするか迷っていたので、これで丁度良かったのかもしれない。木崎は嫌味を言うかもしれないけど、本気で欲しいとは思わないだろう。
紙袋を雑多なものが入っているタンスの引き出しにしまう。
ちょっと残念と感じているのは、ゲームの反応が見られないことに対してだ……。
《続く》




