24・2父の肖像画①
朝の髪の手入れが終わったあとに、木崎のムスタファが偶然手に入れたというファディーラ様の似顔絵を見せてくれた。彼女は息子によく似た美しい人で、柔らかな笑みを湛えていた。
私はなんだか切なく、だけどどこか安堵したのだった。
その似顔絵を描いたのがフーラウムその人だというので、木崎は少しだけ惑っているようだ。スケッチの由来もそれを手に入れた経緯も聞いたけど、確かに謎が深まるばかりという感がある。
――それにしても。私はいつ先代国王の肖像画を見られるのだろう。それは私がまだ足を踏み入れたことのないエリアにある。
いやいや、ロッテンブルクさんが約束を忘れるはずがないのだから、黙ってその時を待っていればいいのだ。
そんなことよりも今、私がしなければならないのは金策だ。まだ単発アルバイトはみつかっていない。昨日は万が一の幸運を狙って、攻略対象の宮廷画家に有料でモデルをやるよと声をかけてみたけど、断られた。
困ったなと思いながら、階段を降りる。と、銀の盆を手にした侍女頭に出会った。
「マリエット。ムスタファ殿下の仕事は終わりですか」
はいと答えると、彼女はうっすら微笑んだ。
「では、ついて来なさい」
盆にはアクセサリー用のピロー、その上にシンプルなロザリオが乗っていた。この世界の宗教はほとんどキリスト教そのままで、シンボルも十字架だ。ただし横棒と縦棒の長さは同じで端はクローバーのような形になっている。
「こちらを執務中のフーラウム陛下に届けます。粗相がないように」
「はいっ!」
思わず意気込んで答えると侍女頭の目尻が下がったようだった。
執務中の国王は公務を行う棟にいる。普段私が仕事をしているエリアと違いパブリックな場所で政治に関する部署もあるし、国事や舞踏会が催される広間もある。一般的な侍女が仕事でそちらに入る機会は少なく、見習いともなれば皆無に近い。そして先代国王の肖像画があるのはそこなのだ。
「良かった。あなたに会えたらと願っていました」
昨日は同じことをルーチェに言われた。二日続きで私は幸運の星の元にいるに違いない。それともヒロインパワーが運を招き寄せているのか。
ロッテンブルクさんが運んでいるロザリオはフーラウムのもので、普段は首から下げて身から離すことはないそうだ。本来の使い方ではないけれど、愛妻が初めてプレゼントをしてくれたものだからと、そうしているらしい。
それが金具のひとつが壊れてパウリーネの寝室に落ちていたのだそうだ。
ふたりは砂糖を吐きそうなくらいにラブラブな夫婦だけど、寝室は別だ。フーラウムは御用があるときだけ妻の寝室に泊まる。
昨晩彼はお泊まりで、夫が帰ったあとにパウリーネが恒例の入浴をしていたところ、侍女がこのロザリオを発見したという。
パウリーネの入浴と身支度は非常に長時間。フーラウムはロザリオを常に身に付けていたがる。
ということで、ロッテンブルクさんが届けることになったそうだ。壊れた金具は簡易補修をしてある。
「愛ですね」
ムスタファのことを思うと複雑な心境だけれども。
「マリエット。お二人について、私の前で無理をする必要はありません。口を閉ざしていて結構ですよ」
小声で告げられた優しさに、やはりこの人は格好良いと思い、無言で頭を下げる。パウリーネの親友でもあるのに、ムスタファのことも気遣ってくれる。
「帰りに歴代国王の肖像画が並べられた廊下を通ります。その際に少しですが勉強をしましょう」
つまりはその時に、私は父の顔を見ることができるのだ。
「落ち着いて。あなたはしっかりしているようで、時々恐ろしく抜けているから気をつけなさい。特にシュヴァルツ隊長がいると」
「肝に銘じます」
ふふっと。侍女頭は笑ったようだった。
◇◇
執政室に赴くと、フーラウムはロザリオ紛失に丁度気づいて慌てふためいているところだった。ロッテンブルクさんの持つ盆を見て、ぱあぁっと効果音が出そうなぐらいに表情を明るくして大袈裟に安堵していた。
愛妻の初プレゼントを失くしたら生きていけないのだそうだ。
その深い愛情をほんの少しでいいから長男に向けてほしいと思う。
何事もなく執政室から退出する。フーラウムは私の存在を認知していたかも怪しい。近侍には視線を向けられたけれど顔には何の表情も浮かんでいなくて、見習いがついて来たことに不審を抱いている様子はなかった。
私にとっては重大なことだけど、他の人にとってはそうでもないのだ。
そのことに力が抜けて、自分が思っていた以上に緊張していたと気がついた。
無言で歩くロッテンブルクさん。すぐに肖像画の廊下に到着した。心臓がバクバクとうるさい。
「マリエット。せっかくなので少し勉強をしましょう」
侍女頭がよく通る声で言う。仕事中の官僚が行き交っているし、立哨中の近衛もいる。彼らに伝わるように言ったようだ。
一番手前はフーラウムのもので、侍女頭が即位の年や功績を淡々と説明する。だけどほとんど耳に入らない。おとなしくフーラウムの顔を見ているけど、となりの絵が気になり緊張で胸が痛い。
「では次は先代国王陛下」と侍女頭が数歩進む。
私も進む。それから絵の真正面に来たところで、顔を上げた。
ダークブラウンの髪に青い瞳。私と同じだ。だけど顔は? 凛々しく厳しい面持ちで、私に似ているようには思えない。
口髭がある。眉は太くて力強い。鷲鼻だし。やっぱり似ていない。だけど目は大きくて二重。ここは一緒だ。
……この人は私の存在を知っていただろうか。嬉しかった? 邪魔だった? それとも何とも思っていなかった?
「……マリエット」
ロッテンブルクさんの声が私の名前を呼んでいることに気がつく。
「お団子が崩れています。直してあげますから膝を曲げて下を向きなさい」
はいと答え、その通りにする。と、ポタリと雫が落ちていった。
「涙を拭いて」と、耳元で囁かれる。
慌てて手の甲でぬぐった。
「はい、これでいいでしょう」と素晴らしい侍女頭が離れる。「崩れるようなセットでは侍女失格です」
はい、としっかりうなずく。
「では先々代の国王陛下です」と進むロッテンブルクさん。私も動く。と。
「勉強かな」とどこかで聞いたことのある声がした。振り返ると、攻略対象オーギュストの父であるエルノー公爵が、ひとりでこちらに向かってやって来るところだった。




