25・2私の両親②
「馬鹿です、父上。女性社会に卑劣な一面があることくらい、私でも知っています」
オーギュストが父親をそう責めた。
「すまぬ。妻がいてくれたら教えてくれただろうが、先立たれて長くてな。女性事情をよく分かっていなかった」と謝る公爵。
以前ロッテンブルクさんにも、支援者は私が虐められるとは思っていなかったらしいと聞かされた。きっとこの公爵はそのような醜さから遠いところにいるのだ。
それに昨日の私を見て、事実を話していなかったことを後悔し、この場を作ってくれている。
「謝らないで下さい。侍女の生活は楽しいですから」
「……それは本心だと思うぞ、公爵」ムスタファが言い添える。「だが何故嘘が必要か、身元を明かせないかの説明を」
公爵がムスタファを見る。
「陛下は王位への執着が強い。そうだな? ロッテンブルク殿」
全員の視線が彼女に集まる。侍女頭は、やや躊躇ってから、はいと短く肯定した。
それから公爵は、フーラウムが少しずつ兄弟を政治から遠ざけ、先代国王の重臣を辞職に追い込んだと説明した。
更に侍従侍女も退職者が後を絶たず、即位から二、三年で八割近くが入れ替わったという。
「……そういうことか」とムスタファが言った。「母のことを調べたくて、当時の侍従侍女名簿を見た。だが現在まで残っている者は僅かだった」
うなずく公爵。
「恐らく陛下は先代国王の孫を歓迎しない。それが身元を明かせない理由だ。
私が彼女を引き取れば注目の的になり、あれこれ探る輩が出てくる。これが彼女を侍女にした理由。
私が彼女に会わなかったのは繋がりを他人に知られないためで、嘘をついたのは子爵を介して複雑な事情を打ち明けるのは困難だと考えたからだ」
……うん。そうか。どこにもおかしなところはない。
気配を感じて顔を上げると、木崎のムスタファが心配そうな顔で私を見ていた。
「大丈夫。納得しました」
一見、突き放されたように聞こえる話ではあるけれど、幸いにして精神は十七の小娘ではないから、公爵なりに最大限の厚意を払ってくれたことは分かる。私の存在など、知らなかったことにすれば楽なのだから。
「今後も君は侍女見習いだ」と公爵。「だが『君と私は王宮で出会い、たまたまその才をオーギュストが知り、私が支援を始めた』という筋書きが成り立つことになった。これからは表だって関わることができる。もちろん、侍女として必要な衣服は私が全て揃えるし、勉学の時間も取れるよう交渉しよう」
「良かったわ、マリエット!」
ロッテンブルクさんが嬉しそうな声を上げる。
「大変ありがたいお話ですが、ひとまず保留でお願いします」
「どうして」と驚きの声を上げたのはオーギュスト。
「確実に、六股と揶揄されます」
だな、とうなずくムスタファ。
「噂を気にはしませんが、自らその元を作りたくありません。今はあまりに注目されすぎているので、周囲が私に飽きた頃のほうがお互いのために良いと思うのです。ただ、保留の代わりにランプと、政治経済に関する書物をご提供いただけないでしょうか」
「ふむ」公爵がちらりとムスタファを見る。「殿下のご意見は」
「賛成だ」すっと、手が離れた。「彼女の才を重用したいと考えているが、その前に、私たちは親がいない者同士で身分は違えど境遇が似通っている。お互い良い相談相手なのだ。今の彼女に必要なことは、身辺が落ち着くことだと考えている」
どうして公爵はムスタファの意見をきくのだとか、木崎は何を保護者面しているのだとか考えて。私の心の中での保護者はとなりにいるじゃないかと気がついた。
その顔を見て、
「ロッテンブルクさんはどう思いますか」と尋ねる。
「あなたへの関心が薄れるには時間がかかるでしょう。せっかくなのだから、すぐにでも始めるべきです」
「三ヶ月」とムスタファが言った。「それ以上の保留はしない」
有無を言わさない口調だった。その期限はゲーム終了を考えたもののはず。
何故三ヶ月なのだと尋ねる者はなく、それで話は決まった。
「実はヨナスの縁でシュリンゲンジーフ国王が彼女の支援をする話も出ている」
ムスタファが切り出した話に、ヨナスさんが軽く頭を下げた。「最適は何か、三ヶ月の間に熟考すればよい」
「とうに殿下が手を打っていた、と」公爵が笑みを浮かべた。
「私は信用できる者が少ない」
「なるほど。その中に私も入れて下さった」
「あなたも私を信用してくれた」
これは。ゲームならば効果音と共に『ムスタファは仲間を手に入れた!』と出るところだろう。
「よし」と公爵が膝を打つ。「あまり長くサロンに籠りたくない。不審を抱かれては困るからな。今日はこれまでだ」
終わり? その前にお母さんのことを、少しでいいから……
私が口を開きかけたところで、
「最後に、マリエット」と公爵が私を見た。「ダルレの姓は父方の祖母に由来する。身元を隠すために、そうしたようだ。彼は大変優秀な近衛だったし、母君は聡く美しいひとだった。
君を孤児院に預けるとき、少しでも待遇が良くなるようにと結婚指輪を売って、上質なおくるみと寄付金を用意したようだ。
いずれ時間があるときに、詳しく話そう」
ぐしゃぐしゃの感情がこみ上げて来た。
◇バレンタイン・イベント②◇
綾瀬を見送り、建物内に入る。
「このチョコ――」
と買った目的をルーチェに話そうとしたところで、右方から現れたテオ・ロッテンブルクに
「今日は休日でしたか」と話しかけられた。
「ええ。テオ、ちょうど良かったわ」チョコを差し出す。「これはいつものお礼です。仲良くしてくれて、ありがとう」
テオが大きな目をぱちくりする。それからぶわっと笑顔が広がった。
「僕に! いいの! 僕こそ見習い仲間がマリエットさんで助かることばかりなのに。ありがとう」
受け取ったチョコを胸に押し当て、えへっと笑うテオ。
普段の丁寧な言葉遣いを忘れて素で話す弟枠テオは、尊いがすぎる。
「こちらこそ、癒しをごちそうさまです」
「ごちそうさま? マリエットさんて、時々おもしろいことを言うよね。可愛らしい」
ピコン!と音がして、ステイタスが現れた。好感度がふたつ点滅している。それが増えたということかも。
バレンタインイベントは、攻略対象にチョコをあげると萌え反応をしてくれ、更に好感度も上がるという素晴らしいものなのだ。ゲームではチョコを手に入れるために、えげつない額の課金が必要だったけど。だからカールハインツ以外には贈っていない。
テオの予想以上に可愛い反応に、尊死してしまいそうだ。
◇◇
テオが去ると、
「そのチョコはみんなに配る用なの?」
とルーチェに尋ねられた。
「はい。普段お世話になっている人へのお礼です。私、孤児院出身だから宮廷内では異物だと分かっていたし、孤立を覚悟していたんですけど、案外良くしてくださる人が多いから嬉しくて。もちろんルーチェさんの分もありますよ。部屋に戻ったら、渡しますね」
「あなたって子は……」
なぜかルーチェの目がうるうるしている。
「ありがとね」
と、彼女に抱きしめられる。
攻略対象以外には、これがデフォルトなのだろうか。だとしても嬉しくなって抱き返していると、
「廊下で何をしているのですか」
と凛とした声がした。ロッテンブルクさんだ。
「外出したのでしょう。また事件ですか」
「違いますよ。すみません」謝り、さっとチョコを出す。「ロッテンブルクさん、ポケットはありますよね? どうぞ。これはお世話になっているお礼です」
侍女頭は目をぱちくりとさせた。
「この子ったら自分用のアクセサリーには見向きもしないで、お世話になっているひとにあげるチョコを大量に買ったんですよ」
ルーチェが言うと、侍女頭はチョコを受け取った。
「ありがとう、マリエット。このようなことをされるのは初めてです。大切に食べます」
喜んでもらえた、と気分が上がったところで、
「ですがふたりとも侍女のふるまいは忘れずに。ここは廊下です」と注意されてしまった。
だけどそのあとに厳しい侍女頭は柔らかな笑みを浮かべてくれたので、喜んでくれたことは確かなのだろう。
「これは誰に配る予定なのですか」
ロッテンブルクさんの質問に、カルラ、カルラの乳母と侍女ふたり、侍従長、へルマン・ラントにヨナスさん、試作品をくれるパン職人見習い、ケガを治してくれたフェリクスなど、と答えた。
「あら、肝心なひとが抜けているわ」とルーチェ。
「もちろん、シュヴァルツ隊長もです」
綾瀬のレオンが休日だったから、カールハインツも同じだろう。だけどこれはゲームイベントだから、きっと会えるはずだ。
「トイファーさん、フェリクス殿下、シュヴァルツ隊長。五分の三」とルーチェ。
「その言い方はイヤです」
「……くれぐれも、おかしなことにならないように配りなさい」と侍女頭。
はい、としっかりうなずいたのだった。
◇◇
侍女頭と別れてすぐに、ひとりで歩くオーギュストに出会った。何度か会話をしているおかげで、丁寧な笑顔と挨拶をしてくれる。いい人だ。
「すみません、オーギュスト様。申し訳ありませんが、こちらを」とチョコを差し出す。「公爵様にお渡ししていただけますか。お会いする機会がないものですから。ささやかですが、慰謝料の件で助けていただいたお礼です」
「構わないけど」と彼は私の抱えている紙袋を見た。
「公爵様のおかげで懐に余裕ができたので、日頃お世話になっている方々へのお礼を用意することができました。心より感謝しております」
「中身は全部チョコ?」
「はい」
と、となりのルーチェが肘で私の肘をつついている。その顔を見ると、表情で何かを懸命にアピールしている。なんだろうと首をかしげかけて、オーギュストにも渡せと言いたいのだと気がついた。
え、でもそんなに親しくないし。下手に渡して六股なんて噂になっても困る。そっと八番目の攻略対象を見る。穏やかな笑顔で、何かを待っている……。
紙袋から、もうひとつチョコを取り出した。
「こちらは失礼なお願いをきいていただくお礼です」と言う。
ルーチェがぐっとうなずいた。
「ありがとう。嬉しいよ。君は嫌いな人には意地でも渡さないように思えるから。私は悪くない評価なのだね」
見抜かれてる、と思った瞬間にピコン!と音がしてバーが現れた。親密度がふたつ点滅している。
「今後君とは顔を会わせる機会が多くなりそうだ。よろしく頼むよ。チョコのお礼を楽しみにしていてくれ」
ルーチェが、六股かしらとかすかな声で呟いた。
◇◇
『絶対に渡さないほうが良かった』、『あれでいいのよ』、なんて言い合いをしながら廊下を進んでいると、ヨナスさんとへルマンに会ったのでとチョコを贈った。イベントの強制力か強いのか、攻略対象以外にもサクサク会う。
ふたりと別れてすぐに、ツェルナーさんを連れたフェリクスに会った。
挨拶が終わらないうちに腰に手を伸ばされたので、つねってやった。
「今日は休みかい。可愛い格好だ」
とチャラ王子がベラベラと褒め言葉を連ね始める。長く聞かされるのはたまらないので素早くチョコを取り出し、押し付けた。
「これ、ケガを何度も治していただいたお礼です」
「嬉――」
「ツェルナーさんにも」王子を遮り、彼にも渡す。「いつも助けてもらっているお礼です。できればもっと躾てくださると嬉しいです」
苦笑いのツェルナーさんが了解と答えるのと同時に、ピコン!と音がしてフェリクスの好感度が三つも点滅している。やっぱり虐げられるのが好きな性癖なんだ!
と思ったら、
「ツェルナーにまで気遣いをしてくれるとは、さすがマリエット」
と爽やかな笑顔で言われた。好感度アップの理由はそこなのだろうか。
「ますます愛しいな」
まずい、と思ったときには頭を引き寄せられて、額に口付けられた。
「今すぐに食べてしまいたい」
「……そんなにチョコがお好きだとは知りませんでした!」
王子をはねのけ後ずさると、ルーチェの手をとった。
「まだまだ配らなければなりませんので、失礼しますっ」
返事を待たずに、彼女の手をひっぱり逃げ出す。
「顔が真っ赤」ルーチェが楽しそうに言う。「あのくらい慣れないと、あの殿下は余計にちょっかいを出してくるわよ」
「だって、なんだかすごく妖しい雰囲気で!」
さすが女好き枠。本気のチャラ王子はフェロモン過多で齢三十の喪女にはキツい。
「怖かったです!」
ルーチェの軽やかな笑い声が廊下に響き渡る。
《続く》




