24・1仲直り
明るい日差しの中、すっかり通いなれた廊下を進む。ムスタファの私室の扉が開いている。
複雑な気分だ。私が折れるしかないのかな。前世だったら絶対にそんなことはしなかった。
ただ、拗ねているムスタファというのを見てみたい気もする。中身が誰かを考えなければ、可愛い。いや、木崎だとしても可愛いのかな。
あれこれ考えつつ声をかけて入ろうとしたら、中にいたヨナスさんと目があった。にこりとされる。
「髪係が来ました。私は他の仕事を済ませてきます」
彼はそう言って、さっと部屋を出ていく。いつもそうだ。私が手入れをしている時に彼がいたことはない。ヨナスさんはすれ違いざまに、肩を叩いていった。頼むよということだろうか。
木崎のムスタファはいつもの場所にいつものように座っている。こちらは見ない。
「オハヨウゴザイマス」
「ん」と木崎。
そのそばに寄り、
「お菓子をありがとう」と言う。
「ん」
ちらりと視線が寄越された。
「昨日はムキになってごめん」
「ん」
ほとんど口は動いていない。これが拗ねか。とりつく島もないじゃないか。
可愛くないこともないと思いながら、手入れセットのワゴンを取りに行く。
「昨日の変なのはやめろよ」と背後でムスタファが喋った。口調は普通だ。振り返っても、向こうを向いて座っているから顔は見えない。
「髪型のこと?」
「そう。カルラには好評だったが」
「なら、いいじゃない」
だから崩さなかったのだな、きっと。
「次にやったらシュヴァルツを左遷」
「横暴!」
なんだかいつも通りだ。木崎に対するもやもやが完全に消えた訳ではないけれど、ほっとして手入れを始める。
「ヒュッポネンに相談して、気づいたんだがな」
唐突すぎるムスタファの言葉に、何が?と問い返しそうになって思い出した。そもそもケンカの一因は、ヴォイトに魔力封印の可能性を尋ねたことについてだった。すっかり忘れていた。
「攻撃系のような魔法で、ハイレベルなものは公式に伝わっていない可能性が高い」
封印の話だったはずだけど、と頭を整理する。
魔法府には国内のあらゆる魔法書が集められていることになっている。だが様々なことを勘案すると、攻撃に関するものだけレベルが低く思われる。恐らくは王族に魔法で敵対する者が現れないようにするためだろう。
ムスタファはそう説明したあとに、
「となると、それらに関した魔法書が存在するなら王族が隠し持っていると考えるのが妥当だろ?」
「……だね」
何だか嫌な予感がしてきた。
「ヒュッポネンが上級魔術師団顧問の古老に確認したが、彼の知る限り魔力を封印する魔法について書かれた書物はない。これも存在するなら、王族の元にとなるだろう」
あくまで仮定の話だがな、と顔の見えないムスタファは話し続ける。
「ベルジュロン公爵夫人によれば、母をここに連れてきたのは父で、結婚に他者の意向は介在していない。ヒュッポネンと夫人の話、ゲーム設定を擦り合わせ推察すると、俺の母親が魔王だったと知っているのは父。俺の魔力を封じたのも父だ。
俺が人間でないと知っていて、公式では未確認の魔法を知り、使えるだけの魔力の持ち主。この条件が揃う奴はそうそういないと思う。なんなら母を殺したのも父かもしれない」
疑問点は多々残るが、それが一番あり得るだろう?
木崎のムスタファは淡々と言った。
思わぬ話になんて答えればいいのかを迷う。オイルを塗り込む銀髪が月の光のように美しいのに、彼が抱えているものが残酷すぎて、落差に胸が締め付けられた。
「ろくでもない父親だと思っているし、あいつに息子として扱われたこともねえけど、さすがにへこむ。何で俺は生かされてるんだ、とか考えちまって」
それがキャンセルの理由か。相当に落ち込んでいたのだろう。私はなんて言うのがベストだろう。
「……仮定に仮定を重ねた、推論とも呼べないレベルの話だよ。あくまで可能性のひとつに過ぎない。木崎らしくないね」
「分かってる」
違うな、と思う。私がかけるべき言葉はこれじゃない。
「真実をみつけよう、一緒に。少しずつだけど進展してる。次の手がかりを探そう。で、気が向いたら私に愚痴りなよ。思いっきり喝を入れてあげる」
「宮本じゃな」
「不満は受け付けない」
「俺好みのあざと可愛い女を連れて来てくれ」
「自分で見つけろ! ていうか、ご令嬢たちにそんなタイプはわんさかいるんじゃないの?」
「いねえよ。あざとさはあっても可愛さがない」
ものすごく納得。ご令嬢たちは良くも悪くも誇り高い。毅然とした格好良さはあっても可愛いという雰囲気はない。
「妥協すれば?」
「しょうがねえ。お前で妥協してやる」
思わぬ返答が来た。
「……そりゃどうも」
てっきり今日も拒まれて終わりだと思っていたので、びっくりした。あまりの驚きで、ちょっとばかり胸がドキドキしている。
だけど油断は禁物だ。木崎は急に恋愛上級者ぶるから、『喝の代わりにキス』とかからかってくるかもしれない。
黙って髪をとかしながら様子を見る。
……おかしいな。何も言ってこない。
調子が狂うじゃないか。この話題はもう終わり、ということなのかな。あまり触れたくないのかもしれない。別の話題に移るとしよう。
「ところでさ」と話しかける。「実際のところ、魔法の訓練って何をしているの?」
魔力ゼロのムスタファにできる訓練なんてものがあるのか、気になっていたのだ。
「イメトレ」とムスタファ。
弱い魔力を強化する訓練や、魔力の使いこなしが下手な人向けの訓練というものがあって、彼はそれをひたすらやっているそうだ。魔力がないので、イメージをすることをメインとして。
ものすごく地味で根気が必要に思える。派手な剣術と違うそんな訓練を続けているのだから、本当の本当に努力家なのだろう。素直に尊敬する。
論理的には魔力を体内で循環させてから一点に集めて、とムスタファが説明する。
「ま、スポーツだろうが魔法だろうが一緒だ。成功している姿をイメージしてだな……」突如ぐるりと振り返るムスタファ。「聞いてるか?」
「聞いてる! 急に動くなって、何回言えば王子様は覚えるのかな?」
ぎゃいぎゃい言い争っていると、ふと見られている感覚がして扉に視線を転じた。開け放したままのそこには顔を少しだけを覗かせたへルマンがいた。
しまった、第一王子に向かってむちゃくちゃため口を使っているのを聞かれた。
だけど彼は姿を現して、
「良かった。仲直りをしたのですね」とほっとしたように言った。
どうやら心配してくれていたらしい。今の今まで忘れていたけど、昨日ここを出た直後にすれ違ったのだった。あの時の私は相当によろしくない表情だったと思われる。申し訳ない気持ちを込めて、丁寧に頭を下げた。
「用件は?」と、ムスタファ。
「ありません。失礼しました」
真顔に戻ったへルマンは、ささっと答えて姿を消した。
再び髪の手入れを始める。
「ため口を聞かれちゃった」
「これからは常に敬語を使え」
「畏まりました」
「キモい。鳥肌が立つからやめろ」
「理不尽すぎない!?」
また髪を可愛くしてみようか。昨日のとは違うもので私に出来そうなのは――。
昔ハロウィンの仮装で友達が地毛で猫耳を作っていたけど、あれはどうやるのだろう。くるりんぱだと説明された覚えはある。
「お前、また何か企んでいるだろう」
「企んではいるけれど、技術が追い付かない。練習台にしていい? いいよね」
「よくねえよ」
「ケチ」
仕方ないので綺麗にといて、しまいにした。悔しい。可愛く結いたかった。
手入れ用具を片付けながら、
「カールハインツとの外出が決まったよ」と報告する。
「経緯を詳しく」
「何で」
「綾瀬も一緒の理由」
「どうして知っているの!」
もう王子の元にまで噂が届いているのか。早すぎる。
「シュヴァルツがわざわざ拝謁伺いまで出して、報告に来た」
木崎はそう言って、座れと顎で隣を示した。王子なのに態度が悪い。けれどその話は気になるので、おとなしく座った。
「あの生真面目は一通り説明したあと、行動計画書を提出すると言い出した」
「なんで木崎にそんなものを」
と言いつつも。考えるまでもない。先日の夜、ばったり会ってしまったことが原因に違いない。あの時のムスタファは、過度な心配性に見えただろう。
「好感度が遠退いている気しかしない」
「腕の見せ所だな」
ムスタファが嫌味な顔で笑っている。いつもの顔で、ほっとする。
「優しい俺は、計画書なんていらないと言ってやったからな。しっかりやれよ」
「当然」
「だが綾瀬は何なんだ」
仕方ないので、何故か彼が好アシストをしたために外出が決まったのだと説明をする。ご褒美をねだられているのは内緒だ。
「ていうことは、シュヴァルツが同行を引き受けたのは俺のおかげじゃねえか」
話を聞き終わった木崎はそう言って。
「これは礼をしてもらわねえとな」
「分かった。ヘアアレンジをがんばるね」
「俺が決めるものだろうが」
「だって木崎じゃ、ろくなことを言わないでしょ」
「お互い様だろ。何がヘアアレンジだ。自分はひっつめ団子のくせに」ムスタファの視線が私の頭に向く。「――宮本、髪飾りを持ってないのか」
「逆に持っていると思うの?」
「ヒュッポネンが話していた、危険を知らせる宝石。あれは髪飾りに加工するか」
「それじゃ光っても自分じゃ見えないでしょ」
「宮本が見る必要はないだろ」
「あるよ。木崎だって討伐の可能性があるのだから。だからヨナスさんが三つにと頼んだのでしょう?」
ムスタファは瞬いた。
「なに、お前。そうなったら俺を助けてくれるのか?」
「知らんぷりするほど、人でなしではないよ」
へえ、と呟いたムスタファの顔が一瞬だけくしゃりとした。
いつも飄々としている木崎でも不安なのだ。
垣間見せられた本心に、見てはいけないものを見てしまった気になり、そっぽを向く。
「私、宝石の代金も加工の代金も出せないからね」
「出世払いな」
いつもの口調でいつものセリフが返ってきた。
「そもそも宮本、カルラのプレゼントを用意する金はあるのか」
やっぱりこの質問が来たか、と身構える。が、顔には出さないで
「そのくらいはあるよ」とうそぶく。
ふうん、と木崎。
実際には蓄えは皆無。昨夜まではロッテンブルクさんに頼んで、お給金を前借りさせてもらいたいと頼むつもりだった。だけどよく考えたら、そんなお金でプレゼントを用意するのはどうなのだろう。
そこで今朝方、即日払いの単発仕事はないだろうかと彼女に尋ねてみた。例えば魔法や医療の被験者のような。
すると彼女は非常に微妙な表情になった。けれど、心当たりに訊いてくれると約束してくれたのだった。
どうか、良いバイトがありますように。




