24・3父の肖像画②
「滅多にない機会ですから」挨拶のあとにロッテンブルクさんが答えた。「彼女は出仕するまで、王宮のことも歴史も学ぶ機会はありませんでした」
「そのようだね」と公爵はごく普通に答える。蔑みも同情もない。「だがオーギュストによると、講義を書類にまとめるのが非常に上手いそうじゃないか。侍女頭の教育かな?」
「いえ、私ではありません。ムスタファ殿下の従者ヨナス・シュリンゲンジーフを手本にしているそうです」
ふむふむと公爵。私に視線を向ける。「見てみたい」
見る?とはどういうことだ。戸惑いつつ、
「殿下の元にございますので、申し訳ありませんが」と謝る。
「君が困っていて、私に解決できそうなことはあるか」
彼にそんな問いかけをされ、ますます困惑する。
「色々とあるのだろう? 根拠のない噂、低俗な仕打ち、拒否を理解できない能天気」
五股、苛め、最後はフェリクスのことだろうか。この人は何を考えているのだろう。
「君は書面にて事実を説明し、解決依頼の要望書として私に提出する。出来がよければ私は解決に尽力しよう」
エルノー公爵は口元に笑みを浮かべて私を見ている。嫌な目付きではない。
ロッテンブルクさんを見ると、彼女は珍しく困惑の表情だった。
これは何なのだろうと不審に思う。だけど私が困っていて公爵が解決可能なことならば、ひとつ、一刻も早い解決を望んでいることがある。
「払われる約束の慰謝料がもらえていません。そのことでも構わないでしょうか」
そう切り出してみる。
「無論だ。そうだな、その件も聞いている」
公爵の顔は変わらず、意図は読めない。
ロッテンブルクさんを再び見て、公爵に委ねることになっても問題ないかと尋ねる。私の秘密の支援者的にどうなのか、という質問でもある。
侍女頭は、大丈夫ですと答えた。
「まずは上役に確認。良いことだ」と公爵が褒める。「今の若者は自分の意見を優先し他者の言葉に耳を貸さない者が多い。ふむふむ。よし、要望書が及第点だったら、私が褒美に金貨一枚をやろう。君は髪飾りひとつも持っていないそうではないか」
金貨? 今すぐお金が必要な私には願ってもいないことだけれど……
「今夜書き上げ、明日提出をしたら」
「明日中に判断する、頑張りたまえ」
私の言葉を遮り、公爵が言う。
これはいくらなんでも、私に都合が良すぎるのではないだろうか。ヒロインパワーだとしてもタイミングが絶妙すぎる。しかも金貨だなんて。
「何故でしょう、閣下。私にはこのような恩義を受ける覚えはございません」
すると公爵は瞬きをしたあとに、ハッハッハと楽しそうな笑い声をあげた。
「いやはや、これは実にいい。そうだな、疑問を感じて当然だ。だが君にそう問われるとは思っていなかった。やはり孤児院育ちだから好条件には飛び付くだろうという先入観があったのだな。私もまだまだだ」
あまりに楽しそうな大声に、周りの視線が集まる。
「マリエット。若者支援は私の道楽だ。目をかけた者が成長する様をつぶさに見ることが楽しい。苦学生から駆け出しの舞台俳優まで、分野は多岐にわたっている。だが君が不安に感じるならば、この話はなしにしてよい。どうするかな」
「訳あって即払いのアルバイトを探していました。要望書は明日提出をするので、ご考査をお願い致します」
公爵の目を見て、きっぱりと答える。
「楽しみにしているぞ」
公爵は機嫌良く去っていった。
「……勉強は終いにしましょう」
ロッテンブルクさんの言葉にうなずき最後にともう一度、父の顔を見た。
◇◇
肖像画の廊下を離れ人気の少ない場所まで来たところで、周囲を憚りつつ
「公爵が子爵の後ろにいる方でしょうか」
と、具体的な言葉を使わないようにしながらロッテンブルクさんに尋ねた。
「私も同じ疑念を抱きました」
「あまりにタイミングも待遇も良すぎますよね」
ええ、と同意してくれる侍女頭。「だけど、そうだとしたら何故あのような回りくどいことをするのか、分かりません」
「ですね」
うなずきつつ、ちらりとロッテンブルクさんの顔を伺う。
「その。私の背景を伝えることは、まだ保留ですか」
彼女が私を見た。私は周囲を確認。思いきって、
「父の顔を知ったと、彼に伝えたいです。きっと喜んでくれると思うのです」
と小さな声で伝えた。
「そうですね。問い合わせてみましょう」
ロッテンブルクさんの声が驚くほど優しくて、また目尻が滲む。お願いしますと頭を下げる。
「マリエット。今日の予定は」と侍女頭はいつもの口調に戻った。
「午前はお猫様のお宅の掃除、姫様たちの靴の手入れ。午後はお猫様が捕まればブラッシング、姫様たちの身支度用品の手入れ……」
「午後のものは他の者にやらせなさい。いえ、私が指示しましょう。あなたは要望書を書くこと」
「ですが仕事をせずに、そういうのは……」
「マリエット」侍女頭はまた私の言葉を遮った。足を止めて私を真正面から見る。
「書類作成は侍女の仕事ではありませんか」
「他の方がしていると、聞いたことはないです」
「ですが侍従はしています。男性の仕事で女性の仕事ではないと、あなたが線引きをするのですか。カルラ様の剣への思いを尊重するあなたが。どの侍女だろうが、任せてもらえるならば書類作成も重要な仕事です。
そうして書類作成のために自分の技術を磨くことも、また仕事です。髪結いの練習も仕事としてやっているでしょう?
今回のことはあなたの技術が一般に通用するかどうか、公爵が審査して下さる重要な試験です。あなた、ひいては侍女全体の仕事の幅が増える大事な局面と言えますね」
淡々と。力説するでもなく大上段に構えるでもなくそう言った侍女頭。その言葉はストンと胸に落ちる。
この人はどれだけ格好良いのだろう。私が三十六歳まで生きていたとして、彼女のような上司になれていただろうか。
「……聞いていますか? マリエット?」
私の無言が長すぎたらしい。
「私、あなたのような女性になります! 絶対に!」
「なんでそうなるのか分かりませんが、ありがとう」
戸惑いつつも笑みを浮かべた侍女頭に、今日何度目になるか分からないお辞儀をする。
「午後は書類作成をします。調整のほどをよろしくお願いします」
「はい。よろしい。では行きましょう」
再び歩き始めた彼女についていく。人生においてもついて行きたい。
「確かに近頃、お猫様をあまりみかけませんね」と侍女頭。
そうなのだ。彼(お猫様は雄)は主人の部屋でおとなしくしているタイプではないらしい。だけど偶然今日、お猫様のお気に入りの場所を知った。
「ムスタファ殿下の私室の長椅子の下によくいるそうです」
髪の手入れ時間に、うっかり落とした櫛を拾おうと屈んだら、長椅子の下の彼と目があったのだ。木崎曰く、気配は感じないけど恐らく、毎日のようにそこにいるらしい。『恐らく』というのは掃除メイドが毎日毛のみを発見しているからだそうだ。
「そうでしたか。お猫様の今のブームはムスタファ様のお部屋なのですね
侍女頭によると彼はかなり自由気儘で行動範囲も広く、先ほど訪れたフーラウムの執政室にいるときもあれば、客間を渡り歩いているときもあるという。
「今までのお猫様の中で、一番散策好きです」
「今まで?」
ということは、他にも猫がいたのかな。
「私が王宮に来る前からパウリーネ様は猫を飼っていて、今の子で三代目です。ちなみに皆黒猫です」
「まさか名前は毎回……」
「ええ」ロッテンブルクさんの顔に苦笑が浮かぶ。「どの子もパウリーネ様は『猫ちゃん』と呼んでいます」
「それが拘りなのでしょうか」
それとも案外ズボラなのかな。夫へのプレゼントも他人任せだし。
「どうでしょう」と侍女頭。「でもパウリーネ様があなたを褒めていますよ。お猫様のトイレ掃除が素晴らしいと。最近の若い子はみな手抜きですからね」
「……妃殿下はちゃんと見て下さっているのですね」
手抜きかそうじゃないか分かるぐらいに。ムスタファのことを考えると複雑だけど、誰も気づいていていないと思っていた仕事を良く評価してもらえるのは素直に嬉しい。
そうかそうか。
「どんなことでも頑張るあなたを、きっと頼もしく思っていますよ」
ロッテンブルクさんは『誰が』とは言わなかった。それはパウリーネなのか、他の人物なのか。
あの人だったら、嬉しいなと瞼に焼き付けた顔を思い浮かべた。




